映画『グリーンブック』感想  相手を知る、それが、相互理解


 

1962年、ニューヨークのナイトクラブで用心棒をしているトニー。しかし、クラブが改装するとの事で、仕事にあぶれてしまう。そんなトニーに、ドライバー兼、用心棒の仕事が舞い込む。なんと、未だ差別の色濃い南部にて、黒人ピアニストのドクター・シャーリーがコンサートツアーに出かけるというのだ、、、

 

 

 

 

監督はピーター・ファレリー。
本作は単体だが、
主に、弟のボビー・ファレリーと共同で監督する事が多い。
代表作に、
『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994)
『メリーに首ったけ』(1998)
『愛しのローズマリー』(2001)
『ふたりにクギづけ』(2003)等がある。

 

出演は、
トニー・”リップ”・バレロンガ:ヴィゴ・モーテンセン
ドクター・ドナルド・シャーリー:マハーシャラ・アリ
ドロレス:リンダ・カーデリーニ 他

 

 

第91回アカデミー賞にて、
作品賞、助演男優賞、脚本賞を受賞した、『グリーンブック』。

日本では、
公開直前という、グッドタイミングでの受賞

配給会社はウハウハでしょうね。

 

とは言え、
「アカデミー賞」という賞は、
単に作品が面白いものが受賞する訳では無く、

毎回、
アメリカの世相を反映し、政治色の濃いものとなっております。

最近の流行は、「ホワイトウォッシュ」。

何でもかんでも、
白人だらけの映画賞、映画作品に嫌気を見せ、
「アンチ・ホワイトウォッシュ」を声高に叫んでいます。

つまり、
人種の多様性を作品に求める傾向があるんですね。

と、いう訳で、
白人と黒人が出演している『グリーンブック』が、
作品賞に選ばれたのですが、

しかし、
この作品も「ホワイトスプレイニング」(白人が偉そうに説教する映画)として、
批判されています。

また、
トニーの息子のニック・バレロンガが映画の製作に名を連ねていますが、

その一方、
シャーリーの遺族からは、
家族の描写について、抗議の声が上がったそうです。

…難しいですね。

既に、単純な面白さだけでは、
アカデミー賞は語れないものとなっています。

 

と、言う訳で(?)
本ブログでは、
いつもの通り、
私見に満ちた目線で、映画を語って行きたいと思います。

 

さて、本作『グリーンブック』は、

バディ・ムービーであり、
ロード・ムービーです。

 

生まれ、育ち、嗜好、人種、
あらゆるものが違う二人が、

旅を通じて、いつしか、分かり合って行く。

鉄板の面白さのある映画ジャンルのタッグ、
これがつまらないハズがありません。

 

 

黒人でありながら、
南部でわざわざツアーをするというシャーリー。

トラブル必至の旅の予感に、
トニーは、1度は断りますが、
払いの良さに釣られ、仕事を受ける事にします。

なんとな~く偏見がありつつも、
しかし、
仕事は仕事と割り切り、専念するトニー。

最初は、お互いに距離があった二人、
しかし、
トニーはシャーリーの演奏を見て、感心し、
まるで自分の事の様に笑みを浮かべます、、、

 

 

「1960年代のアメリカ南部を旅する黒人」

人種差別を偏見を扱った作品という事が、
その時点で分かりますが、

しかし、本作、
過度に深刻になっていません。

何故なら、

作品全篇に、
ユーモア感覚があるからです。

 

締める所は締めつつも、
しかし、
随所に見られる「笑いどころ」が、
本作に、軽やかさを与えています。

これを、
受け入れやすさ」と取るか、
軽薄さ」と取るかで、

本作の評価が変わってくるのだと思います。

 

笑いの感覚がある事で、
作品を観る人間が多くなるのなら、

そこを導入部として、
作品のテーマに触れる人間も多くなるハズ。

『グリーンブック』はそういうスタンスを採っているのです。

 

アカデミー賞を受賞したという話題性、
デコボコの二人の旅、という鉄板の面白いシチュエーション、
作品に通底するユーモア感覚、

むしろ、
本作を見逃すのは惜しいのでは?

『グリーンブック』は、そういう作品なのです。

 

 

  • 『グリーンブック』のポイント

デコボコ二人のバディ・ロード・ムービー

飯にむしゃぶりつけ!!

