プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命 スペシャル・プライス [Blu-ray]
移動サーカスのショーのスタントバイクマン、ルーク。かつて町に立ち寄った時に関係を持ったロミーナが、自分の子供を産んでいたと知る。彼はサーカスを辞め、町に定住し家族の面倒を見ると言うが、ロミーナには既に他の同棲相手がいた、、、
監督はデレク・シアンフランス。
印象深いヒューマンドラマの作品を手掛ける。
主な作品に
『ブルーバレンタイン』(2010)
『光をくれた人』(2016)等がある。
主な出演者(役名:役者名)は、
ルーク :ライアン・ゴズリング
ロミーナ :エヴァ・メンデス
ロビン :ベン・メンデルソーン
エイヴリー :ブラッドリー・クーパー
ジェニファー:ローズ・バーン
ジェイソン :デイン・デハーン 等。
デイン・デハーン特集第二弾。
本作『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』は
3幕構成の骨太ヒューマンドラマです。
デラシネ(浮き草)稼業でその日暮らしをして来たルーク、
ロミーナと息子の面倒を見ると言っても、言葉に説得力がありません。
それならば、とルークは金の必要性を感じ、
手っ取り早く稼ぐ為に、銀行強盗に手を染めますが、、、
第一部のルーク篇、
そして、続く第二部、第三部と
巡る因果が主人公を変えて流れて行きます。
そして、
主人公が変わる毎に、話の雰囲気は変わって行きます。
一粒で3度美味しい感じの構成となっていますが、
作品に通底するテーマは共通しています。
父と子の物語。
主人公を変え、時代を変え、それでも因果は巡り、流れは続いている。
人生や宿命、そういったものを感じさせるドラマ作品、
それが、『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』なのです。
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『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』のポイント
父と子の叙事詩
巡る因果の物語
豪華な役者陣の演技が楽しめる
以下、内容に触れた感想となっております
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プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ
本作『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』
(原題:The Place beyond the Pines)、
この長い題名には何か意味があるのでしょうか?
まず、本作の舞台はニューヨーク州のスケネクタディ(Schenectady)。
実在する場所です。
インディアンであるモホーク族の言葉であり、
その意味は「松林の向こう側」。
そうです。
「Place beyond the Pines」とはそのままの意味、つまり土地名の英語訳なんですね。
さらに、「pine」という言葉は、
名詞:マツ、松材 という意味合いがある他に、
自動詞:
1.(叶わぬ事を)思い焦がれる、恋い慕う、切望する、懐かしむ
2.(哀しみ・悔恨・渇望で)やせ衰える、やつれる
という意味が、さらに、
古語
他動詞:悲しむ、嘆く
名詞:思い焦がれる、切望、思慕
という意味があるそうです。
これを踏まえて訳すると、さながら
「恩讐の彼方に」と言った所でしょうか?
