映画『ワンダー 君は太陽』感想  人は見た目か!?性格か!?

 

 

 

オーガストは10歳。今まで自宅学習を続けていたが、5年生になるのを切っ掛けに学校に通う事にした。両親と姉に伴われ、学校へ向かうオギー。何故彼は学校に通っていなかったのか?それは彼の外見が、特殊だったから、、、

 

 

 

 

監督はスティーヴン・チョボスキー
小説や映画の脚本家としても活躍している。
監督作に
『The Four Corners of Nowhere』(1995)
『ウォールフラワー』(2012)
等がある。

 

原作はR・J・パラシオの小説『ワンダー』。
口コミで流行って、全世界で売れているとの事。

 

出演者は
オーガスト(オギー):ジェイコブ・トレンブレイ
イザベル:ジュリア・ロバーツ
ネート:オーウェン・ウィルソン
オリヴィア:イザベラ・ヴィドヴィッチ 他

 

 

本作『ワンダー 君は太陽』の主人公、オギー・プルマンは先天的な遺伝子疾患である「トリーチャー・コリンズ症候群」により、

見た目が「ordinary(普通)」では無い少年です。

 

もっとハッキリ言うと、
見た目が怖いのです。

何故なら、
何度も手術を繰り返し、その跡も生々しく残っているからです。

 

しかし、5年生の新学期、
母のイザベルは自宅学習をしていた息子オギーを、学校に通わせる事にします。

その前夜、父のネートはイザベルに言います
「屠殺場に家畜を送る様なものだ」と。

正にその通り、

これから確実に起こる数々のイジメが予想され、
見ているコッチの顔が蒼白になります。

 

しかし、
それでもオギーとイザベルは学校に行く事を選択します、、、

 

本作は、

困難な事でも、
それから逃げずに対面し、自分を認めさせて行く物語。

 

どんな事でも、やる前から諦めたら何も始まらないし、

最初から上手く行くハズも無い。

しかし、
困難な事に挑戦する事が、新しい世界を拡げる契機となる。

そういう事を思い出させてくれる作品です。

 

オギーは見た目から入ってイジメられます。

この映画で描かれる事は、

観客の小学生時代に確実にあった事、そのものです。

 

イジメた側なのか?
イジメられた側なのか?
それとも、傍観者だったのか?
友達だったのか?

自分の過去を思い出し、
それと対比させるという見方もあります。

 

さて、
最近よく言われる事ですが、

こういう作品は「感動ポルノ」なのか?

という問いがあります。

しかし、本作の主題はそこにはありません。

『ワンダー 君は太陽』は、

それを観た人間が、今後どういう態度を取るのか、

そういう問題提起な部分もテーマの一つとしてあります。

 

感動はいわばオマケ。

本作について色々文句を言いたい人もいるでしょうが、
やはり、
映画という物は、それを観て初めて批判が出来ると思います。

 

他人を観る事で、

自分を見つめ直す作品、

それが『ワンダー 君は太陽』なのです。

 

 

  • 『ワンダー 君は太陽』のポイント

困難な事を始め、それを続ける勇気

本人は勿論、周囲の人間にもドラマがある

人は見た目が9割なのか?

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • オギーのキャラクター

『ワンダー 君は太陽』のオギーは、
母から受けていた自宅学習から卒業し、学校に通い始めます。

とは言え、
その見た目により、イジメられるのは確実。

この時点で、実は観るのがちょっと憂鬱なのも事実。

 

しかし、
このオギー、今まで集団生活を送っていなかったにも関わらず、意外と社交的なんですよね。

イジメに会いながらも、
一人、友達を作ったら、そこから段々と周囲にも認められて行きます。

 

一つ、印象的なセリフがあります。

最初に友人になったジャックのセリフ、

見た目は意外と直ぐに慣れた」というものです。

日本にも、
「ブスは三日で慣れる」という言葉があります。

それと同じで、
最初はちょっと心配に思っていた私も、
映画を観ている間に、
オギーの見た目に何ら違和感を感じなくなって来るんですね。

 

見た目でからかわれるという事実は変わりませんが、

それでも、
見た目に慣れたら、そこからはキャラクターの問題。

実際に、
ジュリアンのオギーへのイジメがエスカレートしたのは、

自分より下のハズの人間が、自分よりはるかに目立った事が面白く無かったからです。

外見上の問題に加えて、
対人関係の問題が端緒となっているのですね。

 

しかし、本作で爽やかなのは、
周囲の人間が最初の立場に拘らない事。

オギーのキャラクターを知ったら、
周りはきっと好きになってくれる、

そう母が言っていた通りの事が起こります。

 

オギーのキャラクターの象徴として、

上級生にイジメられ、どけと言われて、
それを拒否して「ファイティング・ポーズ」をとるシーンがあります。

自分よりデカイく、人数も多い上級生に恫喝されて、
それでも立ち向かって行く

自分の事を考えると、
果たしてそういう子供だったか?

さらに言うと、
学校や会社で、先生や上司に理不尽な事で恫喝されて、
自分は言い返せるのか?