差別と偏見を乗り越えるのは、相互理解

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 旅立ち

本作『グリーンブック』は、
差別と偏見を扱った映画です。

しかしそのテーマは、
その壁は乗り越えられるという「相互理解」、
これを謳った作品なのです。

 

とは言え、トニーも、
作品の冒頭では、黒人に対する偏見を持っていました。

工事に来た黒人が使ったグラスをゴミ箱に捨てていたんです。

でも、その様子に、ちょっと特徴があります。

何となく、気になりつつも、
黒人のゲストに気兼ねなくドリンクを振る舞った、妻のドロレスに遠慮してか、
彼女を意識しつつ、こっそり捨てているのです。

トニーは、
黒人に偏見を持ちつつ、
しかし、それが恥ずべき事だと、本能では気付いていた。

だから、コソコソしていたのですね。

 

そんなトニーに仕事が斡旋されます。

ドクターの、ドライバー。

とは言え、いわゆる「医者」では無く「博士」の方のドクターだったシャーリー。

ドク・シャーリーは、ピアニストで、
トラブル必至の南部ツアーにおける、
運転手兼、ボディーガードとして、雇う人を捜していたのです。

ここのシーンも、面白いですね。

二人の交渉は決裂します。

しかし、トニーの去り際に、
シャーリーは、「トラブルの始末には、君が最適だという噂を聞いた」と、思わず言います。

これはつまり、
アンケートや、他の候補者とか沢山いましたが、
実はそれはフェイクで、
元々、トニーを一本釣りで雇うつもりだったという気持ちが見えます。

しかしトニーは、
黒人が南部を旅するのはリスクが高いし、
自分は、要望されたサービスは出来ない、召使いでは無い、とハッキリ言います。

それでも諦めきれないシャーリーは、
翌日早朝、
トニーの奥さんのドロレスに宛てて電話をし、
トニーを雇う事に成功します。

本作は、人種差別の事を描いていますが、
1960年代のアメリカと言えば、
女性差別もまた、色濃く残っていた時代です。

そんな時代においても、
ヨーロッパで修行したシャーリーとしては、
奥さんの了解を得る、
という洗練された気遣いを見せるのです。

また、イタリア人と言えば、
奥様や、ママが強い
マフィアもママには真っ青、というイメージがあります。

そう言った意味でも、
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」的な感じで、
奥様のドロレスを落したのでしょうね。

 

ともあれ、トニーとシャリーのバンド「トリオ」は南部を巡るツアーへと旅立ちます。

ガサツだが、開けっぴろげなトニーと、

洗練されて、教養がありつつも、頑固で繊細なシャーリー。

この二人が長時間、同じ車で過ごす…

何も起きないハズも無く、、、

 

  • 相互理解

ドライバーのトニーは、兎に角、お喋り。

「前を向いて運転しろ」とシャーリーに言われても何処吹く風。

一方、
シャーリーの方も、
ガサツなトニーの喋り方を矯正しようとしますが、拒否されます。

また、
名前のトニー・「バレロンガ」の部分が言いにくいので、
「トニー・バレ」と短縮しようと、提案しますが、
それも拒否。

お互い、自分勝手に言いたい事を言い放って、
何となく微妙な空気になっています。

 

しかしトニーは、
初めてシャーリーの演奏を聴いて、感銘を受けます。

どうどうと、迫力のある演奏を繰り出すシャーリー、
その演奏を微動だにせずに聴く客の様子。

トニーは、
「あれ、俺のダチ」みたいなヤンキー的なノリで、
何故だが自分も誇らしげです。

ドロレスに釘を刺されていた為、
手紙を書くトニー。

その日の手紙に、
「シャーリーの演奏は凄い」と書きます。

そして、
ホテルで一人で過ごすシャーリーの様子を見たトニーは、
「でも、少し寂しそうだ」と書き添えます。

 

黒人を差別する南部でツアーをするシャーリー。

晩餐会ではしっかり愛想良く、
演奏が終わると、笑顔を振りまくシャーリー。

皆さんも、
学校の教師や、会社の上司、取り引き先から横柄な態度を取られ、
しかし、
そんな相手にも、笑顔を強要された事はありませんか?

