幻想・怪奇小説『どこの家にも怖いものはいる』三津田信三(著)感想  

 

作家・三津田信三は編集者・三間坂秋蔵に2つの実話怪談を紹介される。その2つの怪談には曰く言いがたい共通点が見られ、どことなくおぞましいものがあった。さらに、第3の共通点のある怪談も見つかり、、、

 

 

 

著者は三津田信三。他の著作に
『忌館 ホラー作家の棲む家』
『厭魅の如き憑くもの』
『禍家』
『十三の呪』等、
ホラーとミステリの融合した作品を多数発表している。

三津田信三氏の一番の人気シリーズである「刀城言耶シリーズ」は「ホラーテイストのミステリ」であるが、本作『どこの家にも怖いものはいる』はミステリテイストのホラーである。

何処か類似点のある怪談が発見される度、いつしかその怪談に囚われていく作家と編集者、という内容になっている。

読み味としては

五つのちょっと似ている実話系怪談集

 

を読んでいる様な感じで、連作短編集的とも言える。

そして、その5つが

どうして似ているのか?という謎解き要素

もあり、ホラーでありながらミステリ、という何となくお得感も感じられる。

三津田信三氏の著作にあって、最早職人芸的といえる導入部や話の展開パターン、それらはいつもの通りである。
ファンは安心して読める。

また、他のシリーズとは独立した単品的な作品なので、三津田信三作品を読んだ事のない人でも気軽に(?)読める。
是非この作品から入って、他の著作にも手を拡げていって欲しい。

 

 

 

以下ネタバレあり

 


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  • 三津田信三的話のパターン

三津田信三氏の著作では多く見られるのだが、話の途中で謎のまとめが入る。
概ね、「起承転結」の「起承」と「転結」の間に挟まれる事が多いイメージだ。

話の途中経過をまとめ、問題点は何か、それに対してどんな解法があるのか、登場人物の会話形式をとって一つ一つ検討していく。

これが大変わかりやすい。むしろ、読者が想定していなかった「ミステリの答え」のパターンを提示し、それを論理的に否定してみせたりする。

私なんかは、毎回口を開けて「ほえ~、じゃぁ、コイツ犯人じゃないのか?」と思考停止で読んでいるので、いつも感心している。

しかし、この「登場人物自身が作品内で問題点を論理的に解釈する」という手法には、ある種の作者が施した罠がある

読者とは、結構カンが鋭いもので、論理的に考えずともヤマカンのあてずっぽうで何となく犯人が分かってしまう。
それは動機やトリックにも当てはまり、作者が一生懸命考えたものを思考停止状態でありながら「論理を使わずに」言い当てたりもする。

心ない人間なんかは「いやー簡単に犯人分かったわー」なんて言ってしまうのだ。

しかし、「登場人物自身が作品内で問題点を論理的に解釈する」という手法を用いると、読者自身の思考を論理の方向に導き、ヤマカンを封じるという作用がある。
「読者」という高所からの視点が、「登場人物」の視点まで堕してしまうのだ。

こうなると、最早読者は作者の手のひらで踊るしかなくなり、毎回心地よい驚きを体験する事になるのだ。

  • 意外では無い事が意外

本作『どこの家にも怖いものはいる』はモロにそのパターンである。

私は単に「実話系怪談」という認識で当初は読んでいた。
しかし登場人物に論理的に「土地」が違う、「年代」が違うと言われると、「アレ、そうだっけ?」とその時はじめて問題点に気付いたのだ。

そして、「オチ」が明かされた時に「ほえ~」と感心するのだが、その一方冷静になると、論理的に考えずに「そのつもり」で読んでいた事が「オチ」だった、という事に気付く。

この、「オチ」でなかったものが「オチ」になってしまう計算され尽くした作品構成こそが、本書の一番の魅力なのではないだろうか?

 

また、私は本書『どこの家にも怖いものはいる』を読んで、昨年観た映画『残穢―住んではいけない部屋―』の事も思いだした。
本書が気に入った方はこちらも観てみては如何だろうか。

 

 

 

 


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さて、次回はドラマ『ツイン・ピークス』第13章について解説したい。