本『天平の三皇女』遠山美都男(著)感想 いつの時代も、どんな身分でも、権力者は絶対

 

 

 

聖武天皇は奈良時代の人物で、724年~749年の在位の間に墾田永年私財法や奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)の建立で有名である。
彼の娘の阿倍内親王は女性でありながら皇太子(元来は「天皇の長男」という意味あい)に立てられ、2度天皇に即位した。
一方彼女の異母姉妹、姉の井上内親王は大逆罪に処せられ、妹の不破内親王は流罪にされる、、、

 

 

 

皇統の維持と権力闘争にさらされ三者三様の人生を送った皇女達の物語。

いつの時代も継承問題とは難しいモノだなと、考えさせられます。

 

以下ネタバレあり


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  • 姉妹を巡る重要人物達

皇位継承という観点で、p.277~282の年表を参考に人物を書き出してみたい。字面だけではちょっと分かりづらいが、激しい権力闘争が見られる。(なんなら飛ばしても構いませんよ)
本来は、逝去の表記は
天皇陛下  崩御
皇太子   薨御(こうぎょ)
皇太子妃、親王、内親王、三位以上   薨去(こうきょ)
四位、五位以上  卒去
と書くべきですが、年代順の表記として見やすい様に「没」として統一しております。

聖武天皇の後継者候補の皇太子、没(728)
—阿倍内親王の弟
阿倍内親王、立太子(皇太子となる)(738)
不破内親王の夫、塩焼王、流罪(742)
—不破内親王との間の子供は将来の後継者候補であった
安積親王、没(744)
—井上内親王、不破内親王の弟
聖武天皇譲位、阿倍内親王即位=孝謙天皇(749)
聖武太上天皇、没。遺詔(いしょう)により道祖王立太子(765)
—道祖王は塩焼王の弟
道祖皇太子が廃される(766)
大炊王立太子(766)
—聖武天皇の曾祖父である天武天皇の孫
道祖王、没(766)
—橘奈良麻呂の変に連座したとされる
孝謙天皇譲位、大炊皇太子即位=淳仁天皇(758)
井上内親王、白壁王との子、他戸王出産(761頃?)
孝謙太上天皇、淳仁天皇から天皇大権を剥奪(762)
孝謙太上天皇、淳仁天皇を廃し再び即位、称徳天皇となる(764)
恵美押勝の乱で、氷上塩焼、没(764)
—氷上塩焼=塩焼王
氷上志計志麻呂の変(769)
—氷上志計志麻呂は氷上塩焼と不破内親王の子
—不破内親王追放、志計志麻呂流罪
称徳天皇、没。遺宣により白壁王立太子(770)
—同年、即位=光仁天皇
—井上内親王立后(皇后となる即ち天皇即位の可能性がある)
他戸親王立太子(771)
井上皇后廃される、つづいて他戸皇太子廃される(772)
井上内親王、他戸王、幽閉(773)
井上内親王、他戸王、没(775)
光仁天皇譲位、山部皇太子即位=桓武天皇(781)
氷上川継の変(782)
—氷上川継は氷上塩焼と不破内親王の子、志計志麻呂の弟
—不破内親王配流、川継流罪

……不破内親王の没年は不明、、、

  • 権力を振るう者、翻弄される者

阿倍内親王は天皇となり故・聖武天皇の言葉を巧みに引き出し、その権力を存分に振るう。淳仁天皇を廃したり、僧の道鏡を天皇に立てようとしたり、生きている間はその権勢に誰も逆らえなかった様だ。

井上内親王は夫が天皇となり、息子が皇太子となる事で権力に近づいた。しかし、皇后となる事で、天皇即位の可能性が発生し、それを嫌う勢力に陥れられ、息子ともども追放され、暗殺されたフシがある。

不破内親王は自身や夫の塩焼王の出自から、それを権力に利用され、また、都合が悪くなる度に濡れ衣を着せられ息子ともども流罪となる。自身の意思や行動はなくとも、生きているだけで権力者に警戒される人生だった。

彼女らの違いは何だったのか。それは家柄と権力の違いである。
阿倍内親王の母は光明子。藤原不比等の娘である。
井上内親王と不破内親王の母は県犬養広刀自。(あがたのいぬかいひろとじ)
藤原家というブランド、そしてその勢力を聖武天皇が重視し、権力を裏付けたからこそ、そのレッテルが死ぬまで続いたのだ。

 

権力というモノは、近付けば近付く程にその苛烈さを増す。テッペンを取らないと、中途半端では結局強者にいいように利用され、杭だと思われたら出る前に引っこ抜かれてしまうのだ。
それが、姉妹、夫婦、関係なしに振るわれる時代が確かにあったと、歴史は教えてくれるのだ、、、


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さて、次は謎のUFOと闘争するべきか否か?映画『メッセージ』について語ってみたい。