広島在住の浦野すずは絵を描く事が好きな少女。怖い兄の鬼(おに)いちゃん、仲良しの妹と暮らしていた。時は昭和18年、戦時に突入した日本。すずは広島から呉へお嫁に行くことになり、新しい日常が始まる、、、
監督は片淵須直。
代表的な映画監督作に
『アリーテ姫』(2001)
『マイマイ新子と千年の魔法』(2009)
TVアニメシリーズに
『名犬ラッシー』(1996)
『BLACK LAGOON』(2006)がある。
原作はこうの史代(著)漫画『この世界の片隅に』。
他、著作に
『夕凪の街、桜の国』
『長い道』
『さんさん録』
『街角花だより』
『ぼおるぺん古事記』
『日の鳥』等がある。
声の出演、主演のすず役にのん。
旧能年玲奈である。
アニメーションの出演はこれが初めてだそうだ。
共演に、細谷佳正、尾身美詞、稲葉菜月、潘めぐみ、牛山茂、新谷真弓 等。
公開前から著名人が大プッシュ、小規模公開から始り、口コミでヒット、ロングランと公開規模拡大を経て2016年を代表する一本となった『この世界の片隅に』。
太平洋戦争末期の広島、呉に
嫁入りした一人の女性の日常を描いた作品だ。
兵士目線の戦場描写では無い。
将校目線の戦略ものでは無い。
スパイ目線の潜入ものでは無い。
戦争という非常時において日常を貫く一般市民の姿を描いている。
日本アニメでは、ありそうで無かった設定であり、
当時の町並みを再現し、
広島の方言で登場人物は喋る、
徹底したリサーチがアニメという媒体においてリアリティを生んでいる。
大変クオリティの高い作品であるのだ。
戦争物としても、
アニメーション作品としても、
新たなる名作の逸品として、
まずは観賞して頂く事を勧める。
*特装限定版の特典DISCについての内容にはこちらで触れております。
以下、内容に触れた感想・解説となります
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ヒットの背景
2016年は邦画が元気だった。
まずは『シン・ゴジラ』。
現代日本の閉塞感と不安感をゴジラとして表わし、同時代性の共感をもって支持を集めた。
そして、まさかのゴジラ越えをあっさり達成した『君の名は。』
圧倒的にクオリティの高い背景美術と、凝っているのに分かり易いSF的ラブストーリーがまさかの大ヒット。
邦画においては歴代2位の興行収入を達成した。
そして公開されたのが『この世界の片隅に』である。
『この世界の片隅に』が公開された時点で、『シン・ゴジラ』も『君の名は。』も異例のロングラン状態。
映画ファンのみならずとも、良作に対する「視聴マインド」が喚起されていた。
そこに、本公開前から公開直後まで、SNS等で高評価が乱立、「次に観るべきはこれだ」と強く印象づけられる事となった。
また、『この世界の片隅に』は高評価を受けた前2作に乗り遅れた人間達の受け皿にもなった。
『進撃の巨人』を撮った樋口真嗣が関わっている『シン・ゴジラ』。
あえて地雷は踏むまいと公開前は言われていたが、実際の作品は大傑作、スルーした人間は臍をかむ思いをする事になる。
『君の名は。』はアニメ作品。
しかも内容やキャストはリア充寄りだった。
一定数のファンを持ち、評価も高い新海誠監督ではあるが、『君の名は。』の大成功により「知ってる人は知っている」というマニア受けの評価から脱してしまう。
オタクの心理は複雑で、今まで応援していたとしても、もてはやされ出すと途端に興味を失い、メジャーになった事で逆に嫉妬を買いアンチに転じてしまう。
これら面倒くさいオタク達は、公開前から高評価を受けていた『この世界の片隅に』を見つけるやいなや、今度こそ我々の出番だと言わんばかりに猛プッシュする事になったのだ。
本作は時流に乗った作品ではあるが、作品自体のクオリティが高かったからこそ受け皿になり得たのだ。
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クラウドファンディング
とは言え本作は、そんなある意味不純な動機での後押しがメインでヒットした訳では無い。
片淵監督とこうの史代を愛する、純粋なファンの力、そしてファンの力を信じた制作陣の姿勢が大ヒットの原動力となったのだ。
片淵須直監督は前作の『マイマイ新子と千年の魔法』において高評価を得ていた。
また、原作者のこうの史代こそ、現代漫画において唯一無二の作風を持つ漫画家としてファンに愛されてきた作家である。
このマニア受けしていた二人のコラボレーション、期待せずに居られなかった人間が大勢いたようだ。
その証拠に、本作は制作費の一部をクラウドファンディングで一般から集めている。
目標金額21,600,000円に対し、
達成金額39,121,920円を集めた。
実に目標金額の1.8倍である。
まだ、海のものとも山のものともつかぬ状態でこの支持率である。
『この世界の片隅に』は公開前から既に熱狂的なファンに支えられていたのだ。
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ハイクオリティアニメ
そして、実際に出来た作品はどうであったか?
