映画『凪待ち』感想  どん底ですがれるもの、それは人との繋がりしかない

ギャンブル(競輪)狂の郁男は仕事を辞め、付き合っている彼女・亜弓の、実家のある宮城県石巻市への引っ越しに付いて行った。当地で印刷所に就職し、亜弓の娘・美波、ガンで余命幾ばくもない父の勝美と共に共同生活を始める。ある日、亜弓と喧嘩した美波が中々帰ってこず、郁男と亜弓は捜し回るが、その過程で、今度は二人が喧嘩してしまい、郁男は亜弓を車から降ろしてしまう、、、

 

 

 

 

監督は白石和彌
近年、ハイペースで映画を撮影している。
監督作に
『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(2010)
『凶悪』(2013)
『日本で一番悪い奴ら』(2016)
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)
『サニー/32』(2018)
『孤狼の血』(2018)
『止められるか、俺たちを』(2018) 等がある。

 

出演は、
木野本郁男:香取慎吾
昆野亜弓:西田尚美
昆野美波:恒松祐里
昆野勝美:吉沢健

音尾琢真:村上竜次
穀田剛:寺十吾
小野寺修司:リリー・フランキー 他

 

 

 

凪待ち。

 

物語は、
冒頭、川崎から始まり、
海のある町、故郷、石巻へと。

かつて、震災にて被害を被った町。

待っていた「凪」が訪れたのか、
平穏な日々を望むのか。

 

 

しかし、
そんな平穏ならば、映画となるハズも無く。

本作『凪待ち』は、

 

ギャンブル狂の男の、
泥沼どん底ストーリーです。

 

 

郁男は美波を見つけ、
亜弓に電話する様に言いつけます。

しかし、
その美波の電話に出たのは見知らぬ人間。

なんと、亜弓は、
通り魔に殺されたのだ。

哀しみに暮れるが、
正式に籍を入れていない為、
郁男は美波を育てられず、
勝美もガンで余命幾ばくもない。

美波は、
亜弓が離婚したDV親の、音尾と過ごすしか無いのか。

亜弓を死なせたという自責の念、
美波に何も出来ないという無力感から、

郁男は、
辞めるハズだった競輪に、
更にどっぷりと嵌って行く、、、

 

 

真面目に働かず、
ギャンブルに明け暮れていたロクデナシが、

自己嫌悪と無力感から、
逃避としての、更なるギャンブルにのめり込んで行く。

 

それを演じるのが、
かつてのスーパーアイドル、

現在は、新しい道を模索している、
香取慎吾。

 

新しく、道を探している香取慎吾が、
どん底に堕ちた男の有様を、
これまた、震災でどん底を味わった、石巻という町を舞台に、

それらの再生を描く。

 

 

本作は、
現実のリアルな土地を舞台に、

香取慎吾という、
新しい事をしようとしている、今、このタイミングにて、

どん底に堕ちた人間の様子を描くという、

現実と、
フィクションがリンクした作りとなっています。

 

映画というフィクションの媒体において、

このリアル感が、共感性を喚起させる、

だからこその、
真摯な面白さが、本作にはあります。

 

今、この時に観るべき作品、
『凪待ち』は、人生に行き詰まった人間に刺さる作品と言えます。

 

 

  • 『凪待ち』のポイント

再生を目指す土地にて、どん底に堕ちた人間を、香取慎吾が演じるというリアル感

自己嫌悪と無力感が促す、ギャンブルという自殺行為

最後に残るのは、人との繋がりのみ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • ギャンキチ狂想曲

本作『凪待ち』は、
突然の事故にて、愛する人を喪い、

その喪失感
原因が自分にあると思う、自己嫌悪
何も出来ないという無力感から、

自暴自棄になった男がどん底まで堕ちる姿を描いた作品です。

 

それで、郁男が嵌るのは、競輪(ギャンブル)なのです。

 

まともな人間なら、
「は?意味分からない」と言う位、
無謀に競輪に金をつぎ込む郁男。

何故金をドブに捨てたのか?