(菊池寛の小説に同名の作品があり、そこから取りました)
つまりこの作品の題名、
『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』とは、
1:そのまま、舞台の場所の英語名
2:スケネクタディを立ち去るジェイソンの暗喩
3:過去の因果を振り捨てて旅立つ事
これらの複合的な意味を持たせているんですね。
*以下、作品の内容に添った記述が始まります。
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第一部、ルーク篇
『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』は、
流れ者のルークが町に留まる事を決意する事から始まります。
流れ者だったルークが定住してロミーナと息子を養うと言います。
しかし、ロミーナからしてみると、
行きずりで出来た子供であり、
しかも、別に彼氏が既に居る状態。
今更出てこられても迷惑だし、言動を信じる事が出来ません。
そこで、ルークは手っ取り早くお金を稼ぐために「銀行強盗」という犯罪に手を染めます。
物やお金でロミーナや息子の気を惹こうとしますが、
当然の如く今カレのコフィと諍いになり、
瞬間的にキレたルークはコフィを殴打、収監されてしまいます。
保釈金を払って出て来ますが、
それでも銀行強盗を繰り返すルークは遂に運の尽き、
追って来た警官に追い詰められ、射殺されます。
その直前、ロミーナに電話した時の台詞が印象的です。
「俺の事は、息子に絶対話すな」
ルークは、最初、町に残った時に、
「父親が居ないと、息子は自分と同じ様な人生を送る事になる」
それを避ける為の決断なのだと言います。
この発言は裏返すと、
ルークは父親を欲しており、子供を見守る事で、自分が欲しかった家庭を持つ事が出来るのではないか、
そういうルーク自身の願望の表われだと分かります。
しかし、ルークは失敗しました。
彼が自分で思い描く「理想の父親」には成れなかった。
だから、「居なかった事」にする為に、最後ロミーナに訴えたのです。
ルークは、「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」、
つまり、松林を越えて町にやって来たのですが、そこに定住する事は出来ず、
想いだけ残して果ててしまったのです。
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第二部、エイヴリー篇
第二部は、ルークを射殺した警官エイヴリーの物語です。
彼は連続銀行強盗犯を大捕物の末に退治したという事で一躍有名になり、ヒーローに祭り上げられます。
つまり、スケネクタディの善性や父性といったものの体現となるのです。
それはさながら、ルークが追い求めて、成れなかったものである様に見えますが、、、
しかし、それは「祭り上げられた虚飾のヒーロー」と言えるものでした。
検事の追及には、正当防衛による射殺だと答えますが、
実際は、先に撃ったのはエイヴリーの方でした。
また、悪徳警官はエイヴリーを取り込もうと、カツアゲの片棒を担がせます。
エイヴリーはそれを署長に訴えますが、事なかれ主義の署長は見て見ぬふり、
結局、エイヴリーは検事と取引し、
自分の再就職先を確保しつつ、警官の不祥事をばらして仲間を売り渡します。
正に機を見るに敏、絶体絶命のピンチを逆に利用して上手く立ち回り、
キャリアアップを見事に果たします。
エイヴリーの立ち回りは、悪い事では無く、むしろ見事と言えますが、
何か、心に引っかかるものがあるのもまた、事実です。
彼の成功の陰には、
死んだ銀行強盗のルーク、
売られた悪徳警官、
そういった、非難を受けて当然の人間を踏みつけにして利用したという事実が厳然としてあります。
見た目は格好良い正義のヒーロー、
しかし、その実状は、立ち回りの上手い世渡り上手。
虚飾の父性と言えるものなのです。
父親を求め、自身がそれに成る事を望みながら果たせずにしんだルーク、
世間的には正義のヒーロー、その実状は虚飾の父性である得イヴリー、
彼等の対比はその正直さの違いによって描かれています。
冒頭のバイクのサーカスショーが終わった場面(4:30~)、
サインをねだる子供に「走っている時は怖いのか?」と聞かれ、
ルークは何の衒いも無く「勿論、怖い」と答えます。
ルークは直情径行ですが、
それ故に行動に嘘偽りがありません。
何しろ、Tシャツを裏表無く、分け隔て無く着る様な人物です。
一方、エイヴリーは、妻のジェニファーに
「事件は怖かったか」と聞かれた時、
「そんな事は無い」と答えます。(58:08あたり)
しかし、実際にルークを撃った時は条件反射的にビビっていましたし、
同僚の悪徳警官に呼び出された時も、尻まくってトンズラかましていました。
臆病な程、長生きと言いますが、正にそれを地で行く人物です。
