映画『ブリグズビー・ベア』感想  かつての自分を思い出せ!!これが物語の力だ!!

 

 

 

毒の大気が蔓延し、隔離されたシェルターにて暮らしている一家三人。息子のジェームズは、週に一度届く教育ビデオ番組「ブリグスビー・ベア」の新刊のみを楽しみに、単調ながらも平和な日々を過ごしていた。しかし、そこに警察が踏み込んで来て、、、

 

 

 

 

監督はデイヴ・マッカリー
本作が初監督作品。

出演は
ジェームズ:カイル・ムーニー
テッド:マーク・ハミル
エイプリル:ジェーン・アダムス
ヴォーゲル刑事:グレッグ・キニア 他

 

 

『ブリグズビー・ベア』。
これは、奇妙奇天烈な映画です。

 

警察に拘束された両親。

ジェームズも警察署に連れて行かれ、「保護」されます。

なんと、
ジェームズは赤ん坊の頃誘拐された被害者だったのです。

今まで親だと思っていた二人は、実は誘拐犯。

本物の両親、そして妹と会いますが、
初めて体験する「外」の世界に新鮮な驚きを隠せないジェームズ。

しかし、ただ一つの不満は、
「ブリグズビー・ベア」の新作が観られない事、、、

 

どうでしょうか?

このざっとした粗筋で分かる通り、

本作は好みが分かれます。

 

パリピのウェイ!!
みたいな人は、まずもって見向きもしないでしょう。

どっちかというと陰キャよりの映画と言えます。

 

社会から隔離されて育った為に、
ジェームズはちょっと世間知らず。

はっきり言うと、

オタクです。

 

自分の好きな事を喋る時は早口になったり、
いい歳して「熊の着ぐるみ」のお話に夢中だったり、

しかし、
世間はジェームズが誘拐された被害者だと知っているので、
生温かい目で見守ってくれます。

 

そうです、この映画、

世間から、ちょっと斜めに見られている人ほど共感出来る部分が沢山あるのです。

 

「キモいオタクが熊に夢中な映画」と言ってしまう人にはつまらないでしょう。

しかし、

「ジェームズの行動ってこっぱずかしいけれど、なんとなく私にも覚えがある」

 

こう思ってしまう人には、何とも心の琴線をくすぐられる思いがするハズです。

確かにジェームズってオタクっぽいけれど、
そんなジェームズを笑えるのか?

むしろ、
自分の今の状況の方が、お笑いなのではないのか?

観る人によっては、
そんな哲学的な問答を初めてしまうかもしれません。

万人受けはしない、
好みは別れる、
だからこその面白さに満ちた作品、
それが『ブリグズビー・ベア』です。

 

 

  • 『ブリグズビー・ベア』のポイント

キモいオタクって悪い事なのか…!?

ピュアな童貞力溢れる作品

人の振り見て我が振り直せ

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 己の事を映画化したの!?

『ブリグズビー・ベア』の
監督:デイヴ・マッカリー、
脚本:ケヴィン・コステロ、
主演、共同脚本:カイル・ムーニー、

この3人は中学生時代同級生なのだそうです。

そして、デイブとカイルは
アメリカの人気コメディTV番組「サタデー・ナイト・ライブ」で活躍、

YouTubeのチャンネルも持っており、

それらの縁に恵まれて、映画の製作まで持って行けたとの事です。

 

映画では、ジェームズは、
続きを観られないのなら、自分で「ブリグズビー・ベア」の新作である完結篇を作ってしまおうと思い立ち、それを行動に移します。

好きな作品があっても、その続きが観られない、
それなら俺らで作ってみよう!!

こういうインディーズ魂というか、
仲間内でワイワイ楽しく、何かを生み出すという感覚

ジェームズがやっていた事、
それは、この映画の撮影そのものだったのではないでしょうか。

 

  • ジェームズというキャラクター

拉致監禁され、世間とは隔絶された環境で25歳まで過ごしたジェームズ。

普通の映画なら、
ここからサイコミステリーになったり、
世間と自分の不器用さを対比したヒューマンドラマになったりするでしょう。

 

しかし本作『ブリグズビー・ベア』は、ちょっと違います。

過去に囚われつつも、ベクトルは前に向かっているんです。

拉致監禁というのは、あくまで設定の一つ、それはメインのテーマでは無く、

「作品作り」という事がテーマになっているからなんですよね。

 

ジェームズの行動や言動は、正に童貞そのものです。

女の子と良い感じになっても、据え膳食わずに逃亡します。

「ブリグズビー・ベア」の事を実の両親に一方的に早口でまくし立て、
彼等の話を聞こうともしません。

自分の興味のある事以外は、歯牙にもかけない

これが童貞ならではの、一途な頑固さと言えるのではないでしょうか?

 

一つ、印象的なシーンがあります。

「ブリグズビー・ベア」の新作自主映画を作る事を思いついたジェームズは、
自分を保護したヴォーゲル刑事へ直談判しに行きます。

しかし、偽の両親が制作に使った「ブリグズビー・ベア」の小物類は、全て証拠品として押収されており、
提供は出来ないとヴォーゲル刑事は断ります。

しかし、映画の製作は賛成だと言うヴォーゲル刑事、

彼自身、若かりし頃は役者経験があり、
『テンペスト』のプロスペローの台詞の一部を披露し、一席ぶちます。

ジェームズはその姿に感動し、大喜び。
この無邪気な感じが如何にも童貞ですね。

そして言います
「何故、演技を止めたの?」

ヴォーゲル刑事は(そして観客である私も)その一言にハッとします。

 

ヴォーゲルが演技を止め、
今は刑事をしているのは何故でしょうか?

