映画『ナチュラルウーマン』感想  帰らぬ人を想うよりも…

 

 

 

トランスジェンダーのマリーナは57歳の恋人・オルランドと自身の誕生日を祝った。その夜、オルランドが体調不良を訴えた為に病院に連れて行くも、彼は急死してしまう。悲しみに暮れるマリーナは病院を抜け出すが、その行動を警官に怪しまれ、さらにはオルランドの家族には疎まれる事になる、、、

 

 

 

 

監督はセバスティアン・レリオ
チリ、サンティアゴ出身。
代表作に
『デストロイ8.8』
『グロリアの青春』等がある。

本作にてチリ初のアカデミー賞(外国語映画賞)を受賞した。

 

主演のセリーナ役にダニエラ・ヴェガ
自身、役柄と同じくトランスジェンダーである。

 

2017年公開の映画を対象とした第90回アカデミー賞にて外国語映画賞を受賞した今作。

アカデミー賞の作品賞と言えば年によっては微妙な作品もありますが、
外国語映画賞は面白い作品が揃っている印象です。

 

本作『ナチュラルウーマン』の主人公マリーナは性同一性障害、いわゆるトランスジェンダーです。

彼女は恋人のオルランドと同棲しており、謂わば「内縁の妻」的な感じです。

しかし、そのオルランドが亡くなる事が契機となり、

世間の悪意や偏見にさらされます。

 

性差別と死別の哀しみ。

ぱっと見ですと、社会的な問題を取り扱った作品の印象です。

確かにその側面もありますが、
本作ではむしろ、

マリーナ個人に焦点を当てる事で、
「個人が社会との関わりによって受ける痛み」を描写しています。

 

トランスジェンダーであり、内縁の妻であるマリーナ。

しかし、彼女が受ける痛みは特殊なものでは無く、
どんな人間でも受ける普遍的なもの。

彼女の悩みに共感し、共に哀しみを感じる作品、それが『ナチュラルウーマン』です。

 

 

  • 『ナチュラルウーマン』のポイント

マイノリティと社会との関わり

直面する悪意や哀しみをどう乗り越えるか

印象的な音楽

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 音楽あれこれ

先ず、音楽について気付いた事を書いてみます。

ディスコシーンの群舞。

これはマイケル・ジャクソンを彷彿とさせます。

また、風に逆らって斜めに傾いたまま止まる様子は、マイケル・ジャクソンの『ムーンウォーカー』(Smooth Criminal のPV)を思い出します。

幻想的なシーンにマイケル・ジャクソンの影響が見えますね。

そして、ラストシーンにてマリーナを演じたダニエラ・ヴェガ自身が歌うのは「Ombra Mai Fu」。

これは、ヘンデルが作曲した曲で、去勢歌手であるカストラートが歌った曲であるそうです。

マリーナというキャラクターの複雑さに通ずるものがあります。

 

  • ナチュラルウーマン

本作『ナチュラルウーマン』は邦題で、
原題は『Una Mujer fantástica』(スペイン語)。

「fantástica」は英語の「fantastic」に相当するので、
「素晴らしい女性」という様な意味合いになります。

これを、邦題では「ナチュラルウーマン」としています。

一見無意味な感じですが、これは作中、マリーナが車をオルランドの元妻の所に届けるときにかかっていた曲から取られています。

その音楽は、アレサ・フランクリンが1967年に発表した
『(You Make Me Feel Like)A Natural Woman』です。

あなたと居ると私は自然な女性になれる」と訳しましょうか。

なかなか、印象的な部分を邦題として使っていて面白いです。

 

  • 世間は、「人」と違う者を警戒する

マリーナはオルランドと一緒に居るとき、自分は自然に女性として居られると感じていたのでしょう。

しかし、世間はそうは見ない。

やはり、ある種奇異な目で眺めます。

オルランドが亡くなり、動揺するマリーナは挙動不審ですが、それを「容疑有り」と判断する警察対応に、
「偏見は全く無い」と断言出来ない様に見えます。

特に、マリーナを担当する女性警官は「私はあなたの様なタイプの人間の事に理解がある」みたいな事を言っておきながら、
その対応は慇懃無礼の横暴そのもの。

脅しと恥辱によってマリーナを屈服させようとします。

警官の様に、公権力の後ろ盾のある人間の言う「私はあなたの様な人間に理解がある」という言葉は、
「知っている」というだけで、「気持ちを考慮する」という部分は含まれていません

あくまで仕事という建前をかざして、相手を単なる捜査対象、
つまり、「物」としてしか見ていません。

 

