映画『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』感想  生き辛い世の中で、生きて行く儚い者達

死刑を執行されたが、生き残ってしまった男、梶木秀丸(かじきひでまる)。
殆ど前例の無い状況に、当局は梶木を、精神科病棟いわゆる「閉鎖病棟」のたらい回しにて、世間から隔絶させた生活を送らせている。
現在、梶木が入院しているのは長野県の「六王寺病院」。そこに、一人の少女が入院してくる、、、

 

 

 

 

監督は、平山秀幸
監督作に、
『マリアの胃袋』(1990)
『学校の怪談』(1995)
『魔界転生』(2003)
『しゃべれども しゃべれども』(2007)
『必死剣 鳥刺し』(2010)
『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016) 他

 

原作は、帚木蓬生(ははきぎほうせい)の『閉鎖病棟』。

 

出演は、
梶木秀丸:笑福亭鶴瓶
塚本中弥:綾野剛
島崎由紀:小松菜奈
井波(看護師長):小林聡美
重宗:渋川清彦
丸井昭八:板東龍汰 他

 

 

 

皆さんは、好きな映画のジャンルとかはありますか?

私の場合は、
今も、昔も、
ハリウッド式、痛快・ド派手なアクション映画が大好きです。

今でこそ、
10代女子向け恋愛映画や、幼児向けアニメ以外の作品は、分け隔て無く観ますが、
昔は、ジャンル的な嗜好として、
アクション、ミステリ、サスペンス、ホラーに偏っていましたね。

 

特に10代の頃なんて、
「恋愛映画は軟弱、ヒューマンドラマは惰弱」とイキっていた記憶があります。

予定調和の「お涙頂戴」の展開が、つまらなく思えていたのです。

しかし、実は、
恋愛ものやドラマ系の映画の鑑賞において、
その映画を楽しむには、
自らの人生経験というバックボーンが必要なんですよね。

その上で、
決して、超人では無い、観客と同じ様な一般人が、
日常にまつわる、困難な事項に直面したり、
選択を迫られる状況に煩悶したりする部分に、
感情移入するのです。

 

10代の頃なんて、
自分中心に世界が回っていると思いがちです。

だから、
普通の人間の普通の生活なんて、
面白くも、何とも無いと考えてしまうのです。

しかし、
自分の分を弁え、
世界・社会と自分の関わりについて考える様に至ると、

ドラマ系の映画で描かれる、
一般的な、等身大の人間の喜怒哀楽の描写に、
勇気や希望を貰う事が出来る、

そういった見方を得る様になるのです。

 

とは言え、
本作『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』にて描かれる舞台は精神科病棟。

閉鎖病棟とは、
ざっくり説明すると、
患者や面会者が、病棟を自由に出入り出来ないように各所にゲートを設け、
施錠しているタイプの病棟の事を言います。

そんな精神科病棟の物語、言い方は悪いですが、
日常生活が困難なレベルの人間が入院しているという意味では、

普段、敢えて見ない様にしている、
臭い物に蓋をしている世界と言えます。

また、
ニュースなどで、
犯罪者の減刑を勝ち取る為に、
心神耗弱の理由付けとして「精神科の判断を仰ぐ」という展開を見るにつけ、
何となく、胡散臭いイメージもあったりします。

そんな、
見たくないものを、
敢えて見つめるという映画が、
『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』なのですが、

実際、
本作を観た感想としては、

ああ、
これは世間の縮図なんだな

 

と思わずにはいられません。

 

精神科病棟という、
限られた空間の中でも、

日常生活が困難なレベルの人がいれば、
個性的な面子もいたり、
また、何かのトリガーは入るまでは、頭脳明晰なタイプなど、
色々な面々がいます。

その中で、
人間関係の相性もあり、
仲の良い面々で集まったり、
一目置かれている人、
忌み嫌われている人なんかも居るのです。

 

物語は、新たに入院してくる由紀(小松菜奈)の視点と共に、
我々観客も、舞台の六王寺病院を知る事になります。

皆、クセの強い面々、

そんな彼達、
病院に「押し込められている」反面、その状況に安心しつつも、
「ここから出たい」と、痛切に願ってもいるのです。

 

作中、
秀丸は言います、
「ここは不思議な所でな、ここに居ると、患者の様に段々なってしまう」と。

そして、中弥は、
入院患者の過去を知りたがった由紀に対し、
それをやんわりと諫め、
「事情な無い人なんて、居ないからね」と言います。

 

