映画『アネット』感想  毒親の恐怖!!オシャレ映画の皮を被ったエクスプロイテーション!!  

人気スタンダップコメディアンのヘンリー・マクヘンリーとソプラノ歌手のアン・ドゥフランヌーの二人は付き合っており、マスコミからは「美女と野人」と揶揄されていた。
二人は結婚し、一子アネットを儲ける。愛し合う二人は幸せの絶頂を迎えたのだが、、、

監督は、レオス・カラックス
フランス出身。
第74回カンヌ国際映画祭(2021)において、
本作で監督賞を受賞。
監督作に、
『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983)
『汚れた血』(1986)
『ポンヌフの恋人』(1991)
『ポーラX』(1999)
『TOKYO!』の一編、「メルド」(2008)
『ホーリー・モーターズ』(2012)がある。

出演は、
ヘンリー・マクヘンリー:アダム・ドライバー
アン・ドゥフランヌー:マリオン・コティヤール
指揮者:サイモン・ヘルバーグ 他

その昔、
「世界名作劇場」というTVアニメシリーズがありました。

その第9作目に、
『アルプス物語 わたしのアンネット』(1983)という作品があります。

「世界名作劇場」は、
『アルプスの少女ハイジ』や
『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などが人気も高く、有名ですが、

軒並み面白い作品群であり、
各作品に、固定ファンが付いている印象があります。

「わたしのアンネット」も、
そういう作品の一つ。

内容は暗いですが、
それ故に、印象的、好きだと言う人も多い、
評価されている作品です。

さて、閑話休題。

レオス・カラックスは、
かつて、日本においては、
「ニュー・フレンチ・アクション・シネマ」の一人として紹介され、
現在でもカルト的な人気を誇る監督。

しかし、
1983年に、23歳で『ボーイ・ミーツ・ガール』を監督して、
それから、現在30年弱経ちましたが、
監督作は
短篇含め、7本という寡作ぶり。

そんなレオス・カラックス監督の久々の作品が、
本作『アネット』になります。

メインビジュアルに、
波間でダンスを踊っている?風の?
アダム・ドライバーとマリオン・コティヤールが採用されており、

ぱっと見、
カップル推奨のオシャレ映画の雰囲気を醸し出しています。

まぁ、確かにオシャレです、本作は。

しかし、
カップルで本作を観るのはオススメしません、
むしろ地雷だからです。

何故なら本作、

恋愛と結婚の残酷な違い

を描いた作品と言えるからです。

恋愛って、
楽しいし、幸せだし、毎日バラ色ですよね。

しかし、
結婚して、家族になるという事は、
恋愛の延長じゃない

その現実を、
本作は教えてくれます。

実際、本作はオシャレです。

ミュージカル映画で、
作りが上品ですし、
衣装とか、
演出とかも、凝ってます。

でも、上辺だけ上品でも、
一皮剥けば、どうだか分からない、
そんな人、いますよね。

本作の登場人物というか、テーマは、
正にそんな感じです。

で、描いている事は古典的というか、
王道的な「胸クソ」ストーリーなので、
安定した面白さ(!?)があります。

でも、ぶっちゃけ、

聖人君子よりも、
映画で観るなら、
クソみたいな人物の方が、面白いじゃないですか。

関わりたくないけれども、
傍から見る分には、興味深い、

本作の登場人物には、
そういう感想を抱きます。

ミュージカル映画で、
一見、オシャレ映画でもありながら、

実際は、
クソ人物の活躍を見る事になるというね。

しかし、
人の振り見て我が振り直せ、
本作を観て、
自らの立ち居振る舞いを見直せたならば、

『アネット』は、
十分にその役目を果たしている、
そんな感じがしますね。

  • 『アネット』のポイント

恋愛と結婚の違い

自分が悪だと気付か無い、極悪

迫力ある音楽

以下、内容に触れた感想となっております

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  • 自分が悪と思っていない、コレ、極悪

本作『アネット』は、
一見、オシャレなミュージカル映画。

しかし、
本作をカップルで観に行くのは推奨しません。

何故なら、
恋愛と結婚の残酷な違いをまざまざと見せつけてくるからです。

本作でメインで描かれるのは、
主人公であるヘンリー・マクヘンリーのクズっぷり。

結婚したけど、
「何か違う」とか言い出して、

まぁ、それは、
縛られる息苦しさとか、
バラ色の生活も、毎日続けばマンネリとか、
子供が出来て嬉しくても、育てるのが面倒とか、

そういう、
現実のシビアさを思い知って呆然としたり、

又は、
アンの方が売れっ子で、
その嫉妬とかもあったかもしれません。

でも、結婚は忍耐と言いまして、
ヘンリーも、
