映画『半世界』感想  お互いの人生が「半世界」と理解する事、それが、相互理解に繋がる!!


 

とある地方都市の郊外の山中にて、炭焼き窯にて備長炭を製炭し、販売している高村紘。カーショップを経営する岩井光彦。彼達の幼馴染みの沖山瑛介が、自衛隊を辞め、妻子とも別れ突然帰ってきた、、、

 

 

 

 

監督は阪本順治
監督作に
『どついたるねん』(1989)
『新・仁義なき戦い』(2000)
『亡国のイージス』(2005)
『北のカナリアたち』(2012)
『エルネスト もう一人のゲバラ』(2017)等がある。

 

出演は
高村紘:稲垣吾郎
沖山瑛介:長谷川博己
岩井光彦:渋川清彦

高村初乃:池脇千鶴
高村明:杉田雷鱗
岩井為夫:石橋蓮司 他

 

 

 

『半世界』。

出演者、監督インタビュー付きの先行上映会に行ってまいりました。

まぁ、中継を観ただけなんですけれどね。

未見の段階で、
ネタバレにならない程度で語るのは、難しいもので、

作品の内容については軽く触る程度で、
なかなか当たり障りの無い話題に終始していました。

それでも、
一生懸命、話題を盛り上げようとする、
稲垣吾郎さんや池脇千鶴さんには頭が下がりますねぇ。

昨日(2019/02/14)はバレンタインという事で、
稲垣吾郎がバラの花束を「全国の奥様達へ(代表して池脇千鶴へ)」プレゼントするというサプライズもあったりしました。

ちょっと面白かったのは、

撮影、録画は禁止されていましたが、
事前に「撮影タイムを設けます」と宣言されていたんですよ。

そして、司会の方が、
「では皆さんお待ちかね、撮影タイムに入らせて頂きます」
と仰って、

みんなが撮影を開始したのですが、
直後、司会の方が、
「一般の皆さまはまだです。先ずは、メディアの方から」
「皆さんが一斉に(スマホを持って)バッと手を挙げて、わたし、困惑してしまいました」
と、言われるシーンがありました。

いやいや、
直前に「皆様お待ちかね」と言いましたよね、
なんで、
スタート台に上がった選手に「私がスタートと言ったら、スタートして下さい」と言って、フライングを誘発するコントみたいな事を言ったんですか?

と、心の中で、ツッコみました。

しかし、こういう、
害の無いちょっとしたアクシデントも、
ライブならではの面白さと言えますね。

 

 

さて、その『半世界』。

題名から
推して知るべし、

人生の、およそ半分を生きた人間が、
もう一つの半分に、思いを馳せる、

 

そんな作品となっております。

 

 

思春期の明という息子を抱え、
しかし、その世話は妻の初乃に任せっきりの紘。

彼は、炭焼き窯を一人で切り盛りしていますが、
先行き不安定な仕事に不安を抱えています。

それでも、
帰って来た瑛介の、廃家となった実家の修繕を手伝ったり、
引き籠もりがちの彼を何かと気に懸けたり、

紘は紘なりに、幼馴染みにかまいます。

どうやら、
瑛介は何か訳ありで、
悩みを抱えているようですが、
そんな彼に、紘は自分の仕事を手伝えと言います、、、

 

 

地元から出ずに、
ひたすら職人気質で働いて来た、紘。

自衛隊に所属し、
海外派遣され、広い世界を経験してきた、瑛介。

そんな二人を繋ぐ、光彦という存在。

別々の道を生きてきたアラフォー男子。

ベタベタしたものではありませんが、
しかし、

暖かな、
気心の知れた男同士の友情、

 

それらを通して、

色々な思いを馳せる作品と言えるでしょう。

 

孔子の『論語』に、
「四十にして惑わず」という言葉があります。

しかし、
アラフォーにして、まだまだ人生、絶賛惑い中の彼達の生活をから、
きっと鑑賞者は何らかの物を持ち帰る事となる。

『半世界』とは、そんな作品と言えます。

 

 

  • 『半世界』のポイント

役者と、役柄

登場人物それぞれが見る世界

どんな世界で生きても、それは、半世界

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 半世界

先行上映会の時、
司会の方が、何故、主演を稲垣吾郎さんにしたのですか?
という質問に対し、監督は

違う世界がある、それを稲垣吾郎に見て欲しかった

と仰っていました。

それこそ、
稲垣吾郎のみならず、我々観客も感じ入る事が出来る、
本作『半世界』のメインテーマなのです。

 