生活の為?
つまり、演技では食って行けないから、
そして、現実を見て無難な道を選んだのでしょうか?

そうかもしれません、
しかし、
プロとして食えないからと言って、それが好きなものを止める理由になるのでしょうか?

何かをやらない事に理由を見つけて、
好きな事すらも諦めてしまっていないでしょうか?

ただ単に、日々の生活を送るためだけに。

 

思う事があったのか、ヴォーゲル刑事は「応援する」の範疇を越え、
むしろ自身もジェームズの映画に参加する始末。

 

また、それだけでは無く、
ジェームズがアポ無しで会いに行った、
「ブリグズビー・ベア」の出演者、スマイルシスターズを演じていたホイットニーも、

当初は出演しないと言いながらも、

出来上がった作品には、ちゃっかり出演していました。

 

ジェームズは、ホイットニーを、
「ブリグズビー・ベア」の出演キャラの「アリエル」そのものであるかの様に語りかけます。

一通り会話し、噛み合わなくて、
「子供のお迎えに行かないと」と席を立った彼女に、

ジェームズは「あなたを愛しています」と、そのものズバリに告白します。
「あなたとブリグズビーの存在が、生きる理由そのものだった」と。

立ち去る時のジェームズは、ちょっと格好良かったです。

 

ジェームズの行動、考え方、それは童貞そのものです。

そんなジェームズには行動力と実行力があります。

引きこもっていたのに、何故これほどまでにアグレッシブなのか?

それは、人生の挫折の辛さをまだ知らないからです。

人間というのは、基本自己中心的です。

子供は、自分の思う通りに
良いことも、悪い事もやってしまいます。

しかし、
社会生活を営む過程において、
競争に敗れたり、他人やルールによって頭を抑えつけられる事によって、
徐々に積極性を失って行きます

しかし、ジェームズの行動は、
自分が捨て去った純粋無垢な積極性、
社会に囚われた常識に犯される前の、
自由で、正直な自分を思い出させるのです。

 

確かに、ジェームズの行動はオタクそのものです。
一見、ちょっとキモいです。

しかし、それは悪い事なのでしょうか?

自分の拘っている好きな事に集中し、何の衒いも無い事を言う

それは素晴らしい事だと、ジェームズを見ると思います。

 

そして、ジェームズは、ちょっとカッコイイです。

メレディスに、「ちょっと歩こうか?」と言うシーン、
結婚は出来ないとハッキリ断るのがカッコイイですね。

また、
警察に捕まった時、
自分が全部悪いと言うシーン、

ホスピスに隔離されて、
そこから脱走するシーン、

いずれも、やっている事は少しチグハグでも、
ジェームズは自らの行動に自信を持ち、常に積極的に事態を動かします

 

ジェームズは、確かに世間知らずかもしれません。

しかし、そんな彼の「ブリグズビー・ベアの新作映画を作る」という行動により、
多くの人を巻き込んで、
徐々に人の眼を変えて行きます。

 

誘拐犯である、偽の両親のテッドとエイプリルにより作られた世界観の「ブリグズビー・ベア」。

本物の両親にとっては、にわかには受け入れがたい物語ですが、
しかし、ラスト近く、父親のグレッグは言います。
「ブリグズビー・ベアを好きという事実があり、今のお前があるのなら、それを含めたお前が好きだ」と。

「ブリグズビー・ベア」という「物語」自体に罪は無く、素晴らしい物
つまり、素晴らしい息子のジェームズを作り上げたものなのだと、認識するのです。

「物語」によって人は作られ、

そして、「物語」によって人は変わります

 

偽の両親から「ブリグズビー・ベア」をジェームズは継承しました。

しかし、ジェームズはそれを、自分の為の新たなる物語、完結篇として製作します。

ジェームズは、
好きなものは好きではあるけれども、
しかし、
新しい生活を送る為のケジメを自ら付けているようにも見えます。

自分の人生そのものだった物を自らの手で終わらせる、

それはさながら、
今までの生活から脱皮し、新しい世界へと踏み出す、
ジェームズの所信表明の様な感じすらします。

「物語」によって、新しい世界へと生まれ出でたジェームズ。

ラスト、彼は万雷の拍手により人々に祝福され、
それにより、新たな一歩を踏み出して行くのです。

 

  • 出演者補足

偽の父親テッドを演じたのはマーク・ハミル

ご存知、「スター・ウォーズ」シリーズにてルーク・スカイウォーカーを演じました。

映画以外でも声優として活躍しており、
中でもアニメやゲームで「ジョーカー」の声を演じていたのが有名です。

本作でも、
何処か狂気を宿した老人の雰囲気を醸し出しており、

さらには「ブリグズビー・ベア」のナレーションとして声優の力を遺憾なく発揮したマーク・ハミル。

正に、適材適所の配役だったと思います。

 

 

 

「物語」によって、人は生まれ、形成され、そして変わる。

その事を謳った映画『ブリグズビー・ベア』。

人の心を繋ぎ、そして解り合う。

その力の素晴らしさ、
この映画は、それ、そのものと言える作品なのではないでしょうか。

 

 

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