映画『無限の住人』感想 開始2分でチョマテヨ!!

 

 

 

妹を死なせた過去に負い目がある不死身の男、万次。その妹に似た凜の頼みで用心棒を引き受け、凜の家族を斬殺した逸刀流に復讐の刃を向ける、、、

 

 

 

月刊漫画誌『アフタヌーン』の全盛期を主軸として支えた人気漫画『無限の住人』を、監督・三池崇史、主演・木村拓哉で映画化。両名とも昨年、目立つが故に大いに話題を振りまいたが、本作の出来はどうか?

実に無難に上手くまとめている

 

原作初期の名場面をテンポよくつなげ、一本の映画としてまとめあげている。初見でも不死身アクションを楽しめるし、原作ファンも自分の脳内イメージとの比較を楽しめるだろう。木村拓哉ファンも、開始2分で彼の名ゼリフ「チョマテヨ!」が聞けるので満足だろう。
また原作とは少し違うオリジナル要素があるが、それがストーリーの雰囲気を上手く作って映画独自の『無限の住人』となっている。

 

以下ネタバレあり

 


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  • 映画の独自要素

原作からの明らかな変更点として万次の名前がある。原作では卍。映画では万次である。(もっとも、原作でも「万次」と表記される事は多いが)着物の背中も「卍」から「万」に変えられている。これは 卍 という記号がナチスのハーケンクロイツ(鉤十時)に似ていて、その連想を避ける為の措置だろう。海外公開も視野に入れるとやむを得ない。

そして、原作とは少し違う、映画の万次の独自要素として「妹萌え」があげられる。
自分の過失で妹の町を死なせてしまった万次。その妹に似た凜の用心棒の頼みを引き受ける。そして、依頼されて、初めは仕方なしにやってる雰囲気を出そうとしているが、速攻でボロが出る。悲しむ凜に背中を貸して泣かせてやったり、戦闘の訓練なんかもやってしまう。万次は凜を妹になぞらえ、彼女を守る事に不死身たる己の存在意義を見出す。

  • 何故萌えさせたのか?

この二人の絆が面白い。万次は凜に妹に似ている事を告げる。それで、凜は万次が何故自分を助けてくれるのかを合点する。そして、凜は万次を元気づける為にをれを利用する。
凜 「おにいちゃん」
なんて万次の事を呼んじゃう。ちょっとあざとい。それに対し
万次「兄様、だろ」
なんて答えちゃう。まんざらでもないご様子だ。観てる方はちょっと面映ゆい。

原作とは違って、何故ここまでイチャイチャさせたのか。それにはいくつか理由がある。
まず、映画の2時間強という制限時間の中で万次が凜を守るわかりやすい理由付けが必要だった。二人に絆が生まれることで、かつて守れなかった妹を今度こそ守り抜く、という万次の強い意志も生まれた事を観客は感じ取る。
また、この2人が恋愛関係になれないから、というのもその理由だ。原作はそうではないので、映画でそこを変えると決定的に別物になってしまう。さりとてヒーローとヒロインのロマンスも欲しいし、となった時その妥協策として「妹萌え」を使ったのだろう。
そして、俳優・木村拓哉のキャラクターを活かした結果でもあった。彼のぶっきらぼうでいて優しい。突き放すようでいて義理堅いというイメージがそのまま本作の万次のイメージと重なる。「仕方なくやってるんだから、勘違いすんなよ」といいながら身を挺して(といっても不死身だが)凜を守る様子はまさに「妹ツンデレ萌え」と言うべきものである。

映画の独自要素というのは難しい。やり過ぎれば原作ファンの反感を買うのは必至である。しかし、本作では映画の構成上無理なく、そして木村拓哉氏の演技の質にもマッチしており良い感じだったと思う。

 

  • 個人的お気に入りシーン

それは市川海老蔵氏の演じる閑馬永空の登場シーンだ。虚無僧スタイルで顔を隠していても、観ているこっちには声でエビゾーだとバレバレである。しかも、役者の「格」的な事を考えると強敵のハズだ。くるぞくるぞエビゾーくるぞ襲ってくるぞやっぱりキター、という溜めと流れがよかった。

 

どんな映画でもやはり、自分で観るまでは批評は出来ない。観る前は不安でも、観てしまえば結構面白かったりするものだ。
この調子で『ジョジョ』も頼みますよ三池監督!

 

こちらは原作漫画

 


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さて、次回はこれも原作が漫画の映画『帝一の國』について語ってみたい。