様々な事情を抱えつつ、
世間的には、「弱者」として、迫害されている患者の面々。

しかし、
彼達は、彼達なりに、生きようと、前に進もうと必死なのです。

 

映画を観る我々は、
どちらかというと、
一般人的な人が多いでしょう。

いわば、
入院患者を、閉鎖病棟へと「押し込める」側の人間です。

でも、彼達も、
弱者、精神病と忌み嫌われながらも、

彼達が見せる、

世間・社会に対する決断は、
我々と全く変わる所はありません。

 

だからこそ、
その勇気や選択に、
観客も、共感する事が出来ると言えます。

世間から、
より厳しい目で見られる立場だからこそ、

せめて、
本作を観る我々だけでも、

日常生活において、
彼達の立場について、思いを馳せる事も必要なのではないでしょうか。

 

『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』は、
色々と思う事があり、
消化しきれない部分も多いでしょう。

それでも、
丁寧な作りで、
優しい気持ちと、勇気を貰える、
そういう作品だと言えます。

 

 

  • 『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』のポイント

一歩前へと進む、勇気と決断の物語

ここでは無い、何処かを求める者達

厳しい状況に立ち向かう、優しさと強さ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 我々と同じ、「弱者」の物語

本作『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』は、
精神科病棟での物語。

精神科に掛かっている人とは、
何となくイメージとして、
日常生活の困難な、社会的な弱者という印象があります。

しかもそのイメージには、
「関わると厄介な存在」というネガティブな面も付随しています。

だからこそ、
本作の舞台である様な、
閉鎖病棟で生活する人々に対し、
一般人は、
何処か、偏見というか、マウントを取る部分があります

 

本作でも中弥が、
妹夫婦の、母の家を売却し、母を施設に入れるという提案に懸念を示した時に、

妹に、
「あなたが発作を起こした時に、どれだけ私達が大変だったか」とか、

病院を退院するという中弥に、
病院は厄介払い出来て嬉しいでしょうが、こんな頭のおかしい人を、野放しにするなんて」と、

綺麗事では済まされない、
関わった人間(家族)の生の本音を吐露しています。

 

これは、一見極端な口撃の様にも思えますが、
しかし、
本作を観る、我々一般人の、
普通の余裕の無い反応であるとも言えます。

 

とは言え、
本作は、閉鎖病棟に暮らす人々の目線で描かれた作品。

本作を鑑賞するにあたって、
観客は、
入院患者の目線で、物事を捉える立場に共感を得る事になります。

その目線で観ると、
我々が、普段、何も意識せずに持っていた、
精神病患者や依存症患者に対しる「イメージ」が、
実は、差別感情であった事に気付くのです。

 

確かに彼達は、
精神病などの影響で、
感情の起伏が激しくなったり、制御が効かなくなったりして、
それを抑制する為に、
薬を処方され、
ボンヤリとした日常を生きている様に見えます。

しかし、
その心の中には、
「こんな所で死にたくない」「ここから出たい」という気持ちを強く持っており、

その反面、
「ここから出て、社会と対峙する事が不安だ」「自分は、世間に出てはいけない場違いな人間なんだ」という、

二律背反する思いに心をかき乱されています。

 

こういう思い、
「今の自分は、本当の自分では無い」と煩悶したり、
「新しい事をやろうとする時、上手くいかないかも」と不安になったりする感情は、

我々と全く同じなのではないでしょうか。

 

入院患者を見てみると、

取っつきにくそうに見えて、
態度に芯が一本通っている、秀丸。

スイッチが入った時以外は、
物腰の柔らかく、いたってまともな中弥。

毒を吐きつつも、
相手の事を思いやる気持ちを持っているツンデレなキモ姉 etc…

ちょっと変わっていて、行動が突飛で、感情の起伏が激しくとも、
よく見ると、その思考の道筋は、
極普通なのだと、理解出来ます。

 

閉鎖病棟の面々は、
ただ、私達と比べると、より、生き辛いというだけ。

だから、差別や偏見を捨て、
彼達の決断を受け入れる事は、
実は、我々自身の困難を乗り越える時の、勇気になるのではないのか?

