映画『ファースト・マン』感想  英雄を、人間としてとらえた作品


 

民間企業で飛行機のテストパイロットとして働いていたニール・アームストロング。彼は、NASAの求人募集を見つけ、応募する。NASAの「ジェミニ計画」、それは、人類を月へと送るというミッションへの第一歩だった、、、

 

 

 

 

監督は、デイミアン・チャゼル
主な監督作に
『セッション』(2014)
『ラ・ラ・ランド』(2016)がある。

 

原作は、ジェイムズ・R・ハンセンが執筆した伝記、
『ファースト・マン 初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生』。

 

出演は、
ニール・アームストロング:ライアン・ゴズリング
ジャネット・アームストロング:クレア・フォイ

エド・ホワイト:ジェイソン・クラーク
エリオット・シー:パトリック・フュジット
バズ・オルドリン:コリー・ストール

ディーク・ストレイン:カイル・チャンドラー
ボブ・ギルルース:キアラン・ハインズ 他

 

 

 

宇宙関連の名言として、最も有名な物と言えば、
世界初の有人宇宙飛行を行った、ユーリイ・ガガーリンの
「地球は青かった」でしょう。

 

この言葉を言ったのは、ソ連のロシア人。

宇宙開発において、
常にソ連の後塵を拝して来たアメリカにとっては、屈辱のセリフと言えるのかもしれません。

故にアメリカは、
ソ連(当時)を追い越せと躍起になり、
莫大な国家予算を投入し、
人類(アメリカ人)を月に送り込もうとしました。

本作『ファースト・マン』は、
その

狂気の沙汰を実現させた、
人間の不可能性への挑戦

 

を描いた作品と言えます。

 

国家の威信を懸けて取り組んだプロジェクトにて、
人類初の月に足跡を残した人間、
ニール・アームストロング。

英雄として知られる人物ですが、

本作では、

彼個人の功績にスポットを当てたというより、

偶然と巡り合わせ、
多くのスタッフの奮闘、
夫の帰還を願う、妻や家族達の様子、

 

そういう、
今までに知られずにいた事実を描く事にも、
注力されています。

 

そして、
ニール・アームストロングというキャラクターについては、

英雄としての側面より、
一、人間としての、センシティヴな側面が描かれています。

 

 

殊更、
アメリカ万歳、
英雄万歳、

そういう士気の発揚を目的とした作品では無く、

不可能性へのチャレンジを行う人間の精神と、
「英雄」と呼ばれた人間の、一人の人間として生きる苦悩と葛藤、

そういう普遍的なものを描いた、
『ファースト・マン』は、そういう作品と言えるのです。

 

 

  • 『ファースト・マン』のポイント

ドキュメンタリーと言うより、むしろホラー的!?

一人の功績に、非ず

喪失の哀しみ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • まさかの!?ホラー的な演出

過去の有名人、
大事件の当事者、
歴史上の偉人、

彼達を題材にして映画化したら、
その作品は、さぞ面白いだろう!

…と、思えども、
実際は、
「実話」フィルターがあったとしても、
大して面白くない事が多いですよね。

事実として凄い事と、
映画の面白さとは、また別なのです。

 

それが、本作は、面白い!

勿論、実話ならではの面白さがあります。

歴史上の人物「ニール・アームストロング」、
そして、出来事「月への到達」、
そこに至るまで何があったのか?

それを知る喜びがあります。

本作は、それプラス映画としての面白さ、
「観る」面白さ、臨場感があるのです。

では、
本作の「観る」面白さは、何なのでしょうか?

それは
ホラー的な演出にあります。

 

冒頭、
X-15の試験飛行のシーン。

映画の最初のシーンで、イキナリ飛行機?で空を飛んでいますが、
何の説明も無く、
観客は、何が起こっているのか分からないのです。

しかし、
ガタガタ揺れる飛行機、
苦悶のニールの表情に、
何か分からないが、何かヤバイ事が起きていると察する事が出来ます。

ジェットコースターの様なスピード感+命の危険に晒される恐怖。

下手なアクション映画より、
見応えがあります。

そう、
本作は、乗り物に乗るのが、怖い映画なのです。

 

X-15だけではありません。

ジェミニ8号へと向かう、
その道は、まるで、死刑囚が処刑台へと向かうかの様な雰囲気

いざ、ジェミニ8号に乗り込んだら、
さながら、棺桶が閉まる様なきしんだ音を立てて、扉が閉まります。

そして、先行するアジェナ目標機の打ち上げを、
その棺桶の中で、
グラグラ揺れながら知る事になります。

きしむジェミニ8号、
「オイオイ、地上で既にこの体たらくで、大丈夫か!?」
観ているコッチが不安になります

 