自分の本性を隠し続けていれば、
結婚生活は、その後、上手くいったハズなんですよね。

ヘンリーに、
仕事も、結婚生活にも暗雲が訪れるのは、

中盤、
6人の女性がヘンリーからの性被害を告発してからです。

このシーン、
実際に起こった事なのか、
それとも、
アンの夢(妄想)なのか、判然としません。

しかし、
外面の良さの下に、
そういう本性がヘンリーに隠れている事は、
明確に表われています。

印象的には、
ヘンリーは「悪」とはハッキリ言えない部分もあります。

ただ、
無責任、ストレスに弱い、感情的になりやすい、
状況に流され、しかし、自分の都合良い方に物事を進めようとする。

ごく普通の一般人でも、
そういう所はあるでしょうが、
しかし、
細かいマイナス点が積み重なって、
総合的に、
コイツ「悪」だなって、
他人に感じさせてしまうタイプです。

こういう、
自制が無く、
自身の行動に「ちょっとくらい良いだろう」という甘さがある人物というのは、

自覚が無いだけに、
質の悪いタイプの「極悪」と言えるのです。

もう、
息を吐く様に、
悪を繰り返すのが習い性となってしまています。

本作では、
そんなヘンリーが悪の半生というか、

身を持ち崩す悪人の凋落を観て、
楽しむというか、
溜飲を下げる作品となっております。

ラストシーン、
「君を愛する」「改心する」というヘンリーに対し、
実の娘のアネットは、
「あなたは一生、誰かを愛する事は無い」
と突き放します。

自覚の無い悪人という者は、
「改心する」「今度は上手くやる」と
口で言いながら、

その行動が全く伴っていないという特徴があります。

まるで、
総合格闘技の「UFC」のライトヘビー級の元チャンピオン、
ジョン・ジョーンズの様に、ですね。

彼も、
不祥事を起こす
→警察の厄介になる
→更生するとSNSで誓う
→謹慎期間が明けて試合に勝つ
→不祥事を起こす

を繰り返しています。

結局、改心しようにも、
何の、何処が悪いと自覚していないから、
悪い所を直せていないんですよね。

故に、
そういうヤツには、ハッキリと、
「お前ぇは、駄目だ」と言ってあげる事が、

本人の為にも、
関わらざるを得ない人にも、
必要なのです。

そういう意味で、
本作のラストは、
残酷でありながら、
爽快でも、あります。

  • 恐怖!!毒親のエクスプロイテーション!!

本作『アネット』は、
ヘンリーのクズっぷりがメインで描かれてはいますが、

その本質というか、
恋愛と結婚の違いに戸惑っているのは、
アンも一緒であり、

ヘンリーが目立っていますが、
将来的には、
アンも虐待をしていたという可能性もあります。

又、
アネットを世話する「指揮者」も、

一回、アンとセックスしただけで、
「アネット」は僕の娘とか訳分からない事を言い出します。

まぁ、
それを「あり得る」と信じるヘンリーも、
クズなんですがね。

どうやら、
歌の才能があるアネット。

そんな彼女の歌声を、
自分の恨みの手段にするアン、

「エクスプロイテーション(搾取)」だと知りながら、
それに荷担する指揮者、

ヘンリーは言わずもがな、
言い訳ばかりで、
アネットの歌声でショーを開催します。

本作では、
子供を利用する親
いわゆる、典型的な毒親を描いています。

子供の才能を伸ばす事と、
子供の才能を利用して、自分が儲ける事は、
もう、本当に、表裏一体の僅かな差しかありません。

自分の為なのか、
子供を第一に考えてなのか、
苦しむのは、誰なのか、
その事を、深慮する必要があると、

本作では、
悪い例をもって、教えてくれます。

その意味で、
自身の意思を吐露したラストシーン以外、
アネットの姿が操り人形であった事は、
象徴的です。

最初は、
子供を人形として描く事の趣味の悪さに驚きましたが、

しかし、
物語が進むにつれ、

むしろ、操り人形であるのは、
子供を利用する(復讐、金儲け)毒親の搾取の象徴であり、

これを、
本当の人間でやるのは、
気が引けるというか、
残酷過ぎて観るに堪えなかったかもしれません。

ヘンリーを告発する女性の6人の中の一人に、
水原希子。

アンの出産シーンにおける、
医師が古舘寛治、
看護師に福島リラと、

何故か、
日本系キャストも多く出演していた『アネット』。

本作は、
オシャレミュージカル映画の皮を被ったノワール作品、

恋愛と結婚の違いや、
毒親のエクスプロイテーションを描き、

お前ら、こうはなるなよ、
という
「人の振り見て我が振り直せ」映画となっております。

作品冒頭、
監督自身と、彼の娘が出て来ます。

この二人の関係は、
どうなんでしょうね?

そんな事を、
つらつらと考えてしまう作品です。

「スパークス」が手掛ける、本作のオリジナルサウンドトラックが、コチラ

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