中学校に上がった水谷茜。もう、子供と言えない。周りの友達も夢や恋バナに花を咲かし、イマイチそのノリについて行けない感じがする。まだ、中学に慣れない憂鬱な月曜日、おもいっきり暴れたいと夜の校舎に忍び込むと、そこには同じクラスの月野がいた、、、
作者は阿部共実。
近年は「このマンガがすごい!」ですごい推されている。
単行本に、
『空が灰色だから』(全5巻)
『ちーちゃんはちょっと足りない』
『死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々』(全2巻)等がある。
あなたには中学生時代がありましたか?
勿論ありますよね。
私にもあります。
本書『月曜日の友達』は中学生時代、しかも、
中学1年生のキラキラ時代を描いた作品です。
しかし、中学1年生の時の自分がキラキラしていただなんて、
それは今思い返せば、の話。
その当時は色々な悩みがありました。
そんな、等身大の苦悩と、
子供時代を脱し、青春のとば口に立った若人が日進月歩で変わりゆく様を瑞々しく描かれています。
甘く、懐かしく、それでいてほろ苦い、
おそらく、人生で一番純粋に楽しかった日々。
きっと、あなたの中学生時代も蘇ります。
読む人間の思い出がいっぱい詰まった作品、それが『月曜日の友達』なのです。
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『月曜日の友達』のポイント
蘇る中学生時代の思い出
少しの齟齬が気になっていたあの頃
それでいて、特別で有りたかった自分
以下、内容に触れた感想となります。
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中学1年生
中学1年生。
小学生時代が終わり、最早子供とは言えません。
本当に、何も知らずに生きていた時代は終わり、
大人になる為の訓練が始まる時代です。
制服という画一された規格に押し込まれ、
成績は厳格に順位付けされ、
先生や先輩は従う事を強要し、
責任と義務と権利を徐々に学んで行きます。
その環境にいち早く順応し、大人びるクラスメイト。
その一方で、まだまだ子供っぽい子もいて、十人十色なのが中学1年生です。
大人になるってなんだろう?
自分って一体なんだろう?
そんな事もふと考えて、自分のアイデンティティを主張する為に、敢えて奇抜な事をやって黒歴史を作っちゃうのもこの頃でしょう。
自分オリジナルの変な訓練を開始したり、
友達と遊ぶ時だけ、饒舌になったりする。
あまりにも、覚えがあり過ぎるあの日々。
まだ、「性」を意識せずに、異性と話が出来ていた頃。
純粋に、大切な「友達」が居て、
喋るだけで楽しくて、
意地張って気まずくなったり、
でも、仲直りもちゃんと出来ちゃう。
それが中学1年生。
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思い出がいっぱい
…どうでしょう、私のポエムは?
本作『月曜日の友達』はポエム調の内面描写が多いので私もやってみました。
さて、本作の中学1年生描写に、自分の思い出が蘇る人も多いのではないでしょうか。
私はどっちかと言うと「月野」タイプ(陰キャより)だったのですが、
水谷の細かい心理描写に同意する事しきりでした。
私も、学校行きたくないな、、、
と思っている時期があって、
でも、部活動が段々面白くなって来ると、
何故か学校も楽しくなって、
でも転校してまた人間関係がリセットされたり、、、
色々ありました。
そんな、読む人各自の感情の起伏によって自らの思い出が掘り起こされ、さながらタイムマシンの様に当時の情景が蘇る。
『月曜日の友達』はそんな作品です。
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阿部共実ならではの緊張感
阿部共実という作家は、過去の短篇や長篇作品において、絶望のどんでん返しをカマした事があります。
なので、本作を読んでいる間も独特の緊張感を感じてしまいます。
「水谷と月野の友情が崩れるのではないか?」
「何か、予期せぬ不幸が訪れるのではないか?」
阿部共実のマンガは、
必ずしも予定調和のハッピーエンドが訪れる訳では無い。
この事を過去作から読んでいるファンは知っているので、気が抜けないのです。
この緊張感は、読んでいて「月野はどういう反応を返すのだろう?」という水谷の感情をリアルに味わう効果を演出します。
そしてこの「自分の言葉を相手が受け入れてくれるだろうか?」という不安な感情は、やはり読者がかつて中学生時代にリアルに味わった感情であり、
これもまたあの頃の思い出を蘇らせる一因となります。
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絵が上手い論争
漫画の絵の話をする場合、これは上手いがどうか?という論争が巻き起こります。
阿部共実の場合は、漫画の絵が上手いと言えると思います。
記号のように並んでいるクラスメイト達。
その中でも目立たせたいキャラクターは、一目で分かります。
また、字が多いのに、画面が見やすい。
これは計算された構図です。
字の情報量が多い時は、絵の書き込みを控えていたりします。
また、漫画表現に色々チャレンジしている部分も、絵の面白さを引き立てます。
キャラクターの感情と直結するかの如き陰影の使い分け。
水谷の髪留め、リボン、足のリストバンド(?)や、カラーボールに見られる「丸」への拘り、
飛び散る水滴、
光のきらめきの表現、
それら幾何学模様が導く美しさ。
基本、ぼた餅の様な黒目を様々に変化させ、
また、口の開け具合などの顔の表情で的確にキャラクターの感情を表現する手法。
いずれも漫画ならではの面白さに満ち、絵を見ているだけでも楽しい、つまり、漫画として読んだ時に上手い絵を描いているのです。
中学1年生時代を描いた作品『月曜日の友達』。
私もあの頃はスタンドが使いたくて、自分オリジナルの能力とかデザインとか考えて遊んでたなぁ、、、
などと、作中描写が読者それぞれの思い出と呼応し、色鮮やかな思い出と感情を呼び覚まします。
ラストの魔法の様な展開は、あり得ないと思いますか?
いいえ、あの頃はまだ確かに、ギリギリ超能力が使えた年頃なのです。
その頃を思い出してみて下さい。
きっと今より、世界が輝いていた、
その輝きこそが、魔法であり超能力だったのだと今にして思います。
でも、『月曜日の友達』を読んでその頃の事を思い出したなら、
今でも超能力がまだ使えるのかもしれませんね。
本作は全2巻です。
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