クレッチマーは煩悶している。裕福で、優しい妻、愛らしい子供もいる。それなのに何処の誰とも知れぬ小娘に電撃的に恋に落ちてしまった。そしてその娘は、クレッチマーの反応に気付くと、瞬く間に彼に取り入って来た、、、
著者はウラジーミル・ナボコフ。
『ロリータ』(1955)という小説があまりにも有名だ。
ほかの著書に
『絶望』
『偉業』
『賜物』 等がある。
本作『カメラ・オブスクーラ』を一言で言うと、
オッサンが小娘に入れ込んで身を持ち崩す話である。
もう誰が見ても分かる。
というか、クレッチマー本人も最初は自覚している。
バカな事をしている、と。
それを登場人物たちと一緒にクレッチマーにツッコミを入れるのが楽しい。
まさに知らぬは本人ばかりなり、である。
だが、何かに夢中になって周りを顧みない事は誰にでもある。
このクレッチマーの行動を反面教師として自戒したいものである。
以下ネタバレあり
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不都合な事には目をつぶる
クレッチマーは小娘マグダに一目惚れしつつも、最初は距離を置いていた。
しかし、マグダはクレッチマーに気付くと、その奥手の性格を利用し、あの手この手で絞り取り始める。
ポイントは、最初に焦らし、しかるべきタイミングを見計らって「ご褒美」をあげている事だ。
クレッチマーはその「ご褒美」欲しさに、通常の判断ではとてもあり得ないような選択をしてゆく事になる。
そしてタガが外れ、その思考が常態してしまうのだ。
面白いのは周りの人間も、読者も、マグダが地雷だと分かっていおり、小娘に入れあげるクレッチマーの滑稽さを笑っている事だ。
しかし、クレッチマーはマグダの「ご褒美」を「愛ゆえの行為」だと(自分で無理矢理)勘違いして、誰でも分かるマグダの悪意に(故意に)目をつぶっている。
何故なら、それを信じると自分が幸せだからである。
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人の振り見て我が振り直せ
しかし、この滑稽さを無闇に笑えないのが絶妙なところである。
人は、端から見ると無価値なものに執着しがちだからだ。
例えばアイドルの握手券に何万円もつぎ込んだり、
車のパーツを延々といじったり、
山に登るのに装備ばかり凝ったり、
化粧水ばかり次々と入れ替えたり、etc…
大なり小なり、皆覚えがあるだろう。
それにいつ気付くか、というのが大人への階段となる。
常に、自戒して生きていきたい。
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まさに自殺行為
特に秀逸なのはp.199のクレッチマーの独白である。
若いピチピチギャルのマグダと記憶の妻の寝姿を比べて、「若い方がイイ!」と決断するのだ。
その決断は、凶事の延長線にあると、クレッチマー自身も気付いていたハズである。
自身が反省する最期のチャンスをフイにし、むしろそこから破滅を自ら選んだと言える。
見た目の良さに目がくらんで不幸を招いたのに、それに懲りずにやはり見た目を選択する。
読んでいて頭を抱えるシーンだ。
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読ませる構成の上手さ
話の内容が面白いのは勿論、『カメラ・オブスクーラ』は構成も素晴らしい。
回想の入れ方、挿入される第3者の視線、光景が目に浮かぶ描写力。
なかでも唸らせるのはホーンの登場シーンである。
物語全体を一度作って、俯瞰し計算尽くで構成し直しているようなクレバーな印象を受ける。
頑張って解説してみたが、実は巻末に翻訳者の貝澤哉によるもっと素晴らしい解説が付記されている。
そちらも御参照されたし。
私が言いたい事は、この『カメラ・オブスクーラ』は面白い!という事だけだ。
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さて次回は、原作漫画は文句なく面白い!!!!が、映画化は一体どんな出来だ!?『ジョジョの奇妙な冒険 ダイアモンドは砕けない第一章』について語りたい。