自己保存の為なら、嘘や混乱に物怖じしないのです。
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第三部、ジェイソン篇
15年経ち、エイヴリーは司法長官を狙って選挙活動中。
妻のジェニファーに預けていた息子、AJを引き取り、スケネクタディで一緒に住む事になります。
そのAJは如何にも金持ちのボンボン。
しかし、転校直後で友達もおらず、とりあえず話しかけた相手が、
なんとルークの息子ジェイソンでした。
とは言え、二人はお互いにそれを知らず、
しかし、麻薬所持の現場を警察に押さえられた時、
AJの身元引き受けに来たエイヴリーは、ジェイソンがルークの息子だと知ります。
翌朝、AJと再開したジェイソンは、義父の事をからかわれ、瞬間的にキレます。
ですが、その事が切っ掛けで、ジェイソンは実の父について調べ始めます。
ジェイソンが義父コフィに実父について尋ね、ルークという名前を知った場所。(1:47:30~)
その場所は、
かつてルークが初めて赤ん坊の息子と出会った場所と同じでした。
(しかも、どちらのシーンでもジェイソンはアイスクリームを食べています)
ジェイソンは父の名をググって、
かつて父が銀行強盗の末射殺された事実を知ります。
そして、父が働いていた車の修理工場に赴き、
その時に父の思い出話と、射殺した警官の顔(エイヴリー)を知ります。
後日、AJの自宅のパーティーに呼ばれたジェイソンは、
そこでエイヴリーがAJの父親だと気付きます。
混乱したジェイソンは、AJに対し「俺を嘲笑っているのか!?」と絡みますが、
(勿論言い掛かりで、AJはジェイソンとルークの親子と、自分の父エイヴリーとの関係など知りません)
逆にAJにボコられます。
翌朝、銃を手に入れたジェイソンはAJにお礼参り。
父親のエイヴリーが帰宅するのを待ち構え、
エイヴリーを銃で脅して松林まで連れて行きます。
父を殺したエイヴリーを跪かせ、財布を奪い、
しかし、銃を撃つ事なく、そのまま捨て置きジェイソンは町を後にします。
運命が絡まり、遂にクライマックスを迎えますが、
何故、ジェイソンはエイヴリーを撃たなかったのでしょうか?
父の因果を、今こそエイヴリーに喰らわす時では無かったのでしょうか?
何故なら、この物語は、「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」だからなのです。
外から、父に成らんとして松林を越えてやって来たルーク。
スケネクタディにて父性の象徴となって地盤を固めたエイヴリー。
その流れを汲みジェイソンは、
父を見つけ、松林を越えて外の世界へと旅立って行く運命だからなのです。
新聞ではルークの事は犯罪者と書かれていましたが、
車の修理工場の経営者、父ルークの友人ロビンからは、良い思い出しか聞かされていません。
そして、ジェイソンとエイヴリーが対峙した時、
お互いがお互いをどの程度分かっているか知り得ない段階でありながら、
エイヴリーは「許してくれ」と慟哭します。
また、エイヴリーから奪った財布から思いがけず出て来た、
自分の家族の写真。
それには、幸せそうな両親と自分が写っていました。
自分が良い父と成る事に失敗し、存在を息子に教えてくれるなと言ったルーク。
しかし、エイヴリーという(ジェイソンにとっての悪者)をフィルターにして見た実の父ルークは、
ジェイソンにとっては「そう、悪くない存在」だったのです。
友人ロビンは良いことを言い、
仇エイヴリーは許しを請い(つまり自分が悪者だと言っているのと同意)、
写真の中では母ロミーナは笑顔でいる。
恐らく、ジェイソンが求めていた本当の父親という存在、
その父=ルークはジェイソンの主観では、英雄の様に写ってのではないでしょうか。
父、ルークが良い父に成りたいと願った望み、
因果は巡り、それは期せずして果たされ、ジェイソンに想いは伝わったのです。
想いは果たされ、よって恨みは既に無く、
因果に導かれ、父の事を知ったジェイソンは、よって自らの恩讐を越えて町を出て行くのです。
父と子の物語、
この叙事詩はある意味、現代の神話の様な雰囲気すら漂っています。
まとまりの無い事が、
ふとした切っ掛けで一気に収束し、劇的な展開を迎える。
むしろ、人生においても起こり得る事であり、
故に、偶然性と運命の皮肉さを感じる本作は奇妙なリアリティを獲得しています。
ドラマの重層構造が奏でる神話。
『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』は、そんな作品なのです。
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さて次回は、デイン・デハーン特集第三弾。
『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』について語ります。