また、オルランドの親族も、
マリーナの「性別」を気持ち悪がって嫌がらせをします。

「ムカつくから苛める」という、殆ど小学生みたいなノリですが、
これは「自分の親戚がトランスジェンダーと付き合っていた」という事を恥だと思い
その感情を故人では無く、マリーナに向ける事で「お前の存在が悪いのだ」と言っているのです。

実はこの感情、「トランスジェンダーへの偏見」が無いなら生まれない感情であり、
その自らの偏見による狭量さを相手の所為にする責任転嫁であるのです。

つまり、
相手(一部親族)は何も無い所に悪(実は自分の偏見)を見て、
勝手にマリーナに「お前は悪だ」とレッテルを貼っているのです。

差別は、それを受ける側に汚点がある事は殆ど無く、
その多くは差別する側の偏見や恐怖心から来る

だから、対処が難しいのだと、改めて気付かされます。

 

  • お葬式の効用

葬式は何故するのでしょうか?

宗教的意味合いが希薄となった現代では単なる恒例行事としての意味合いしか無く、
する意味を見いだせない人もいると思います。

しかし、信仰心が無くとも、葬式という行事には重要な意味合いがあります

一つは、まだ生きている親戚が集まり、故人を偲ぶという形でお互いの安否の確認と近況報告をする良い機会となる事です。

年を取れば取るほど、段々と理由が無いと親戚が集まる事が無くなるので、その意味合いが強くなります。

そしてもう一つは、
「葬式」という行事を忙しくする事で、故人を亡くした哀しみを一時でも忘れさせる効用があるという事です。

愛する人が死んだら、哀しみに打ちひしがれます。

しかし、その暇も無く葬式の準備や親戚・知人への連絡、役所への届け出など、やる事は山ほどあります。

これにてんやわんやする間に、いつしか哀しみの一番辛い山を乗り越えていると気付くでしょう。

 

  • 霊に導かれて…

ですが、マリーナはその大事な「葬送」という行事に参加出来ません。

親族一同がマリーナの存在を排除するからです。

偏見と「葬式の不参加」という二重の苦しみにさらされるマリーナですが、そんな彼女を導くのはオルランドの霊(?)です。

「181」というナンバーの付いている謎の鍵を手に入れ、
サウナの貸しロッカーでその鍵を使います。

さらに、オルランドの霊の後に付いて行く事で、火葬寸前にお見送りに間に合います。

 

  • 哀しみを乗り越えるという事

さて、「181」の鍵のロッカーを開けるシーンは本作のクライマックスに当たります。

これは、これまでの展開からすると、
「どうせロッカーの中から、冒頭の会話で無くしたと言っていた旅行券が入った白い封筒が見つかって、その旅先でオルランドを思い出して云々かんぬんして終わるんだろ?」
と予測出来る場面です。

しかし、ロッカーの中は空でした。

何故、空だったのか?
何故、観客の予想をスカしたのでしょうか?

これは偶然では無く、勿論意図した構成です。

これをどう受け取るかというのが、この作品の肝ですが、

私の解釈は、
「死者から都合良く救いが得られる訳では無い」
という、ある種突き放した、しかし、明日を見ていくには必要なメッセージであると思います。

生きて残された人間は、
何時までも哀しみに暮れている訳には行きません。

哀しみに囚われるのもダメですが、
生きる希望を故人由来の何らかの物に依拠するのも又、故人に囚われている事と同意なのです。

オルランドの霊は、ハッキリとした別離をマリーナに促します。

マリーナは独り立ちした事で、一人の女性として生きて行く事になるのだと私は思うのです。

とは言え、思い出まで全て捨て去る訳でもありません。

犬のディアブラが残ったのは、そのよすがだと思います。

 

  • 社会的問題を個人の視点で描写

本作『ナチュラルウーマン』では、
トランスジェンダーへの偏見、
内縁の妻が葬式においてハブられる事など、社会的な問題点に視点を当てていますが、

むしろその描写はマリーナ自身の悩みにフォーカスが当てられています

偏見や問題に晒されてはいますが、
マリーナ自身も、その対応は褒められたものではありません。

親族の言い分をはねつけ歩み寄りはしませんし、
警察にも非協力的です。

ですが、こういう欠点もありつつ、
そして、一見特殊な状況に見えながらも、
その実彼女の悩みは我々が抱えているものと何ら変わらないと、映画を観ている間に気付くのです。

 

 

社会的な問題を個人の目線まで落とし込めば、人は皆その悩みにおいて共通です。

人は、見た目では無く、誰しもが同じなのだという事を教えてくれる、『ナチュラルウーマン』とはそのような映画なのだと思います。

 

 

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さて次回は、ままならぬ人との関わりを描く作品、映画『ハッピーエンド』について語ります。