本作は、
そういう訴えを持った作品だと言えるのです。

 

  • 「受け入れる」という事

とは言え、
「受け入れる」と、言葉で言っても、
それが難しという現状があるのも又、事実ではあります。

本作でも、
一般人として描かれる中弥の妹は、
家族として関わる人間の苦境を訴えますし、

由紀の両親は、
どちらも日常生活を普通に送る人間でありながら、
倫理的には、狂っている存在です。

 

そんな中、本作では印象的なシーンがあります。

暴行された由紀が病院から抜け出し、
夜の町で一人、うつむいている場面です。

路地裏に居る彼女を、
水商売風の酔っ払いが見つけます。

最初は、
「こんな所で寝てたら死ぬぞ」と心配する風で由紀を立たせますが、
彼女の顔を見た瞬間、
「ガキが、甘ったれてんじゃねぇーぞ」と、
捨て台詞を吐いて去って行きます。

屋根に上げた後に、ハシゴを外す様な行為。

こういう、
叩くために、弱者を標的として立たせるという行為は、
実は、
我々が生きるこの世界、社会において、
最も一般的で、普通に行われている邪悪な行為と言えます。

 

言葉での「受け入れる」「寄り添う」というものと、
行いの隔絶がそこにはありますが、
我々が実際に関わる場合、
その違いを明確に意識する必要があるのですね。

 

本作においては、
看護師長の立場が、印象的に描かれています。

相手立場、思いを理解し、それを尊重しつつも、
一定の距離感を保つ。

そういう優しさと厳しさの同居こそが、
本当に、
相手に必要な関わりなのだと思います。

 

  • これからの社会を考える

さて、
印象的なエピソードとしては、もう一つ、
石田サナエという患者の話があります。

石田サナエは、
家族の元で食事と外泊をすると言い、
頻繁に病院から外出許可を取っている人です。

しかし、
入院患者も、病院のスタッフも、
実際には、彼女に家族が居ない事を知っており、
そういう「設定」での石田サナエの天真爛漫な行為を、受けいれて対応しているに過ぎないのです。

 

設定上では、
石田サナエはてんかん患者で、
他の精神病患者と比べると、格段に普通よりの人物。

他の患者からは、
外泊を羨望の眼差しで見られ(るという設定)ながらも、

彼女は、公園での孤独死を選択します。

 

現在、引き籠もりは、
実は、40代の人間が、最も多いと言われています。

これが、10年、20年先には、
彼達の親の世代が亡くなって行き、
孤独な引き籠もりが、社会に多数生まれる事になります。

 

本作の石田サナエは、
その笑顔の下に、
人に知らせない孤独と絶望感を抱えていました。

一人、海の見える公園のベンチで、
菓子パンを食いながら「いつでも夢を」を口ずさむシーンは、
胸が苦しくなります。

 

自分が世間と関われないという思いから、
自死を選ぶ、
孤独で、見栄っ張りな人間

今後増加するであろう、石田サナエの様な精神的な引き籠もりを、
これからの社会は、受け入れる準備が必要なのだと、
思わずにはいられません。

 

このエピソードと対比されているのが、
本作のメインのストーリーラインです。

秀丸は、
中弥や由紀から慕われている存在です。

しかし、
その当の秀丸は、
自分が再び殺人を犯した事で、
絶望の淵に立っています。

それでも、
中弥が病院を出たという選択や、
由紀の「立ち上がる力を、秀丸さんから貰いました」という裁判所での告白を聞く事で、

秀丸自身にも、変化が見られます。

 

人に、そう想われているのなら、
自分は、そういう人間にならなければならない

由紀や中弥に、
世間に立ち向かう勇気を、自分が与えたというのなら、

自分が、
彼達の想いに相応しい人間にならなければいけない。

そう思ったのか、
秀丸は、萎えた足で、立ち上がろう、立ち向かおうとするシーンで、
本作は幕を降ろします。

 

人は、孤独によって、死に至ります

絶望は、『死に至る病』とキルケゴールも言っています。

しかし、だからこそ、
人との関わりこそが、
世間に立ち向かって行くという勇気を与えてくれると言えます。

 

 

差別や偏見を取り払い、
受け入れる事の大切さと、

前に進むという選択と勇気について描いた作品『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』。

人と、人との関わりとは、
優しさや、厳しさとは、
色々な事を考える切っ掛けとなる作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

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