それを考えると、オギーにどれだけ勇気があるのか、
そして、
彼のキャラクターがどれだけ魅力的なのか、
その事に思い当たる事と思います。

 

これを契機に、
当初オギーをイジメていたクラスメートも、彼を認めて行く事になるんですね。

 

  • 家族のサポート

このオギーのキャラクターを作ったのは、周囲の環境。

オギーを信じ、サポートに徹する母のイザベル。

友人の様に接しながら、しかし、父親としての助言をしっかりと伝えるネート。

家族の中心がオギーと理解し、
一歩引いて物事にあたる姉のヴィア。

この教育環境というか、
家族という人間関係の中で、オギーを排除せずに受け入れたからこそ、

オギーはそのキャラクターを獲得していたのだと思います。

 

実際には、
家族というものは、
一番近しい間柄であるのと同時に、
最も最初に競争相手になる存在でもあります。

そこには、人間社会の縮図があります。

家族間で、競争しつつ、
それでも仲良く育つ家庭もあれば、

対抗心が悪化し、
全く家族間で交流のない家庭もあります。

 

プルマン家という太陽系では、
「Son(息子)がSun(太陽)」、
つまり、オギーが中心の家庭なんですね。

家族というものは、自己主張をする人間が中心となって形成されます

横暴な親や、
ワガママな子供が中心になると、
家族は良い関係とはなりません。

しかし、プルマン家では、
自己主張による中心では無く、
他の皆が、自分を一歩引いて、オギーを受け入れるという、
謙譲の精神によって成り立っています。

それが、
家族という社会を上手く回しているのですね。

 

…とは言え、

実際には子供がハンデを背負いながら、ここまで伸び伸び育つ事は稀ですし、

家族も一丸となって自分を殺すという事もまた有り得ない事です。

そこが、本作を「感動ポルノ」と批判する人間の根拠となっているのですね。

リアルでは無いと。

 

  • 観た人間が変わるべし

しかし、本作の胆は「感動押し売り」では無いと思います。

原作者のR・J・パラシオは、
こういうハンデを持った人間でも無いし、子供がいる訳でもありません。

彼女は子供と一緒の時にオギーの様な子供と出会い、
みっともない態度を取り、

しかし、相手の家族は穏やかにその場を立ち去ったと言います。

この時の体験が契機となり、
映画の原作本を書いたのだと言います。

 

映画では、
校長先生が本作のテーマを如実に表す言葉を発します。

「彼は外見を代える事は出来ない。我々の見る目を変えねばならない

 

人は初対面の印象に囚われがちです。

「人は見た目が9割」とも言われます。

しかし、そんな初見の印象に拘るより、
相手をフラットな目線で捉え、
その人間のキャラクター性に注目するべきなのでは無いのか?

そういう事を本作は語っているのだと思います。

 

見た目にビックリして、みっともない態度をとるより、

そういう物だと受け入れ、普通に接して居たならば、

お互い不愉快では無いですし、
後から考えて後悔する事も無かったハズです。

 

見た目だけではありません。

最初の印象で相手を差別する事の無意味さ
これを訴えた作品だとも言えるのでは無いでしょうか。

 

  • 周囲の視点

さて、そういうテーマ的なものもさることながら、
本作が面白いのは、オギー目線だけでは無く、

その周囲の人間が、
同じ場面でどう思っていたのか?

そういうサブキャラ目線の物語を入れ込んでいる所です。

 

親に良い子と言われる姉のヴィア。

しかし、当たり前ですが思春期の悩みがあり、
親に構って欲しくもあります。

 

オギーと最初の友達となったジャック。

彼がオギーと友達になったのは打算なのか?
彼の本心が聞けますし、

また、ふとした事が切っ掛けで
「疎遠になった友達」が、
どう再びわかり合えるか、
そういった事も、お互いの目線で描かれます。

 

その事は、ヴィアの親友のミランダの描写でも言えます。

高校デビューし、
ヴィアとは距離を置いた様に見えるミランダ。

しかし、彼女自身も悩みを持っており、
それを打ち明けられない苦悩がありました。

 

見た目は特殊でも、
その状況は普通の人でも体験する可能性があるオギーの立場。

さらに、
ヴィア、ジャック、ミランダの悩みも、

それぞれ若者特有の悩みであり、
しかし、
人間関係という観点からすると、
大人でも普通に悩んでいる事でもあるのです。

 

色んな視点、色んな観点、

そこに、観客は感情移入する点が沢山あり、

本作が他人事では無い要因となっているのですね。

 

 

 

本作は「感動ポルノ」なのか?

観る人が観ればそうなのかもしれません。

 

しかし、ハンデのある無しに関わらず、
人間関係というものは、何時でも、何処でも難しいもの。

最初は上手く行かなくとも、徐々に良くなる、
そう自分が信じて、周りに認めて貰うまで歩み続ける

描くテーマは誰もが共感出来るもの、

だからこそ、そこに面白さがある。

『ワンダー 君は太陽』はそういう作品だと思います。

 

 

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