アメリカ、マサチューセッツ州、グロスターの漁港で働く4人家族のロッシ家では、娘のエミリー以外は全員聴覚障害者だった。
そんなエミリー、高校の課外授業で合唱部に入る。最初は物怖じしていたものの、担当教師のV先生の指導を受け、歌う事の楽しさを覚える。
エミリーの歌唱に才能を見出したV先生は、彼女に音大への進学を勧めるが、、、
監督は、シアン・ヘダー。
アメリカ、マサチューセッツ州生まれ。
脚本も手掛けた本作が、長篇映画監督第2作目。
他の監督作に、
『クルーラ ~彼女たちの事情~』(2016)がある。
本作は、2014年のフランス映画『エール!』の英語版リメイク作品。
出演は、
ルビー・ロッシ:エミリア・ジョーンズ
フランク・ロッシ:トロイ・コッツィー
ジャッキー・ロッシ:マーリー・マトリン
レオ・ロッシ:ダニエル・デュラント
マイルズ:ジェルディア・ウォルシュ=ピーロ
ベルナルド・ヴィラロボス/V先生:エウヘニオ・デルベス
ガーティー:エイミー・フォーサイス 他
本作『コーダ あいのうた』の原題は『CODA』。
パンフレットの記述によれば、
「CODA」とは、
「Child of Deaf Adults」の略語で、
「聾者の親を持つ子供」の意味があります。
まだ、
「CODA」とは、
楽曲の終わりを表す音楽記号であり、
次の章が始まるという意味も持つものだそうです。
題名にて、
ダブルミーニングを含んでいる本作。
一言でまとめると、
家族への愛情と、
その愛する人からの自立の物語
と言えます。
聾者の親や兄を手伝い、
早朝から漁の手伝いをしているルビー。
学校では、魚臭いと蔑まれたり、
聾者の両親の事をからかったりする意地悪な同級生もいます。
それでも、課外授業で合唱部に入ったルビー。
V先生の指導の下、歌う事の楽しさを実感します。
V先生の特別指導で歌唱力に磨きをかけるルビー、
バークリー音楽大学への進学を勧められます。
その一方、
漁業組合では問題が発生、
漁獲量が制限され、政府からの監視員を船に乗せる事になるのですが、、、
本作は、
「コーダ」であるルビーの物語です。
一見、
特別な状況である様に思えますが、
ルビーが直面する状況は、
寧ろ、
至って普通な、青春の悩みでもあります。
自分の興味、趣味に理解を示さない両親、家族。
意地悪な同級生、
ちょっと気になるクラスメイト、
熱心に進学を勧める教師。
進学か、就職かで悩みながらも、
目の前の興味のある事に、
全力で打ち込もうとする情熱。
聴覚障害、聾者、と聞くとちょっと身構えてしまうかもしれませんが、
自分にも覚えがある青春を描く本作は、
故に、何の違和感も無く感情移入が出来る作品と言えます。
「自分と、全く変わらないんだな」と。
主役であるルビー・ロッシを演じたエミリア・ジョーンズは、
本作において、演技だけで無く、
アメリカ手話(ASL)と、
歌唱の特訓もする事になりました。
その甲斐もあってか、
言外の演技力が、中々のモノ。
私はALS手話は解りませんが、
しかし、
何を言っているのか、何となく理解出来るのが、不思議です。
本作、
ルビーの家族を演じた3人は、
実際の聾者であり、
そう言った意味では、
普段からアメリカ手話を使っている人達との交流で、
表現力が引き出されているのかもしれません。
物語の設定だけ聞くと、
ちょっと説教臭く感じるかもしれませんが、
しかし、
青春の1ページを切り取った作品として、
本作は、
誰が観ても感情移入出来る、
素晴らしい作品に仕上がっています。
『コーダ あいのうた』は、
完成度の高いドラマ作品と言えるのではないでしょうか。
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『コーダ あいのうた』のポイント
愛する家族からの自立の物語
悩める青春の1ページ
ルビーを中心に、丁寧に多重視点を絡める構成
以下、内容に触れた感想となっております
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愛する家族からの自立の物語
本作『コーダ あいのうた』のテーマは至って明確であり、
それは、
人が、子供から大人へと第一歩を踏み出す瞬間、
即ち、
家族からの自立を描いた作品と言えます。
V先生から音大への進学を勧められるルビーですが、
しかし、
漁船に健聴者を乗せる事を求める組合の通達を受けた家族の為に、
進学を諦めるという選択をします。
これは一見、
家族の為に、自分の将来を犠牲にしたかの様に見えますが、
しかし、
その要素もありつつも、
ルビーの本音としては、
V先生に洩らした、
「家族のいない所で暮らした事が無い」
そういう不安が実は、
大半を占めていたのではないでしょうか。
何かにチャレンジするのは、
怖いです。
新しい事に対する不安、
失敗してしまう事への恐怖、
孤独を強いられる戦い etc…
これらを回避する為に、
安易な「言い訳」として、
家庭の事情を持ち出してはいないか?