シャーリーは笑顔で接します、
自分達、黒人を差別する相手に、です。

地位や身分でマウントを取ってくる相手というのは、
現代日本の私達の社会でも多く居ます。

しかし、「差別」は、
それと、似て非なるもの、
「何となく」やっている事も多く、
「特に理由も無い」という事実が、逆にタチが悪いのです。

バンドメンバーのドイツ人、オレグはトニーに問いかけます、
北部で演奏したら3倍稼げるのに、何故差別の色濃い南部でツアーをしたと思う?

トニー自身、
その疑問が頭から離れません。

 

そんな孤高のシャーリー、
とは言え、人に言えない悩みを抱えているのか、

夜、一人で出歩き、
立ち寄った酒場で、白人にボコたり、

また、性的にマイノリティな彼が、
男と供に居る所を警察に捕まったり、

そんな窮地を救われ、
反省と感謝をトニーに告げます。

旅立ちの時は、
お互いすれ違った感じを見せた二人の関係も、
徐々に、近づいて行くのです。

 

  • ドロレスへの手紙

運転中、
ラジオから聞こえる、アレサ・フランクリンやリトル・リチャードなどの黒人の大衆音楽を知らないシャーリーの様子に、

今で言う「米津玄師知らないの?」
みたいなノリでマウントを取るトニー。

「同じ、ブラザー(黒人)の音楽だろ!?」
と言われ、
ちょっとバツの悪そうなシャーリー。

また、
フライドチキンを食べた事無いというシャーリーに、
手づかみで「ケンタッキーフライドチキン」を勧めるトニー。

何だかんだで、
冗談も交えつつ、二人の関係は変化して行きます。

 

この二人の関係が深化したのは、
やはり、トニーが書く「ドロレスへの手紙」です。

スペルミスを多発しつつも、自己流で妻への手紙をしたためるトニー。

「Dear Dolores(親愛なるドロレス)」
と書くところを、
「Deer Dolores(鹿、ドロレス)」
と書いちゃったりしています。

そんな彼の手紙を拝見したシャーリーは、
あまりの酷さに代筆を申し出ます。

詩的に、ロマンティックに、情緒タップリなシャーリーの文言を手紙に記すトニー。

その手紙を受け取ったドロレスは、
感動のあまり涙ぐんでいます。

 

旅も終盤、
ミシシッピ州で運転中のトニーを、
警察が呼び止めます。

職務質問という名の因縁を付ける警官は、
雨中、トニーのみならず、シャーリーが黒人と知ると、彼も車外に引き出します。

シャーリーを庇うトニーに、警官は憎まれ口を叩きます。

「イタリア系か、お前も半分黒人だな

その言葉にキレたトニーは警官をぶん殴り、
二人は牢に入れられます。

 

トニーは何故キレたのか?

それは、自分が黒人に喩えられたからでは無く、
「黒人」を罵倒のネタとして使われたからなのです。

ほら、
「お前のかあちゃん、で~べ~そ~」って悪口があるじゃないですか、

アレは、
母親が実際にデベソだから屈辱的なのでは無く、
母親を罵倒のネタに使われる事が癇に障るのです。

その暴言を聞き逃せば、母の沽券に関わる気がするから、
思わずキレてしまうのです。

それと同じ、
トニーは、シャーリー(黒人)の名誉が傷付けられた気がして、
瞬間的にキレたのです。

 

二人は、シャーリーのツテで何とか牢から脱します。

トニーは窮地を切り抜け得意げですが、
シャーリーは仏頂面。

後に大統領になる、ケネディ兄弟の名前を出したシャーリー、
「彼はアメリカを変えようと働いているのに、自分の体たらくは何だ!」
そう、憤っています。

 

オレグの問いかけ、
「何故?南部でツアーをするのか?」
彼はシャーリーをこう称します、
「それは、勇気だ」と。

南部を移動中、シャーリーは肉体労働に従事する黒人達を眺めます。

未だ、差別が根強く、
そして、その社会的な地位、理解が進まない黒人という人種の為、
ミュージシャンである自分は、何が出来るのか?