以下、ラストのオチにも触れた解説となっております

 

 

炭焼き窯で働く紘。

地元で、父の職を継ぎ、一人、黙々と日々、働いています。

対して、
自衛隊で海外に赴任し、
戦場で受けたPTSDに苦しみ、
亡くした部下に対する罪悪感、責任感から逃れられない瑛介。

彼は、世界の広さを見てきた人物。

その、瑛介が訳ありだと気付きつつも、
幼馴染みとして支える、紘と光彦は、

引き籠もりがちの彼の目を外に向けさせようと、
実家の修繕を手伝ったり、
炭焼き窯の手伝いをさせたり、
飲みに誘ったり、
色々かまいます。

 

しかし、
瑛介は、作中で言います。
「お前達は、世界の何たるかを知らない」

海外の体験で、心に傷を負った瑛介は、
地元から全く外に出ずに生きてきた、幼馴染みの紘に、そう言います。

安穏とした世界で生きる幼馴染みには、
自分の苦しみは、結局理解出来るハズが無い、

瑛介はそう言うのです。

紘は、それに対し「意地悪な事言うなよ」とボヤき、全く反論出来ません。

しかし、それでも、こう言います。
こっちも世界なんだ」と。

 

それは、紘の仕事を手伝った瑛介には、
本当は分かっていた事です。

紘はたった一人で、

木の伐採、それを搬送し、
窯で木を焼き、それを監視し、
窯出しし、炭を作り、
営業までこなしています。

確かに狭い世界です。

しかし、安穏としている訳では無い。
地獄のワンオペを、延々と日々、続けている

紘は、自分の世界で、
懸命に生きているのです。

 

紘には紘の生活があって、
それは、瑛介が体験して来た苛酷さと、
種類が違えど、優劣の有る物では無い。

そう分かっていても、
瑛介は壁を作らずにはいられません。

そんな瑛介も、
紘の葬儀で知ります。

部下を喪った哀しみ、

幼馴染みを喪った哀しみ、

違う世界に属していても、
人の死と、それに伴う哀しみに、
世界の違いは無いという事に。

 

人は、自分が生きている世界しか知らず、
どうしても、
目線は、そこに固定されがちです。

しかし、
世界には無数の生活があり、
十人十色、それぞれの世界があるのです。

自分の生活で知れる世界というものは、
どれだけ見積もっても、「半分」

そういう謙虚さを、
本作は訴えているのかもしれません。

 

そういう「世界」というスケール感もさることながら、

本作の「半世界」という題名には、

登場人物の「四十」という年齢的な視点の意味も含まれています。

 

「四十」と言えば、

孔子は『論語』で、
「四十にして惑わず」と言いました。

しかし、現在では、四十といっても、
まだまだヒヨッコ。

本作でも描かれている通り、
人生の目的も定まらず、
経済的にも、心理的にも、
未だグラグラしているのが、現代の四十代といった所です。

四十代、
まだまだ人生、半分あまり、
と言った所でしょうか。

 

しかし、
紘の様に、人生半分どころか、
今日、突然終わってしまうかもしれません。

結局、
死ぬまで人間というものは、道半ば、

「半世界」なのかもしれませんね

 

  • 立場、目線、世界

本作は、幼馴染みの三人の関わりにて、
「半世界」を意識させるのがメインですが、

それと並行して描かれる、
紘の家族とのストーリーも共に、
「半世界」を描くファクターとなっています。

中でも、
息子の明の目線が、本作の「半世界」を、観客に自然と理解させる要素となっています。

 

仕事にかまける紘は、
息子の明の世話は、妻の初乃に任せっきり。

イジメの相手を
「いい友達じゃないか」などと、デリカシーに欠ける発言をしたりして、
明の反発を招いています。

親友の光彦に、反抗的な明の事を相談するも、

「お前は、息子に興味が無い事を、見抜かれているんだ」
「お前のオヤジは、まだ息子のお前に興味があったぞ」

こう、痛い図星を指されて、思わず反発してしまうような体たらくです。

そんな様子に、
明も、観客も、
「紘は全く分かっていない」
そう、思わずにはいられません。

 