期待以上の作品だったのだ。
原作を忠実に再現し、さらに背景と人物の絵の質感に統一感を持ち、見事に作品世界を作り上げていた。
そして光の演出、灯火管制を敷かれた戦時だからこそ、光と影の割合に殊更気を遣っていた。
戦時における食糧事情、台所、料理、食事風景は大変興味深かった。
広島の街並・風俗の再現には苦心したハズだ。
当時の爆弾や戦艦、飛行機や砲台など、どれだけの資料にあたった事だろう。
細部に亘るディテールの細やかさ、これが圧倒的リアリティを生む。
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定点観測
『この世界の片隅に』は俯瞰映像が多い。
家族、そして日常を全体として観る。
街並を遙か先まで見渡す。
空から爆弾を投下する。
いろいろな形で引いた位置からのカメラだが、これは個人というより家族や、人との係わりをメインに観せる為であろうか。
そして、背景を含めた日常描写には定点観測が多い。
時が経過するにつれ変わってゆく街並みを、同じ場所を定点観測する事で描いている。
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日付表示の演出
『この世界の片隅に』では、場面転換において昭和表記で日付が表示される。
もともとは連作短篇だった原作でサブタイトルとして採用された表記だが、このカウントが恐ろしい。
舞台は広島。
開始時は昭和8年12月。
時がたち、すずが嫁ぐのが昭和19年2月。
そして物語は昭和20年へと向かって行く。
ユーモアと共に日常を過ごしていても、観ている方は心から笑えない部分がある。
何故なら、日本人なら来たるべき悲劇を知っているからだ。
この平和が壊れてしまうのを知っているから、あらかじめ落差に備えてしまうのだ。
しかし、である。
物語は8月6日で終わらない。
どんなに決定的な出来事が起ころうとも、日常は続いて行くというのがこの作品の一つのテーマである。
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すずというキャラクター
本作『この世界の片隅に』は、主役のすずのキャラクターが良い。
幼少時からぼんやりほんわか系の少女だと、家族に言われ続けて育っている。
しかし、彼女もその心の中には人並みに鬱屈を抱えている。
その心の中を半笑いのベールで覆って嫁ぎ先で生活しているのだ。
すずは「こうしたい」という意思は持っていても、それをことごとく実現させずに、流されて生活している。
絵を愛し、想像力豊かだった少女時代。
それも時がたち、嫁ぎ、戦時の厳しい生活の中で自分の持っている物、愛する者がどんどん奪われてゆく。
故郷、絵を描く事、幼馴染み、懐いていた子供、腕、両親、、、
玉音放送を聞き、すずは怒る。
まだ自分は失い尽くしていない、
もし、ここで止めてしまったなら、今まで失ったものは何だったのかと、やり場の無い思いが爆発してしまうのだ。
今まで持っていたアイデンティティは理不尽に失ってしまった。
しかし、今居る場所を受け入れる事で新たな自分を見つけてゆく。
戦争が決着しても人生は続いて行く、
これからも、自分は強く生きて行くんだとすずは思うのだ。
結果、ラストでは少女ではなく、大人の女性として北條すずに成っている。
戦時を日常で乗り切り、絶望に直面しながらも生きて行く事を選んだ一般人すずの物語だからこそ、感動を産むのだ。
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議論紛糾!?問題のシーン
『この世界の片隅に』において議論が紛糾するシーンの一つとして(1:05:00)辺り、幼馴染みの水原哲が訪ねて来る場面がある。
そこでのすずと哲、夫の北條周作との関係にモヤモヤ或いはキュンキュンする人が多数であろう。
ここは観た人それぞれが独自に何かを感じ取る場面だ。
それについて、ブルーレイのキャスト・オーディオコメンタリーで面白い解釈が聞けた。
すずの姑、北條サン役を演じ、広島弁の指導も行った新谷真弓の意見である。
「哲の態度がでかいのは、すずの昔を知っている自分を誇示する為」
「玄関に鍵を掛けたのは、開けているのにすずが帰ってこなかったらショックだから(その可能性を自ら閉ざした)」等。
なるほど、こんな味方があるのかと「ハッ」とさせられた。
他にも色々な女子会トークが炸裂する面白いコメンタリーである。
是非あなたも聴いて欲しい。
本作『この世界の片隅に』は戦争映画である。
しかし、そこに描かれるのは日常。
我々と何ら変わらない事で一喜一憂する人間の生活が描かれているのだ。
だからこそ、共感出来る、苦しさが分かるのだ。
戦時という異常な状態で日常を全うせんとする。
それは困難と苦渋に満ちている。
そして戦争が終わっても、失ってしまったものは戻ってこない。
だが、それでも人は「この世界の片隅に」自分の居場所を見つけ生きてゆくのだ。
この現実という困難な道のりを生きて行くのに、『この世界の片隅に』はきっと観た人に寄り添ってくれる作品となるであろう。
原作コミックは上・中・下巻があります。
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さて次回は、『この世界の片隅に』のソフト版映像特典について紹介してみたい。