それは、
郁男にとってのギャンブルは、自殺そのものだったからです。

 

日々、コツコツと努力を積み上げて、
その果てに、成果を上げる。

そんな地道な行為でも、
直ぐさま、達成感や、幸福感が得られるものではありません。

しかし、
ギャンブルというものは、

何の積み重ねが無くとも、
瞬間、瞬間で、
刹那的な勝利感、達成感を得る事が出来ます

 

努力しても、必ず達成出来る訳でも無く、
成果を上げても幸福になるでも無い。

しかし、
ギャンブルなら、刹那的な快楽がある。

だからこそ、
日々の自らの無力感を忘れる為に、
人は時として、ギャンブルに嵌ってしまうのです。

 

元々は、郁男もそうでしたが、
亜弓を喪った後の郁男のギャンブル狂いは、

これは、明確に、
彼なりの「自殺」であるのです。

つまり、
自分が、破滅する為に、
死にたくて、ギャンブルをしていたのです。

 

自殺の代替行為というものは、
現実にもあります。

かつて、
ビートたけしが、バイク事故を起こしたのは、

逸見正孝が死んだ事に起因する、鬱病の結果であり、
彼なりの「自殺」であると、私は勝手に思っているのですが、どうでしょうか。

 

それはさておき、
ロクデナシの自分を罰する為に、

敢えて、苦しい状況に自分を追い込む、

その後に、自分が死ぬ事を望んでいるのです。

郁男も、
ギャンブルの狂騒の果てに、
有り金全てスッて、
これでさらば、という場面で、
ニュース映像を見ます。

そこには、
かつての同僚が、元・職場に乱入し、暴行事件を起こしたというニュースが流れていました。

これを見た郁男は、
「まだ、地獄の先がある」とばかりに、
自分を苛める為に、ヤクザ事務所に殴り込みに行くのですね。

 

  • 香取慎吾という俳優

本作『凪待ち』の主人公を演じるのは、香取慎吾。

日本において、
知らぬ人が居ないという程のアイドルですが、

しかし、
本作においては、

無精髭に、
ボサボサの髪、
ダルダルのTシャツという出で立ちで、
だらしない風貌、

今までの、
明るく、健康的なイメージからはかけ離れた人物を演じています。

 

しかし、
本作において、香取慎吾が郁男というキャラクターにマッチしているんですよね、
不思議と。

 

香取慎吾は、
役を演じる時において、
殆ど台本を読み込まず、
第一印象を大事に、殆ど直前に台詞を覚え、
むしろ、即興的に演じるという方式を採っているそうです。

加えて、
白石和彌作品は、
脚本は、細かい所までは言及しない、シンプルな本なのだそうです。

その上で、
現場で、即興的に、台詞や状況を加える事も多いとか。

つまり、
監督の撮影の性質に、
香取慎吾の役作りが、マッチしていたのですね。

 

郁男という役を演じながら、
「これは、どういう意味があるのだろう」
そう思いつつも、
いくつもの解釈が成り立つ様な表情をみせた香取慎吾。

片や監督の白石和彌は、
「香取慎吾に余計な事を考えさせない為に」
現場では、スピード感溢れる演出を心掛けたのだと言います。

気迫とスピード感のある本作は、
そういうコラボレーションの元に、成り立っており、
だからこそ、
観客がのめり込む程の迫力があるのでしょう。

 

自堕落さと、狂気を内に秘めた男を演じた香取慎吾。

今まで、陽気で柔らかなイメージが大きかったですが、

こうして本作を観ると、
体格の良さも相俟って、

中々、どうして、
男としての、押し出しの強さも感じました。

「アイドル」というイメージが先行して、
キャラモノを演じる事が多かった香取慎吾ですが、

実は、
凶暴な役も意外と似合うのではないのか?