そこで、
シャーリーが出した答えが、南部ツアーなのです。

 

警察に収監された夜、
シャーリーは自分の葛藤をトニーにさらけ出します。

「富裕層共は、自分に教養があると他人に思わせる為に、音楽をダシにしているに過ぎない」

「そんなヤツらの為に音楽を演奏する私は、白人で無く、黒人とも見られない、一体何なのだ?」

 

しかし、それでも、
シャーリーは、自らの音楽で以て、差別と戦わんとするのです。

シャーリーは、トニーに言います、
キレて、暴力を振るったら、負けだと。

シャーリーの武器は、その信念なのです。

 

黒人は野外便所で用を足してくれと言われれば、
時間を延長してでも、ホテルまで戻る。

ホテルのレストランでの食事を断られれば、
演奏自体を取り止めにする。

声なき弱き者の代わりに、
声を出せる者が、
黒人を人間扱いしろと、相手に知らしめるのです。

 

ツアーも終わり、
ニューヨークへと帰る帰路、
未だに手紙を書いているトニーに、
シャーリーは代筆を申し出ます。

それに対しトニーは、
「コツが分かったから、自分で書く」と言います。

文章を読んだシャーリーは、
満足そうに、「いい言葉だ」と告げます。

この下り、
手紙の話だけでは無いのですね。

トニーが理解した事というのは、
シャーリーの戦い、信念、
そして、自らが持っていた、黒人差別という感情なのです。

トニーは、シャーリーの立ち居振る舞いから、
自分の見方、見識に変化を見せます。

シャーリーの戦いに、意味はあったのか?

少なくとも、
トニーという人物を変える事は、出来たのです。

 

  • オルフェウス

トニーが出発の前、
シャーリーの音楽を聴いたとの事ですが、
そのレコードの題名は、「オルフェウス」。

 

オルフェウスとは、
ギリシア神話の登場人物で、
動物をも魅了する竪琴の名手で、

イアソン率いるアルゴ探検隊に加わり、
歌声で人を魅了するセイレーンに竪琴で挑み、
一行を救ったというエピソードが残っています。

 

表紙を見たトニーが「子供が輪になっている」と言ったのは、
シャーリーに言わせると、小鬼。

オルフェウスの有名なエピソードと言えば、

死んだ妻のエウリュディケーを取り戻す為に、
冥府に下ったという話。

冥府に下り、
竪琴でもって、
死から妻を返還させようとしたオルフェウス、

南部をツアーし、
ピアノでもって、
差別と偏見に戦いを挑んだシャーリー。

この南部ツアーは、
シャーリーにとっての「冥府下り」だと、暗示しているのです。

そもそもの物語の始めから、
そのヒントが隠されていたのですね。

 

  • 相互理解と、思いやり

銃を持っていない風で、実は持っていたトニー。

翡翠の石をトニーが万引きした事を、お見通しだったシャーリー。

お互いに、不意を突いた形、
関係が悪いのなら、
黙っていた事に腹を立てるでしょうが、

しかし、
お互いに既に信頼関係が成り立っていますので、
問題にはならないのです。

 

ラスト、
雪の中、クリスマスイブのパーティーに間に合ったトニー、

シャーリーを家族の集まりに誘いますが、
辞退されます。

 

家族、友人達の下に帰ってきたトニー。

でも、少し寂しそうです。

本人は「疲れている」と口にはしますが、
実際は、シャーリーを無理にでも連れて来なかった事を後悔している様にも見えます。

一方のシャーリーは自宅に戻り、
トニーの幸運のお守り、翡翠の石を手にします。

 

旅の話をしてくれとせがまれるトニー、
シャーリーの事を「二グロ」と蔑称で言われ、
それを咎めます。

そんな折り、
サプライズでトニーの家にやって来たシャーリー。

シャンパン(?)を手に、
如何にも「手土産を取りに帰った」風の様子。

でも本当は、
トニーとは理解し合えても、
その家族、親戚に受け入れられるか、ちょっと心配だったから、
最初は辞退したんですよね。

しかし、
ツアーをやりきった事実、
そして、翡翠の石から勇気を貰い、シャーリーは一歩を踏み出します。

二人で同じ部屋に泊まった夜、
「寂しいなら、自分から一歩踏み出さないと」
そう、トニーに言われた事を、シャーリーは行動に移すのです。

 

トニーとドロレスは快く受け入れても、
その家族、親戚、友人、はどうか?