しかし、
紘に頼まれた瑛介が、明と食事に行くシーンが印象が変わります。

瑛介は、
イジメられている明を助け、
喧嘩の仕方を教え、
かねてから頼まれていた通りに、明を食事に誘います。

そこで語られる、瑛介の紘の姿に明は気付かされるのです。

 

紘の仕事は苛酷である。

仕事を手伝った瑛介の生の言葉です。

そして、
苛酷な仕事と分かっていつつ、
仕事を継がせたくなかった、自分の父への反発心から、
敢えて仕事を継いだ紘の心情を語ります。

「ヤツは仕事でいっぱいいっぱいで、お前の事を考える余裕が無いんだ」
こう紘の事を評する瑛介。

 

何を選択し、どんな世界で、どう生きるのかは、
それぞれの人間の人生です。

人は、自分の見えている世界がその全てですが、
実際には、
それぞれ、数多の人生、世界が存在しているのです。

自分の世界だけが全てとは考えず、
相手には、相手の世界がある、
それを相互に理解し、互いに歩みよれば、
互いの「半世界」が合わさって、その関係は全うするのではないでしょうか?

 

明も、観客も、
イジメでいっぱいいっぱいの自分と同じ様に、

父・紘も、
日々の生活でいっぱいいっぱいであると知ります。

いっぱいいっぱいの自分は、紘を批判していた、
しかし、
同じいっぱいいっぱいの父は、不器用ながらも、歩み寄りの姿勢は、ずっと見せていました。

そして、
紘は、補導された明が反抗的に去って行った時、
振り返りもしなかったと指摘され、こう答えます。

「(立ち去って行く)背中を見るのが、怖かった」と。

明は、振り返ってくれなかった父に失望していましたが、
父も、立ち去る明の姿を怖れていた。

立場、目線は違えど、
同じものを怖がっていた

それを理解したからこそ、
明は、父に歩み寄りを見せたのだと思います。

 

最初は、やや反発しつつも、
映画を通して、紘という人となりを知る事で、

最後には、明と共に、
紘に対する印象が変化する。

そういう丁寧な作りになっているのが、好感が持てる所です。

 

  • 稲垣吾郎という人物

監督、阪本順治は、
本作の登場人物を設定するにあたって、

演じる役者自身のパーソナリティをも、
役柄のキャラクター性に加えた

いわゆる、当て書き的な事をしていると言います。

しかし、それならば、
紘の役は、
もっと、三枚目で無骨な感じの役者が演じた方が、
役柄と合っていたのではないか、
そういう疑問も生まれます。

いくら髭を生やしたとは言え、
ハンサム稲垣吾郎には、
スマートでクールな印象があるからです。

 

しかし、長く芸能会で生きて来た稲垣吾郎に対し、
監督は「素朴な印象を受けた」といいます。

その印象は、
炭焼き職人という気質に、通ずるものがある、
監督はそう思ったのだそうです。

そして、
先行上映会での
「稲垣吾郎に、見た事のない世界を見せたかった」
という言葉、

それに、
「半世界」という作品のテーマを加えると、
色々と感じ入る所があります。

 

「SMAP」という国民的なアイドルグループを解散し、
大手事務所から独立し、
新しい世界を目指した稲垣吾郎。

『半世界』の撮影は、2018年の初頭から始まったとの事なので、
丁度、稲垣吾郎自身の露出が、減っていた時期に合致します。

 

アイドルという特異な枠組みで生きて来た稲垣吾郎。

しかし、それは、
広い世界からすると、「半世界」でしかない。

「炭焼き職人」という役を体験する事で、
世界には色々な選択肢があるのだと、

監督から主演に対して、エールを送ったとも読み取れます。

 

確かに、本作は映画ですが、
そこには、
稲垣吾郎という人物が、今、正に置かれている状況が、如実に反映されていると、
観て取れます。

そういう意味において、
本作はやはり、
主演の紘は、稲垣吾郎意外には有り得ない。

そういう作品と、言えるのではないでしょうか。

 

 

 

人は、自分の生きている世界に囚われがちです。

しかし、
自分にとっては全てでも、
その世界は「半世界」でしかない。

そういう謙虚さを学ぶと共に、

どんなに偉そうな人間でも、
送っている人生は、
自分と同じ「半世界」にしか過ぎない、

だからこそ、
自分は、目の前の世界を、胸を張って生きて行くべきだ。

そういう、
市井の人間の素朴な生活にエールを送った作品、

『半世界』は、そういう作品なのです。

 

 

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