もし、
家業を言い訳にチャレンジを諦めたら、
将来、
家族への不満と、
何より、
一歩を踏み出さなかった自分の臆病さが許せなくなってしまいます。
本作のルビーは
そんな状況ですが、
しかし、
それは一般的な青春の悩みとして、
観客の感情移入を誘うのではないでしょうか。
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家族と、周りの理解者と
『コーダ あいのうた』は、
ルビーの悩みを描きつつも、
しかし、その一方で、
彼女を取り巻く周りの人間が、
情熱的に遠慮会釈も無い事が、
逆に、気持ち良かったりします。
特に、
ルビーの家族が活き活きしています。
食事時に音楽を聴くのは御法度と言いつつ、
出会い系サイトで女性を物色するレオにお咎め無しという体たらく。
それは、「家族で楽しめるから」。
個人的に衝撃だったのは、
ルビーと母親のジャッキーの対話のシーンです。
ジャッキーは、
ルビーが生まれた時、健聴者と知ってガッカリしたと言います。
「理解し合えないと思って」と。
それは、
ジャッキーが、母親と理解し合えなかったという過去から来ている感情でした。
これに対しルビーは、
理解云々は、個人的な問題(私達には関係無いよ)と言って、
母親に甘えます。
これに似た様な事が、私にも経験があり、
大学受験時の、
高校での三者面談で、
私の母は「大学なんてどうでも良い」と、突然暴言を吐き出しました。
先生は口を開けて呆然としていましたが、
母親の真意は、
「私(筆者)なら、どの大学に行っても変わらないでしょ」という
意味合いだったのだなと、思っています。
しかし、
そうは理解しつつも、
実際に大学受験をしようと勉強を頑張っている身としては、
面白くなかった事が、事実。
つまり、何が言いたいのかと言いますと、
一見、衝撃的な発言でも、
その真意が伝わるかどうかは、
家族の信頼感、関係性に拠るという事です。
ルビーは母親に、
「生まれてきてガッカリした」と言われますが、
その言葉を、額面通りに受け止めずに、
ちゃんと、その先の、言外の意味、
最初はガッカリした=不安だったけれど、
実際に生活して、
そんな気持ちは無くなった、
という真意が、
ちゃんと、ルビーに伝わっているのです。
一見、
派手で、自己中心的な人物として描写されているジャッキーですが、
その実、
娘には、唯一無二の母親として、
信頼されている事が、
このシーンにて理解出来るのです。
そういう信頼関係は、兄のレオとのシーンにも表われています。
家族の為に進学を諦めると言ったルビーの発言に、
怒って飛び出したレオ。
翌朝、
ルビーに言います。
「家族の犠牲になるな」
「いつまでも、拘束される事になるぞ」
そして、
「聴覚障害者だからって、馬鹿じゃないんだ」とも。
兄妹との関係性は、
両親とはまた別で、
一番の理解者であり、
人生での最初のライバルでもあります。
故にこのシーンは、
妹が、将来をフイにする選択をした事をたしなめる意味がありつつも、
その一方で、
自分が一人前だと、
妹に見做されていない(ルビーの介護が必要だと思われている)事への怒りの感情も込められているのです。
この、
兄妹の、独特の、
愛憎半ばする関係性が、リアルに描写された、
良いシーンだと思います。
本作は、
そういう言外の理解を促すシーンが多いです。
マイルズは、
ルビーの家族を見て「うらやましい」と言いました。
映画において、
マイルズがそういった台詞を言った時には、
どういう意味だろう?と思いましたが、
後に、
母親や兄とのシーンを経て、
私も、マイルズと同じ思いを抱きました。
家族が笑顔で、
仲が良い事が、一番なのだと。
この事で、
家族間の信頼関係というモノは、
聴覚障害には依存しないと、
観客にも、理解出来るのではないでしょうか。
また、
V先生は、
最初の授業で「ハッピーバースデー」が歌えなかったルビーに、
「デヴィッド・ボウイがボブ・ディランの歌声を『砂と糊を混ぜた様だ』と批判した」
例え話をして励まします。
このシーンは、
一見、ルビーを叱咤しつつも、
一方で、
「ボブ・ディランだって批判される」と、
また、
ルビー自身を一流歌手のボブ・ディランになぞらえている事で、
激励の意味も込められた場面でもあるのです。
個人的に、
本作のV先生は、私の一番のお気に入りで、
コミック的なキャラクターをしていますが、
その実、
自分の事を「教師が天職」と言うだけあって、
情熱と愛情を持ってルビーと接している事に、
「理想の教師像」が描かれていると感じました。
ルビーとV先生のシーンと言えば、
歌っている時、どんな気分だ?と聞かれたルビーが、
手話で返答する場面があります。
この時、
字幕で、何を言っているのかは示されませんでしたが、
その意味は、
何となく、理解出来るのではないでしょうか。
私は、
「自由を感じる」と、ルビーは言ったと思うのですが、どうでしょうか。
本作では、
楽曲のシーンも印象的です。
ルビーとマイルズが歌うデュエット曲、
「You’re All I Need To Get By」は、
マービン・ゲイと、タミー・テレルが歌った、
1968年の楽曲。
高校のコンサートのクライマックスで二人が歌った曲ですが、
その場面で、
敢えて、音を消し、
父親のフランク目線で、
周りがどの様に反応しているのかを確認させ、
後に、
フランクが個人的に、
ルビーに歌ってくれという場面で、
音を入れていた所に、
演出の上手さを感じました。
そして、
思い立ったかの様に、
ルビーを叩き起こして、
バークリー音楽大学のオーディションに飛び入りした場面。
ルビーは、
ジョニ・ミッチェルが作詞作曲した『青春の光と影(Both Sides Now)』(1969)を、
歌唱に併せて、
手話も用いながら表現します。
この場面は、
家族への感謝であり、
成長と、将来への希望を歌った、
本作のクライマックスと言える、感動的なシーンでした。
「コーダ」であるルビーが、
家族からの独り立ちを遂げるまでを描く本作。
それは、
人生の一区切りであり、
新たなる一歩でもある、
音楽記号の「コーダ」の意味も込められています。
青春の1ページ、
その葛藤を、
家族と、
同級生と、
先生と、
皆の関係性を持って、
丁寧に描いた本作、
完成度の高いドラマ作品と言えるのではないでしょうか。
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