一瞬、あっけにとられた様子ですが、
直ぐさま「ホラ、ドクの席を空けろ」と立ち直ります。

ちょっとビックリした自分達が気恥ずかしく、
忙しく立ち回るフリをしちゃうのが、
面白いシーンです。

一人が変われば、皆も変わる

トニーだけでは無く、皆も、
黒人であるシャーリーに、理解を示す事になるのです。

 

ラストシーン、
ドロレスはシャーリーにハグしながら、
「手紙を有り難う」と言います。

そりゃそうだ、
代筆だったとバレバレなのです。

それでも、
ドロレスはママ友達に手紙の読み聞かせをしていましたよね。

ドロレスは勿論、
ママ友達も、おそらく、
それがトニーの手のよるものでは無く、
ドクの手紙だと気付いていたのだと思います。

その上で
「素敵ね」と言い、
夫に「あんたも手紙書きなさいよ」と言ったりしています。

一方の男連中は、
「トニーのヤツ、手紙は上手いな」とぼやいています。

代筆だと、気付いていないのですね。

このシーン、
女性はゆったりとしたソファーで語らい、
男性は、隅のテーブルで肩を寄せ合い、カードをしている、
その対比が面白い場面でもあります。

男性陣は、トニーのロマンティックな手紙に肩身が狭くなっているのです。

でも、ドロレスもママ友も、
問わず語らず、
手紙をそのまま受け入れているのです。

 

シャーリーが気にするまでも無く、
彼を受け入れる下地は、出来ていたのですね。

 

  • まさかの!?食レポ映画!!

さて、本作を撮影するにあたって、
トニーを演じたヴィゴ・モーテンセンは、
20キロもの増量を果たしたとの事です。

その甲斐あってか、
何とも、食べるシーンが美味そうなのです。

 

シャーリーも言っていましたね、
「君の感想は独特で、味が直接伝わって来る」と。

大食い競争のホットドッグ、
ドクの分も、一人で食べたサンドイッチ、
「Salty(しょっぱい)」という感想が、シャーリーをも唸らせたスパゲッティ、
手づかみでむしゃぶりついたケンタッキーフライドチキン、
不味さに、口から吐き出したチーズ、
二つ折りにしてかぶりついたピザ etc…

食べる様子は、乱暴そのもの、
しかし、
一心不乱にむしゃぶりつく様子は、
正に、食を楽しんでいる、

いや、
毎回が最後の晩餐のつもりで、
必死に喰らいついていると言っていいでしょう。

この真剣さが、毎回見物、
本作の、意図しない(?)見所、
テーマの一つとなっていると言っても過言ではありません。

 

映画でのチキンを食べるシーン

 

 

食という観点から作品を観ると、
欲望剥き出しのトニーは、
まるで、『西遊記』の孫悟空の様です。

そして、オルフェウスたるシャーリーは、
三蔵法師玄奘。

悟空に道を示しながら、
しかし、
悟空によって危難より救われ、また、自らも学ぶ所がある。

二人の関係は、
玄奘と悟空の様でもあり、
謂わば、『グリーンブック』とは、
アメリカ版、『西遊記』と言えるのかもしれません

 

 

様々なシーンが絡まりあい、
実は、何一つ無駄の無い構成で緻密に作られた作品
『グリーンブック』。

アカデミー賞で、脚本賞を受賞したのも頷けます。

 

偏見を持った相手にも、笑顔で接し、
しかし、
屈辱的な差別を受けたなら、断固拒否する。

シャーリーのその姿を観て、

白人が偉そうに、黒人を語りやがって、
と捉えるか、

忍び難きを忍んで、
自らの信念に殉ずるその姿に感銘を受けるかは、

受け取る人次第なのですね。

 

テーマは重くても、
コメディ映画を多く撮ってきた監督ならではのユーモア感覚で、
すんなり観る事が出来る『グリーンブック』。

間口の広さから本作を鑑賞し、

差別や偏見、
そして、それを乗り越える相互理解のことまで思いを至らせれば、

本作に意義があったと、
シャーリーの旅に意味があったと、
そう言えるのではないでしょうか。

 

 

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