映画『小さな独裁者』感想  権力を疑え!!人生とは、永遠のごっこ遊び!?


 

1945年、ドイツはソ連との戦争で旗色が悪く、後方では軍規違反が相次ぎ、脱走、略奪が多発していた。そんな脱走兵の一人、ヴィリー・ヘロルトは、偶然無人の事故車ジープを発見する。乗組員は居らず、しかし、食料と共に、そのジープには将校の制服がおいてあった、、、

 

 

 

 

監督はロベルト・シュヴェンケ
西ドイツ(当時)出身。
主な監督作に
『きみがぼくを見つけた日』(2009)
『RED/レッド』(2010)
『ダイバージェント NEO』(2015)
『ダイバージェント FINAL』(2016)等。

 

出演は
ヴィリー・ヘロルト:マックス・フーバッヒャー
フライターク:ミラン・ペシェル
キピンスキー:フレデリック・ラウ

ユンカー:アレクサンダー・フェーリング
シュッテ:ベルント・ヘルシャー
ハンセン:ワルデマー・コブス 他

 

 

 

ドイツ、第二次世界大戦、ナチス、

お得意の題材ですが、
本作の驚くべき事実は、

実話ベースだという事です。

 

 

ヘロルトは、ジープを見つけ、
中にあったリンゴを囓りつつ、
見つけた将校の服を着て、ごっこ遊びを始めます。

その時、
一人の薄汚れた兵隊、フライタークが現われました。

「部隊とはぐれました、お供させて下さい」

将校の服を着ていた為、
大尉と間違えられたヘロルト。

彼は、口からでまかせに、
「私は後方の視察をしている」とのたまい、
フライタークを従え、
町の酒場へ向かいます、、、

 

 

何度も語られはすれど、
しかし、語り尽くされる事が無い。

過去の歴史の愚行は、
現代の教訓となるのです。

 

一脱走兵だったヘロルトが、

偶然手に入れたナチス将校の軍服という「権威」によって、
我が物顔に振る舞う

 

 

何故、そんな事が可能だったのか?

誰が、そんな事を許したのか?

流石戦時、狂気の沙汰だ、、、

…と、捨て置けない、

これは、過去の実話ですが、
しかし、現代でも連綿と続いている現象なのです。

 

人はどれ程、権威、権力に弱いのか、

その事を嫌という程思い知らされます。

 

そして、本作で面白いのは、
そのエンドロール。

これも、明確に見所となっていますので、
最後まで席を立たずに観て頂きたいです。

 

正直、観て不愉快な、歴史上の不都合な真実を目の当たりにしてしまう『小さな独裁者』。

しかし、
耳に痛いからこそ、
本作は観る価値があるのです。

 

 

  • 『小さな独裁者』のポイント

権力、権威はどの様にして生まれるのか

人生、ごっこ遊び

現代での教訓として活かしたい、歴史上の事実

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • スタンフォード監獄実験

借り物の権威をかざす者に、
他の人間が盲目的に従って行く。

このシチュエーションで、先ず思い浮かべるのが、
スタンフォード監獄実験」です。

 

1971年に行われたこの実験は、
人は、役割を与えられたら、それになりきってしまう
という事を証明しようとしたもので、

全くの普通の人間が、囚人役と看守役に別れて、
それぞれどの様に行動するのかを観察した実験です。

この実験は、
看守役の囚人役に対する虐待がエスカレートした事で、
途中で中止されたという、
いわく付きの実験です。

 

現在では、
実験の純粋性に疑問が投げかけられてはいますが、

それでも、
人間は、役割によって、いくらでも残虐性を発揮するという、
ある種の証左となっており、

これこそ、
本作『小さな独裁者』のテーマと言えるものなのです。

 

  • ミルグラム効果

スタンフォード監獄実験をWikipediaで調べた所、
関連用語として、

「権威主義的パーソナリティ」と
「ミルグラム効果」という言葉をみつけました。

Wikipediaの記述を参考にして簡単に説明しますと、

 

権威主義的パーソナリティとは、

硬直化した思考により、
権威や権力を無批判に受け入れ、
少数派を憎む社会的性格(パーソナリティ)の事。

 

ミルグラム効果とは、

ナチスドイツにおいて、
ユダヤ人を絶滅収容所に送る責任者だった、アドルフ・アイヒマン、

その普段の素顔は、
妻の誕生日に花束を贈るような、
ごく普通の人間だったと言われています。

つまり、
普通の平凡な人間出会っても、
特定の状況下においては、冷酷で非人道的な行動を行うという現象が、
ミルグラム効果です。

それを証明しようとした実験が、
ミルグラム実験、アイヒマン実験と呼ばれています。

 

本作『小さな独裁者』は、
権威主義的パーソナリティを持つ者が陥った、
ミルグラム効果を扱った作品、
その証明であると言えるのではないでしょうか。

しかし、
更に本作の興味深い所は、

登場人物、各個人の描かれ方にバリエーションがある事です。

 