息苦しく、狭い空間は閉塞感に満ちています。

そして、音で喚起される恐怖。

ホラー映画は、
そのパターンとして、
何か起こる前に「音」を先行させるという演出があります。

本作でも、
その「音」が怖いのです。

ギィィ~ッと閉まる扉、
悲鳴の様にキィキィきしむ機体、
ビービーうるさい警告音。

ロケットを飛ばすという行為。

それは、実話メインの本作でおいても、
アクション的な派手さがありますが、

それを「音」の演出でコーティングする事で、
恐怖に塗れたものとする。

 

実話メインでありながら、
アクションの緩急と、
ホラーのスパイスがある

だから、本作は最後まで飽きずに観る事が出来るのです。

 

  • 英雄を、一個人として描く

本作『ファースト・マン』は、
本国アメリカで公開された時、

そのクライマックスの月への到達のシーンにて、
「月にアメリカ国旗を立てる」
その場面が無いと批判されたそうです。

 

確かに、
アメリカの宇宙開発は、

冷戦当時、
ソ連との疑似戦争とも言えるものであり、

宇宙開発で、悉くソ連の後塵を拝して来たアメリカにとって、

明確に自国の優勢を全世界に知らしめた「月への到達」というイベントは、

国威発揚そのものであったと言えます。

その観点からすると、
クライマックスは「アメリカ国旗」が必然なのかもしれません。

 

しかし、
月にアメリカ国旗が立っているシーンは確かにありましたが、

本作は、
その、アメリカ人が喜びそうな「月に国旗を突き刺すシーン」そのものは描いていません。

どうして、そういう構成にしたのかというと、

私は、
ニール・アームストロング自身の有名なこの言葉を、
本作は考慮したからだと思います。

That’s one step for man, one giant leap for mankind.
(人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である)

 

国威発揚の宇宙開発において、
その象徴たるパイロットは、謂わばアメリカの英雄そのものとして扱われました。

しかし、
その型に嵌めてしまうと、
「アメリカ」という限界内の話になってしまいます

本作は、その限界をとっぱらった、
「人類」という枠組みで、「月への航海」を描きました。

即ち、
「アメリカの英雄」として、「個人を英雄視」するのでは無く、
もっと大きな枠組み、「不可能性に挑戦した人類の偉業」として描いているのです。

 

本作で描かれるニール・アームストロングは、
あくまで、普通の人間。

アポロ11号に乗ったのも、
候補者達が全員死亡したという、痛ましい事件の結果の、
偶然の巡り合わせに過ぎません。

そして、
宇宙飛行は沢山のスタッフに拠って支えられています。

また、
地上で夫・父の無事を願う、家族の存在。

彼達は、
「死んで、二度と戻らないかもしれない」
というストレスに、
常に晒されています。

そんな、皆の存在、
奮闘と応援、苦悩が背景にあってこそ、
その結果として、偉業が達成されたのです。

英雄としての、一個人の一歩では無い、
それは、支えてくれたスタッフ、家族、皆の功績、
つまり、人類全体に敷衍する事で、より大きな一歩となる

そういう解釈で本作は描かれていると言えます。

 

  • ニールの喪失の物語

本作は、ニール・アームストロングを英雄として絶対視するのでは無く、

あくまで、一個人として描いています。

とは言え、
『ファースト・マン』はニールが主役の物語。

彼を主役として扱うに当たって、
英雄として描かず、
どの様なアプローチを見せたのかというと、

本作は、
ニールの「喪失の物語」として描かれています。

 

ニールは、亡くした娘のカレンの事が、
ずっと心に残っています。

辛い治療の後、
しかし、命を喪ったカレン。

ニールは、
様々な切っ掛けで、彼女を思い出します。

 

同じ民間人出身の、エリオットの葬式時、
他の家庭の子供達に混じって、
カレンもその場に居るかの様な錯覚を覚えます。

沢山いる子供達。

捜せば、その中にカレンが居るのでは?

しかし、勿論、そんな事は無いと、
ニールは知っています。

また、エドが息子の成長を喜ばしく思うとニールに語るシーン。

エドの息子トークを聞いていたニール。

その通りがかり、
ふと、昔住んでいた場所で、
カレンが愛用していたブランコに、よく似た物を見かけます。

その二つがトリガーとなり、
ニールはエドの話が耳に入らなくなり、
内省の世界へと突入します。

カレンは幼くして墓に入りましたが、
ニールの人生に、未だ色濃く、
その亡霊が影響を与えているのです。

 

亡霊と言えば、
ホラー映画では、悪影響を与える不気味な存在として描かれがちです。

しかし、
実際には、本作で描かれた通り、

ふとした切っ掛けで思い出が蘇る、
そういう存在としての亡霊の描き方もあります。

私も、偶に死んだ母が夢に出て来て、
嫌味や小言を言ってきたりします。

それも、晩年の姿では無く、
私が4歳か、それ位の、
もっとも古い記憶にいる母だったり、
12歳時の、一番元気だった頃の姿だったりします。

ニールが、エリオットの葬式で死んだ当時のカレンを見て同様した様に、

私も、
有り得ない物を夢で見て、
飛び起きる事があります。

普段、生きていて、
死んだ家族の事を、特に気にして思い悩むという事はありません。

しかし、
何かがトリガーとなり、
ふと、思い出が蘇る。

それが、楽しい思い出ばかりとは限らないのです。

ニールの場合は、
カレンを思い出す時とは、
喪失の痛みを思い出す事なのです。

 

