映画『祈りの幕が下りる時』感想  推理はオマケ!?むしろ人情物!!

 

 

 

1983年、失踪した加賀恭一郎の母、田島百合子は仙台に移りスナックで働いていた。百合子はスナックの客の綿部俊一と懇意になったが、後に死亡。その綿部から加賀の存在を聞いたスナックのママ宮本から連絡があった。そして、現在、、、

 

 

 

 

監督は福澤克雄
大ヒットしたTVシリーズの「半沢直樹」の演出を手掛ける。
他の映画監督作品に『私は貝になりたい』がある。

 

主演、加賀恭一郎役は阿部寛
近年、映画俳優として確固たる地位を築きつつある。
近年の出演作に
『テルマエ・ロマエ』(2012)
『エヴェレスト 神々の山嶺』(2016)
『海よりもまだ深く』(2016)
『恋妻家宮本』(2017)
『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』(2018)
『北の桜守』(2018)
『のみとり侍』(2018)等がある。

他共演に、松嶋菜々子、溝端淳平、田中麗奈、山﨑努、等。

 

本作『祈りの幕が下りる時』は、
東野圭吾の小説、加賀恭一郎シリーズの最終作『祈りの幕が下りる時』の映画化作品。

本作にてとうとう、過去のTVシリーズやスペシャルドラマ、映画作品にてほのめかされてきた

加賀の母親の消息が語られます。

 

そして、

過去から続く加賀の個人的事情が、
現代に起こった全く別の事件と奇妙にリンクしてゆきます。

 

この辺のミステリとストーリーの面白さもさる事ながら、加賀恭一郎シリーズの魅力と言えばやはり、

やむにやまれぬ事情により至った、
事件周辺の哀しき事情と人情噺にあると言えます。

 

本作でもその特徴は健在。
むしろ、捜査部分より、人情噺の部分がメインと言えるでしょう。

事件の捜査と人情噺が上手く絡まり合い、二時間という映画の中でテンポ良く収まったバランス。

シリーズファンは納得の、
そして、少し寂しい思いを抱くシリーズ最終章、それが『祈りの幕が下りる時』なのです。

 

 

  • 『祈りの幕が下りる時』のポイント

加賀の過去と家族の話

殺人事件のミステリ

人情噺

 

 

以下、内容に触れた感想となっています

 


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  • シリーズ振り返り

TVドラマシリーズ『新参者』から始まった阿部寛演じる加賀恭一郎シリーズ。

ここで、原作小説のどれが映像化されたのか、ちょっとまとめて見てみましょう。

卒業
加賀恭一郎初登場作品。

眠りの森
2014年1月2日に新春スペシャルドラマとして映像化
出演、石原さとみ、柄本明、等。

どちらかが彼女を殺した

悪意

私が彼を殺した

嘘をもうひとつだけ

赤い指
2011年1月3日新春スペシャルドラマとして映像化
出演、杉本哲太、西田尚美、等。

新参者
2010年4月18日~6月20日まで、毎週日曜日21時、TBS系列にて連続TVドラマ化
出演、黒木メイサ、向井理、泉谷しげる、三浦友和、等。

麒麟の翼
2012年1月28日公開の劇場映画作品
出演、新垣結衣、松坂桃李、中井貴一、等。

祈りの幕が下りる時
2018年1月27日公開の劇場映画作品。

 

実は過去に、TVドラマとして
「眠りの森」「悪意」
「嘘をもうひとつだけ」収録の「冷たい灼熱」「狂った計算」が阿部寛のシリーズ以外で映像化されているそうです。

そちらも見てみると面白いかもしれません。

また、ご覧になれば分かりますが、原作はまだまだあります。

本作『祈りの幕が下りる時』にて加賀恭一郎シリーズはラストですが、興行収入が良ければ、他のエピソードも映像化されるかもしれませんね。

 

  • いつもの音楽が…無い!!

加賀恭一郎シリーズの音楽で印象的なのが、TVシリーズの時のあの軽快なBGM。

もの凄く耳に残る。
しかし、作風と合ってない!

事件が起こっても、あのBGMで何となく楽しい事が起こっている雰囲気になります。

ずっとそう思ってきましたが、本作『祈りの幕が下りる時』では、あのBGMが全く流れません。

…合ってないと思いつつも、いざあの音楽が流れないとなると寂しいものですね。

 

*以下、ネタバレに直結する内容となっています。

 

 

  • 曽根崎心中

本作、クライマックスで過去を語るシーン。

そこでは、「新説・曽根崎心中」という舞台が開かれています。

『曽根崎心中』と言えば、近松門左衛門の戯曲。
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として有名です。

内容は、若い男女の恋愛と心中の物語

これがクライマックスの語りの背景で演じられているのは意味深です。

浅井博美と父との逃亡生活。

そして自殺偽装の末の隠遁生活は社会的には死んでいるのと同様です。

その父が、自らの素性を隠す為罪を重ね、いよいよ隠しきれなくなった時、焼身自殺をするに至ります。

しかし、娘はそれを許さない。
怖ろしい死に方をさせるより、自らが手を下す事を選ぶのです。

父は、長らく続いた逃亡生活に倦み疲れています。
彼の人生は自殺偽装で既に終わっており、その後のオマケの人生では娘の成長だけが心の拠り所となっています。

一方娘も、自らの来歴、
母に裏切られた事、父を犠牲にした事で心にしこりが残ったまま生きています

そういう、父に対するある種の罪悪感を抱えたままでは、子供を産む勇気が出ずに、演劇を理由に堕胎してしまうのはその表れと言えます。

そして博美が初対面の加賀に、「自分は人を殺した」と言い切ったのは、偽装の上に成り立った自らの人生に諦念と虚無感を抱えていたからなのでは無いでしょうか?

その二人、人生に疲れた者同士が、お互いの信頼関係の基に命を絶つというのは、どことなく『曽根崎心中』とも相繋がる物哀しさを覚えます。

理屈で言うなら他に道がある、
しかし、追い詰められた心情ではその他の道を取る選択が出来る状況では無いというのが、『曽根崎心中』と「クライマックスの告白」に通じる物哀しさなのです。

 

 

加賀恭一郎の母の消息が、
現代の殺人事件に繋がり、
その原因には人生の悲哀が隠されている。

まるで3つ分の物語を詰め込んだ内容ですが、上手くテンポ良くまとめて、二時間の分かり易い映画に作り上げたのは素晴らしいバランスです。

ミステリーと人情噺の融合、そして、シリーズの謎までも盛り込んだ本作『祈りの幕が下りる時』。

ラストの人形町のシーンではグランドフィナーレ感も漂っており、正にシリーズ完結篇としてふさわしい作品だったと言えましょう。

 

阿部寛主演の加賀恭一郎シリーズは、ここから始まった

 


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さて次回は、とある町が忌まわしい死というグランドフィナーレを迎える、小説『呪われた町』について語りたい。