その事を発見出来たのが、
本作の収穫の一つと言えます。

 

  • 鎮魂と、再生と、

本作『凪待ち』は、
どん底に堕ちた男が、
それでも、再生の道を、かすかながらも見出す話。

それは、
人との繋がりによって得られます。

 

それを、俳優・香取慎吾が演じ、
舞台が、宮城県石巻市だというのが、
また示唆的です。

 

アイドルグループ「SMAP」を解散し、
新しい道と選んだ香取慎吾。

震災で甚大な被害を受けつつも、
そこから復興せんとする石巻。

郁男も、
繰り返す自殺行為を乗り越え、
新たに、生き直そうとする道を見出します。

 

勝美は作中、郁男にこう言います。

石巻の海は津波で死んだのでは無く、新しく、生まれ変わったのだ」と。

勿論これは、
海の事を語りつつ、
郁男に再起を、優しく示している言葉なのです。

 

ラストシーン、
その石巻の海に、
かつての、日常生活の残滓の数々が沈んでいました。

ぬいぐるみ、家具、ピアノ etc…

その海に、
美波が持っていた、
亜弓の名前が記入済みの「結婚届」に、郁男が自分の名前を記し、

それを、
郁男、美波、勝美の三人が見送りながら、

波間に沈める場面があります。

 

それは、
かつての「日常の残滓」が沈む海の底に、
自分達の「幸せの証明」を沈める行為、

即ち、
亜弓と、今までの日常に対する、3人の鎮魂であり、

石巻の海が再生した様に、

ここから、
郁男が再生せんとする、
ある種の願いであり、決意表明でもあるのです。

 

どん底に堕ちながらも、

そこから、
美波や勝美との関係性により、
再生の道が、首の皮一枚残った郁男。

現実的には、
これで目出度し、目出度しではありませんが、

かすかな希望を見いだせたのが、
本作のラストシーンであったのです。

 

  • 狂気と善意

本作では、
余所者で、キレ易い郁男に対し、

地元の人間は、
ある種、典型的に、緩やかな排除の態度を示します。

郁男は会社で、
お前が来るまでは、事件なんて起きなかった、
お前が来てから、事務所の金が無くなる、
お前が来てから、社員が闇競輪に嵌った、

等々、
分かり易い、いちゃもんを付けてくるのですね。

しかし、
より恐ろしいのは、
友好的な態度に隠された、
素の、「闇」の部分の狂気なのだと、

本作では描かれます。

 

郁男の元・同僚である渡辺は、
自分の気持ちを押し隠す様に、
ヘラヘラした笑いを顔に貼り付けていました。

しかし、
それはペルソナ(仮面)であり、
逮捕された時の渡辺の表情は、
達観した様な姿になっています。

よく、
逮捕された人間が、
ワイドショーなどで映りますが、
正に、その時の、ある種の覚悟というか、
妙な、堂々とした、誇らしげな表情にも見えます。

 

それと、同等以上に不気味なのは、
リリー・フランキーの演じる小野寺が、確保される場面。

ちょっと意外そうな、
それでいて、
イタズラがバレて、ちょっとはにかんでいる様な表情が、

自身のやった事との落差を描きつつ、

表情のみで、
小野寺の狂気を見事に演出していました。

 

自身の行為を深刻に考えない人間。

その人間の行為とは、
それは、善意なのか、
はたまた、極まった悪趣味なのか、
亜弓という思い人を取られた復讐なのか、

真意が分からぬ故に、

そして、
色々と分からぬからこその、
不気味さに溢れています。

 

人間関係が救いとなりつつ、

また、
一方で、人間関係が、人を追い込む

その両方をちゃんと描いているのが、
本作の、
厳しい良心であるのです。

 

 

 

失意と無力感と自己嫌悪から、
ギャンブルによる自殺行為に走り、

どん底の泥沼まで堕ちた男の再生へのかすかな希望を見出す作品、『凪待ち』。

人の陥る、狂気というものを描きつつ、

しかし、
それを救うのは、
同じく、人から得られる人間関係しか無いと、
本作では描かれています。

 

主演、香取慎吾が、新たなる境地を見せた本作、

どんな状況でも、
人間も、土地も、状況も、

そこから好転する、

いつか、
穏やかな海である「凪」が来ると信じる、

その必要性を、説いていると言える作品なのです。

 

 

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