娘の死、
そして仕事でも、空軍で干される傾向が見えた事で、

ニールは心機一転を図り、
新しいチャレンジである、NASAの「ジェミニ計画」に参加しようとします。

しかし、
宇宙飛行にチャレンジしようとしたのは、
そういうポジティブな動機のみでは無く、

その裏で、ニールには、
やけくそ的な自殺願望があった様にも思えないでしょうか。

仕事で死んでしまうのはしょうがない、
むしろ、
カレンの喪失の痛みから逃れられるのなら、
それで構わない、
そう思っている節があるのです。

 

殆ど、玉砕覚悟の様な飛行の数々。

X-15での最長飛行記録を作った冒頭のシーンから分かる通り、
ニールは間一髪の目に遭いながら、
そこから生還するという事態に、何度も遭遇しています。

ドッキングは成功したものの、
その後、トラブルに見舞われたジェミニ8号のミッションからの生還。

月での無重力を体感する為の実験機で、
あわや、という目前で、
ギリギリ脱出が間に合った瞬間。

月への着地場所が見つからず、
着陸機の残り燃料のカウントダウンぎりぎりで、ランディングを成功させた事。

何度も、ニールは死に直面します。

 

また、
自分の死の危険のみならず、

その職業柄、友人の多くを、
事故で喪っています。

もしかしたら、自分だったかもしれない。

いや、むしろニールは、
「自分が飛行士として優秀で、パイロットとして選ばれ、その席に座っていたなら、友人達は死ななかったかもしれない」
そう考えたとしてもおかしくありません。

エド達が死んだアポロ1号の火災事故の後、
ニールは更に内省的になった印象を受けます。

自分の死の機会が奪われた、
だから、最も危険なミッション「月への航海」になんとしても選ばれてやる
そうニールは考えた様にも思えるのです。

 

しかし、
ニールの受動的な自殺は、
アポロ11号ミッションでも叶わず、
見事に「月への航海」を成功させてしまいます。

月に降り立ったニールは、
月の深い谷に、
カレンの名を刻んだブレスレットを落します。

アポロ11号の記者会見の時、
ニールと共に月面へ降り立つ事となるバズが、
「嫁さんの宝石も月へ持って行く」
と言ったので、
そのブレスレットも実物かと思われるかもしれません。

しかし、勿論、
ニールはブレスレットは持って来ていないし、
それをわざわざ宇宙服で掴んで、外に出た訳でもありません。

あくまでも、あのブレスレットは、
カレンとの思い出という観念的なものの象徴なのです。

 

数々の自殺的ミッションに挑み、
しかし、
それを全て乗り越えて、
遂に月まで辿り着いてしまったニール。

結局、彼の自殺は果たせませんでした

ならば、ニールは、
娘の死を受け入れて、その後の人生を生きて行くしかない

だから、彼は、
再び、娘を葬るという意味において、
その思い出の象徴であるブレスレットを、
誰も到達した事の無い、月の深い谷へと落すのです。

いわば、
娘の死から、月への航海までの長い年月が、
ニールにとっての娘の葬送という物語となっているのです。

 

飄々として、泰然自若、謙虚で、自己顕示欲が少ない人物というイメージの、
ニール・アームストロング。

しかし、本作の彼は、
娘の死に囚われて、その喪失の痛みに苦しむ様子は、

英雄と言うより、
普通の人間として描かれています。

その彼は、
検疫で地上へ帰還した後、
憑きものが落ちた様な表情になっています。

とは言え、
映画のその後、ニールは妻のジャネットと別れたといいますから、

普通の人生を送りたかったと言ったジャネットとニールの人生は、
結局は別れる事となったのです。

娘の死に囚われるあまり、
生きている妻や息子へのフォローに欠いている部分もあったニール。

アポロ11号のミッション開始前夜、
ジャネットはニールの行動にヒステリーを起こします。

ニールは月へのミッションで、
娘の葬送を完了しますが、

前夜に入った亀裂は、
修復されないまま、後の離婚へと至ります。

喪失を乗り越えても、
新たな喪失に直面する事となる。

英雄としての華やかな成果の裏で、
ままならない人生を送り続けるニールの喪失の物語
本作はそういう印象を受けます。

 

 

 

月へ降り立った最初の人間、
ニール・アームストロング。

彼を特別に英雄視する事無く、
その成果は人類の不可能性への挑戦という大きなものとして描いたのが本作です。

そして、
ストーリーとしては、
ニールの喪失の物語として描き、
彼も普通の人間だったのだと理解出来ます。

しかし、
ニールは、普通の人間だった、
だからこそ、普通の人間が達成した偉業に、
観客は魅了される

『ファースト・マン』は、そういう物語であると、
言えるのではないでしょうか。

 

 

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