最初にヘロルトの仲間になったフライターク
そして、収容所に収監された囚人達は、
上官(上役)の命令に従うタイプ。

フライタークは当初、
ヘロルトの残虐な命令に、ためらいつつも、従うという姿勢をみせ、
そして、自分のその行動に自己嫌悪を感じていた様に見えます。

しかし、
フライタークは、次第にその残虐な命令を割り切って受け入れ、
無批判に、それを実行して行きます。

また、
フライタークは、
ヘロルトの制服が、彼の身の丈と合っていなかったのに気付いていた素振りを見せていました。

つまり、
フライタークにとっては、
ヘロルトは本物の大尉がどうかは関係無く、
自分に命令を下す人間を欲していた
という事なのでしょう。

 

フライタークと同じく、
ヘロルトの制服に気付いて、
それでも彼に付いて行った人物に、キピンスキーがいます。

キピンスキーの場合は、
最初は、自分が生き残る為には、
ヘロルトに乗っかる事が手っ取り早いと思っている節がありました。

しかし実際は、忠実にヘロルトの命令に従う訳でもなく、
自身の残虐性を発揮する為に、

ヘロルトの権威を如何無く利用した、

正に、虎の威を借る狐、として行動しています。

 

収容所のシュッテは、

囚人の数を減らしたいという自らの目的の為に、
ヘロルトの権威を使用しています。

何か良く知らないけれど、
たまたまそこに居た、
上の意向(ヒトラー)という権威を振りかざす人間を、自分の目的に添う様に誘導した
そういう感覚なのです。

因みに、
シュッテが嫁さんといちゃつくのを見て、
恐らくヘロルトは、「あ、次の町では女遊びをしよう」と思ったに違いありません。

 

いずれも、
「権威にすり寄る」という共通点があれど、
そのスタンスというか、
社会的立場が明確に違うのが面白い所。

では、
ヘロルト自身はどうなのでしょうか?

私は、
ヘロルトはあくまでも「ごっこ遊び」の延長だったと考えます。

たまたま
「命令してくれる存在を捜していた」フライタークに話しかけられ、

それに乗っかる形で、
「お、いけるかも」みたいなノリで大尉になりすましたのです。

弱い犬ほどよく吠える、
ではありませんが、
自分に実力が無い、
それが解っているからこそ、
自分の有用性を喧伝する為、
殊更残虐な行為に及んでいるのです。

 

結局、
権威というものは、
それを振りかざす者と、
それに乗っかる者、

その両者の共犯によって成り立っている

本作には、
その様子がありありと描かれているのです。

 

  • エンドロールに見る、現実社会

さて、
本作のエンドロールは、
これまた出色です。

これもシナリオの一つか、
それとも、ガチなのか?
まるで、リアリティーショーみたいなシーンが流れます。

 

歴史物である本作。

エンドロールでは、
現代のドイツを、
第二次世界大戦当時の服装で、
ジープに乗って町を進んで行きます。

そんな「ヘロルト親衛隊」は、
浮いているにも関わらず、

現代のドイツでも、権威を振りかざし、
通りすがりの人物を自分達に従わせます。

 

人間、意外と、
相手の事が分からない時、

殊更、権威主義的な態度を見せられたら、
「何か、偉そうにする理由があるのかな?」と自分で勝手に判断してしまい、

根拠の無い権威に盲従してしまう傾向があります。

 

通りすがりに携帯を取り上げられ、
跪くように強要される、

それが、
現代の社会においても、十分成り立ってしまう、

その事実に恐怖を覚えます。

 

 

 

 

人は、どうしても、権威と肩書きに弱いです。

現代の日本でも、

政治的な手腕がありつつも、

その一方で、
数々の「忖度」を相手に強要し、
明らかに暴走しつつある首相の動向には、注視する必要がありますが、

逆らえない、
また、
敢えて逆らわないというスタンスを、
誰もがとっています。

…しかし、
日本で絶対的な権力を振りかざす首相でも、

アメリカ大統領に、
「ノーベル平和賞に推薦してくれ」
と言われたら、
唯々諾々と従ってしまうのです。

 

これはフェイクニュースか?

しかし、
あり得るかも、と思わせる説得力があるのが怖い所です。

 

「弱い者達が夕暮れ、更に弱い者を叩く」
と、
「ザ・ブルーハーツ」がかつて歌った通りの社会が、
現代の日本には、到来しているのです。

 

権力者がのさばるには、
それと共犯関係にある、権威主義的パーソナリティの持ち主が必要。

その事を、目を覆う様な残虐さで観客に知らしめる作品。

それが本作『小さな独裁者』です。

そして、
ヘロルトは実在の人物で、
この映画で描かれた通りの事をやってのけているのです。

我々としては、
これを教訓として、
権力者の暴走を注視し、
掣肘しなければならないのです。

 

 

 

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