ニューヨーク、ローウェル医師のもとにある男が運び込まれた。その男、トーマス・ピーターズは目を大きく見開き、目蓋を閉じてもそれが自然と開いてゆく。そして、その目の中には言いしれぬ恐怖がありありとみてとれた、、、
著者はA・メリット。
編集者として活躍する一方、ファンタジー小説をしたためた。
本書はホラーだ。他の著作に
『ムーン・プール』
『イシュタルの船』
『黄金郷の蛇母神』等がある。
本書『魔女を焼き殺せ!』は、その物騒な題名により予想される通りの作品である。
魔女が何らかの方法で悪さをしている。
そしてそれを突き止めようと、図らずも奮闘する事になる医師のローウェルが
理性と常識的解釈により解明しようとする。
繰り返される凶行、しかし、それに常識で対抗しようとする医師。
ありがちに思われるだろうが、そこに面白さがある。
超常現象VS常識。
この対決の面白さ、段々常識が疑われてゆく恐ろしさを楽しんで欲しい。
以下ネタバレあり
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人の似姿、人形の恐怖
神は己に似せて人を作った。
そして人は自らに似せて人形を作る。
この人形に対して、言いしれぬ不安と恐怖を覚えるのは私だけであろうか?
その人形が自分の知っている人間だったら。
その人間が最近死んだ者だったなら。
恐怖はひとしおである。
しかし、一番恐ろしいのは自分と同じ姿の人形を見たときであろう。
そういう人形恐怖症の妄想を上手く物語として仕立てている。
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超常現象?トリック?
本作では語り手としてローウェルという医師が探偵役となっている。
そして、彼は常識を捨てずに事態に臨み、その範囲内で事件を解釈する。
なんとなく『X-ファイル』のスカリー捜査官を彷彿とさせる。
そして、このローウェル医師の目線が読者に疑惑の種を植え付ける。
果たしてこれは超常現象なのか?
それとも、巧妙なトリックなのか?
本書『魔女を焼き殺せ!』を読んだだけでは、それを断言できないのだ。
これが怖い。
読者としては、ホラーを読むのだから超常現象前提で読んでいる。
しかし、ローウェル医師の解釈を聞くと「もしかしてそれは先入観で、実際は常識の範囲内では?」と思ってしまう。
面白いのが、作中では超常現象を受け入れないローウェル医師は「常識という先入観に縛られた人間」として描写されている点だ。
ホラー好きな読者は読んでいて「超常現象前提という先入観」に疑問が湧いてしまう。
一方、ローウェル医師は「常識に縛られた先入観」が段々ぐらついてゆく。
この対比が面白い。
そして怖い。
もしかして、これは魔女狩りでは?
マダム・マンディリップを「死んで当然」と考え、『魔女を焼き殺せ!』と呼ばわる事は、実はリンチなのではないか?
そう思ってしまう。
つまり、超常現象を前提としてホラーを受け入れるこの態度こそ、「魔女狩り」を引き起こした原因なのではないのか?
そんなメタ的な目線を読者に突き付けてくるのだ。
本書『魔女を焼き殺せ!』は、徐々に驚異が明らかになり、這い寄って来る恐怖を常識で解釈しようとする姿勢が面白い。
普通に怪奇文学としてだけでも面白いのだ。
しかし、題名で『魔女を焼き殺せ!』と煽られると、もしかして「ホラーの常識」で判断する事は間違いなのではないのかと疑念が湧いてくる。
題名からイメージを喚起させ、それに対し本文にて疑惑を呈してみるという、なんとも計算された作品である。
ホラー好きであればあるほど、その姿勢を省みるいい機会になるだろう。
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さて次回はごちゃごちゃ悩まず、犯罪を実行した結果……小説『破壊された男』について語りたい。