かつて承太郎が焼却したDIOのノート。そこには「天国へ行く方法」が記されていたという。その日記が復元された。ディオは書く、「私の母は愚かだった、何故なら聖女だったから」、、、
原作漫画、荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズ。
著者は西尾維新。
非常に多作な作家な事で有名。代表作に
『クビキリサイクル』(2002)
『化物語』(2006)
『掟紙今日子の備忘録』(2014)等、多数。
本作『OVER HEAVEN』の発売は2011年。
『恥知らずのパープルヘイズ』に続き、ジョジョ連載25周年記念として企画された有名作家によるノベライズの第2弾だ。
因みに第3弾は『JORGE JOESTAR』。
映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない第一章』が公開されたので、合わせて紹介をしたい。
本作『OVER HEAVEN』はディオが「天国へ行く方法」を書いたノート、という設定である。
(DIOではなくディオ)
というか、これはノートというか、日記である。
その内容は
ディオが書くポエムである。
「あのDIOはこんなセンチメンタルな文章なんか書かない」と仰る方もいるだろう。
しかし、このポエムを書いたディオは一部や三部のディオではなく、
第6部のディオが第三部時代に書いた日記
と頭を切り換えて読めばある程度は許容出来るだろう。
何しろ『ジョジョ』の中でも屈指の人気キャラであるDIOのノベライズである。
自分がイメージするDIOとあまりにもかけ離れていて悶絶する人もいるだろうが、
他人が解釈したキャラクターの印象
を知るというのもノベライズの魅力の一つである。
あらかじめ「覚悟」をして割り切って楽しんでみよう。
以下ネタバレあり
スポンサーリンク
-
部によるDIO像、あれこれ
第一部のディオ・ブランドーはギラギラした野心家である。
一見とりすましたクールな姿を一皮むけば、ドス黒い本性が垣間見える。
そして、自分の目的の為には手段を選ばずしつこく食い下がっていく様子は、ある意味尊敬出来る精神性であった。
第三部のDIOは悪のカリスマ。
帝王たる自らの他は全てゴミ。
支配者たるこのDIOにひざまずけばよかろうなのだと言う、その圧倒的な自負心が敵味方問わず恐怖を生み、そこが崇拝されるゆえんのキャラクターであった。
魅力的な一部、理想的なボスキャラの三部とうって変わって、第6部のディオには、「えっ!?」と困惑させられた。
友達もいるし、子供もたくさんいる。
なんというか、今までのイメージと違う一面と言えば聞こえは良いが、ぶっちゃけ「そんな普通の人間みたいな事するキャラクターだっけ?」と鼻白んだのが事実だ。
だがそれも「プッチ神父から見たディオ像」と捉え、崇拝者にはそう見られていたんだと考える事が出来た。
そして、本書『OVER HEAVEN』はその第6部のディオのイメージを踏襲し推し進めている。
そこには、吸血鬼ディオ、支配者DIOの貫禄は無い。
一個人である人間ディオの弱さ、悩みが赤裸々に、且つ情緒的に綴られている。
-
推し進めたキャラ崩壊
DIOは『ジョジョの奇妙な冒険』でも1、2を争う人気キャラだ。
故に、読み手の「DIOのイメージ」は千差万別であり、実際のDIO像を越えた理想的悪役キャラとしてインフレを起こしている部分もある。
しかしだ。
それを踏まえた上で、敢えて「6部のディオ」を描く事は果たして読み手の期待に応えたかと言うと、そこには甚だ疑問が残る。
物語り自体はそれなりに面白い。
ディオが子供を作っていた理由や、「36の犯罪者の魂」を集める理由を独自に解釈しているのは良かった。
(成否は別にして)
だが、あのDIOは
「エジプト9栄神つよい、、、ボクでも一対一でかてないかも、、、」(p.196)
なんて絶対に言わない。
また、無駄な繰り返しが多すぎる。多すぎるのだ。
DIOがこんな文章を書くなど受け入れられない。私には受け入れられない。
物語る事に夢中で、その結果、ファンが読んだら激怒するという細部の世界観を蔑ろにしている。
面白い面もあるのに、詰めを見誤っている。
そこをキチンと描けていれば、「第6部のディオとはこういう者だった」という新たな視点を提示出来、傑作にもなり得ただろう。
惜しいものを持ちつつも、DIOファンであればあるほど不興を買うであろう『OVER HEAVEN』。
原作付き小説の面白さと難しさを同時に教えてくれる。
スポンサーリンク
さて次回は、同じ『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズだが分厚い上に字が細かい『JORGE JOESTAR』について語ってみたい。