漫画『アイスバーン』西村ツチカ(著)感想  自分以上を求める普通人の目線!!

 

 

 

母校に度々潜り込んでいた男は、とうとう卒業式にも参加してみた。アイスバーンで滑りやすくなった坂を登る在校生を見て思う、君には未来があるのだと、、、

 

 

 

著者は西村ツチカ
書籍の装丁など、イラストの分野でも活躍している。
漫画単行本に
『なかよし団の冒険』
『かわいそうな真弓さん』
『さよーならみなさん』
『北極百貨店のコンシェルジュさん』がある。

 

『アイスバーン』は西村ツチカの漫画短篇集。
描かれるのは、

自分の日常を少し越えてみたい、普通の人の物語である。

 

8篇収録されている短篇。
そのどれもが、

「いつか見た景色」を思わせる作品となっている。

 

幼年時代、学生時代、青年時代、
いつの時代も、理想と現実の狭間で、その時々の悩みがある。

そういう、

人生のほろ苦い一瞬を切り取った作品集

 

である本作『アイスバーン』。

なんとなく自分にも覚えがある感情、
それに出会えるからこそ面白く、
そして何処か懐かしい感じも覚える、優しい感じの作品集だ。

 

 

以下ネタバレあり


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  • 気付きの瞬間の物語

『アイスバーン』にて描かれるのは、普通の人の日常の物語。

そこには、小市民としての夢や現実逃避やささやかな生活がある。

そして描かれるは、若き日の蹉跌
挫折とまでは行かなくとも、ある種の躓きではあるのだ。

その時は、その瞬間しか知らないので、如何にも深刻な悩みの様に感じる。

しかし、人生は長い。
後から振り返ればそれは、「ああ、そういう事もあったな」とほろ苦く思い出す青春の1ページであるのだ。

しかし、不思議な事だが『アイスバーン』収録の諸作品には、当事者意識と思い出目線が同居している

何故か?
それは、ここで描かれるのは、自分の身の程を知る、その時の物語であるからだ。

ある者は現実を知り、ある者は天才と自分の差を知り、ある者は世間を知る。

知る前と知った後では、同じ人間ではあり得ない。
この、同一人物が分をわきまえる場面を描いているからこそ、二つの目線が同居出来ているのだ。

 

  • 収録作品解説

では、全8篇の収録作品を簡単に解説してみたい。

アイスバーン
アイスバーン(eisbahn)ってドイツ語なんですね。
この作品集の方向性を語るかの様な作品。
その瞬間は滑りそうで危ういだろうが、しっかり歩めば進んで行けるという話。
……ではあるが、そう教示してくれる相手も危うい存在なのが面白い。

P対NP問題
「P対NP問題」とは、ざっくり言うと、
現実的な範囲の時間で「計算」可能な問題(P)は、
現実的な範囲の時間で「検証」可能な問題(NP)と同意であるのか?という問題である。
詳しく説明出来ないから、詳しくはググってね。

つまりこの作品では、
天才から見ると凡人の「無理な夢」だと分かるが(P)、
凡人はそれを実際に自らの人生で「実証」する必要(NP)があるのか?
という問題なのかも知れない。

まぁ、それを抜きにしても、可愛い女の子に辛辣に現実を指摘されるオジサンという構図が面白い。
往々にして、
天才の8割は凡人を見下している
1割が、無垢に凡人の才能の無さを不思議がっている
残りの1割は、自分も昔凡人だったので敢えて触れないタイプであろう。
無垢な天才の言葉の刃が凡人を切り裂く様が笑える反面、泣けてくる。

エキゾチックジャパン
「あ、目が合う、、、」と思う事が勘違いだという事はよくある、懐かしい思い出だ。
また、実は自分の方が意識して見ているからこそ、相手も「あ、見てる」と見返している場面もよくある事なのだ。

ENGLISH CLASS
英語学習で幕を開けるからか、画のタッチがバタくさい
秀逸なのはラスト直前の、独り相撲の疑心暗鬼のシーン。
真に孤独なら自分が孤独とは気付かずに居られたのに、ひとたび友達ができればそういう感情を知る事になるのだ。

東京ノート
文句を言ってこないと高をくくられると、こちらをダシにして自らの優位性を主張してくる輩はいる
創作意欲を著しく削がれる出来事だが、実は、ここから反発心で創造力が伸びて行くのだ。
また、引っ越し前の場所の友達に会いに行っても、いつの間にか違和感が生じているという事もよくある。
その時、自分は既に、新しい場所に属しているのだと知るのだ。

ココット物語
ココットとは、小型の円形の皿の事。
世界には自分しかいないと思っていても、実は人知れず見守って居てくれるモノもいるのだ。

ゲームくん
子供のイジメの多くは雰囲気でやっている。
自分から積極的にイジメを行うというよりは、「乱暴者」の行動を積極的に止めないという状況で発生する。
その上で、自分がハブられない様に、子供は子供なりに立ち回ろうとする
それを「ゲーム」と言ってしまう辺りに子供の残酷さがある。

だが、この作品ではさらに、その枠組み、「上手く立ち回る自分」という事を意識して、その立ち位置をあくまで崩さない事にした人間が描かれているのだ。

友達が描いたマンガ
自伝的な漫画なのだろうか?
ともあれ、題名に「P対NP問題」とか、「ココット物語」とか付けるからサブカルと言われるのですよと言いたい。

 

 

本作『アイスバーン』は作者自身の選集であるという。

つまり、この作品集の統一感は、やはり意図したものなのであろう。

何処か懐かしく、そしてほろ苦い思いが漂う本作品集。

しかし、である。

創作を行う場合は、実はこういう小さな挫折には日々出会う事になる。
凡人ならなおさらだ。

その時、凡人が為し得る事といえば、
諦めず、数打ちゃ当たると信じて続ける事だけである。

まぁ、その続けるラインを何処まで設定するのかも、自分自身の器量によるのですがね。

 

 

オマケ

もう少し「P対NP問題」について語ってみたい。

現実的な範囲の時間で「計算」可能な問題(P)は、
現実的な範囲の時間で「検証」可能な問題(NP)と同意であるのか?

とは、どういう意味か?

例えば、全世界にある
針葉樹を全て青色に、
広葉樹を全て赤色に、
他の植物を黄色に塗る。

と言ったとする。

その場合、どういう分布になっているか一目で分かる(検証出来る:NP)が、
その詳しい数を数え上げる(計算する:P)のは困難である。
それぞれの針葉樹、広葉樹、植物を数え上げるのはほぼ不可能である。

しかし、もしかしたら、現実的な線で計算可能な方法があるのかも知れない。
その証明を行うというのが「P対NP問題」である。

やっぱり、ググってもらった方が良いかもしれない。

 

同時発売の最新単行本、こちらは爽やか風味

 


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さて次回は、自らを知る事は恐怖だが、世界自体が恐怖に塗れていれば、それさえも色褪せる!?小説『魔術師の帝国《1 ゾシーク篇》』について語りたい。