福岡県、田川郡のとある資産家に生まれた郷村春樹。彼は幼少期、蔵の中で発見した「名状しがたき」置物に異様に心を奪われる。父の死後、それら郷村家の美術品を私設博物館にて展示していたのだが、、、
著者は友成純一。
福岡県出身のホラー作家、映画評論家。
現在はバリ島在住。
代表作に
『陵辱の魔界』
『獣儀式』
『邪し魔』等がある。
現在多数の著作が電子書籍化されている。
本作『蔵の中の鬼女』は全15篇のホラー短篇作品集。
1991~1995年辺りのバブル崩壊した頃に桃園書房の『小説CULB』系統の雑誌に発表され、単行本化されていなかった作品を集めたものだ。
そう、
あの頃のギラギラした時代の感じをまだ色濃く残している作品集である。
現在の洗練されたホラー作品や、オチがちゃんと用意された実話怪談なんかとは全く違う。
一言で言うと、
エロ・グロ・ナンセンス!!
最早死語となったこの響きを体現する作品集である。
人によっては、あまりの悪趣味さに嫌悪感をもよおすだろう。
その一方で、この独特の退廃した世界観にえも言われぬ魅力を感じる人間もいるハズだ。
映画で例えると、
『13日の金曜日』シリーズや
『エルム街の悪夢』シリーズをポップコーン片手に笑いながら観られる人間なら楽しめる。
これらのスプラッタ系の映画作品を鼻にもかけない人は読んではいけない。
読む人間を選ぶ。
しかし日本の小説界には、そのフォロワーがほとんどいない、傑作ホラー短篇集である事は間違い無い。
怖いもの見たさで、手にとってみては如何だろうか?
以下ネタバレあり
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修羅の国のご当地ホラー
2017年11月10日の読売新聞朝刊、第一面に掲載された「編集手帳」に北九州の話が載っていた。
その内容は、ともすれば、「世界でも注目される危険地帯である北九州は、暴力団が蔓延る土地で、その恐ろしさに市民の流出が続いている」と読み取れる様な文章であった。
ネット上では「修羅の国」とも称される福岡県の印象を表した文章であろう。
(「修羅の国」とは、漫画『北斗の拳』に出てくる拳法家が暴力で他人を制圧している土地の事)
作者・友成純一はそんな福岡県出身。
その影響か、本作では福岡が舞台の作品が多い。
ボタ山、田川、201号線などなど、
福岡県のご当地の方なら楽しめる固有名詞が多く見られる。
福岡県が舞台の小説作品などほとんど見ない。
況してやホラーなど皆無なのである意味貴重だ。
「せからしか~、そげんこと言わんで、読んで見ればよかろうもん」的な方言も出てくるので、その点も楽しめる。
…しかし、前述の印象や、本書を読んだ感じから想像する福岡は、最早「人外魔境」の様なイメージになってしまうが、、、
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エロ・グロ・ナンセンス
現在、国産ホラーに元気が無い。
ちょっと前までは「実話怪談」が流行り、活況を呈していたが、水木しげる氏の死を境に、ホラーバブルが崩壊した感がある。
かつては「角川ホラー文庫」という屋台骨があったのだが、現在は審査員も変わり選考方針が変化したのか、すっかり「ラノベミステリ文庫」となってしまった。
そんなホラー草食時代において、バブル期のエロ・グロ・ナンセンスに溢れる本作『蔵の中の鬼女』は眩い魅力に満ちている。
「なんだか、ホラーを喰い足りねぇな」とお嘆きの皆様に是非お勧めである。
友成純一の作風はほぼ唯一だが、似た雰囲気を持つ作家がいる。
それが、「角川ホラー大賞」出身の「飴村行」である。
『粘膜人間』
『粘膜蜥蜴』
『粘膜兄弟』等、友成純一作品が好きなら彼の作品も気に入るだろう。
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作品解説
収録作は全15篇。
簡単に解説してみたい。
邪神の呼び声
子供の頃の思い出形式として語られる、クトゥルー的怪異譚。
地の底の哄笑
「邪神の呼び声」と同じ舞台。
調子に乗った酔っ払いの一言がカタストロフィを引き起こす、実生活にもあり得る事である。
蔵の中の鬼女
これも、子供時代の思い出的なジュブナイル風の作品。
無茶苦茶な内容なのに、どこかもの哀しい。
夢見る権利
インスピレーションの話。
もしや、作者の実体験では?と思わせるのが面白い。
ありふれた手記
完全にアル中のたわ言である。
酔った人間の自己弁護ぶりが見られる。
鬼になった青年
こちらはヤク中の暴走。
無駄にエログロに走る作者の特徴が現れている。
後ろを見るな
怪談としてはありふれているが、家庭への不平不満から徐々に倫理を踏み外して行く、そのストーリー展開がバツグンに面白い。
幽霊屋敷
怪異に対して常にクールというか不感症の主人公が面白い。
ゾッとするハズのオチにも、気付いていない部分が笑える。
お伽の島にて
美人に岡惚れして、勝手に嫉妬に狂うモテない男の生態を余す所なく伝えている。
壁の中の幻人
何故、あんな奴がTVでのさばっているのか?
それはオペラ座の怪人がパトロンにいるからである。
二人の男
SM+ジキルとハイド。
恐竜のいる風景
子供の想念が自由に駆けるジュブナイル作。
自分も幼年時代、似たような空想に没頭したような気がする。
妖精の王者
まさに、エロ・グロ・ナンセンス。
唐突なオチに伏線が全く無いのが逆に凄い。
ハイヒール
幸せとは主観によるもの。
自分だけが相手を美しく見る事が出来、相手もそうならある意味理想である。
そこに、他意がなければ、、、
缶詰の悪夢
こちらも幸せが主観によるという話。
しかし、逆に主観で不幸せになっている人間の話だ。
物事の有り様はこうだと悟った時にはもう遅い。
そんな事態に陥らない様に気を付けて生きるべきである。
クトゥルー、ジュブナイル、アル中・ヤク中のたわ言、エロ・グロ・ナンセンスとバリエーションが豊か。
これを単なるホラーと断じ、捨て置くのは勿体ない。
一級のエンタテインメント作品として、一部のマニア向けでも語り継いで貰いたいものだ。
映画評論も独特で面白い
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さて次回は、ホラーとはちょっと違う、正にオカルトと言える作品『七つ星の宝石』について語りたい。