地道に仕事をしているサラリーマンの和成。取引先の印刷所の社長、幾野(いくの:名字)に好意を持たれているが、仲が良いのは妹の真子の方だった。そんな和成の家に、先日出所した横暴な兄・卓司が転がり込んでくる、、、
監督は吉田恵輔。
照明技師として活躍しつつ、映画監督となった。
監督作に
『純喫茶磯辺』(2008)
『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(2013)
『ヒメアノ~ル』(2016)等がある。
本作のメインキャラは4人。
金山和成(弟):窪田正孝
金山卓司(兄):新井浩文
幾野由利亜(姉):江上敬子
幾野真子(妹):筧美和子
この二組の兄弟姉妹の人間模様を描く作品です。
横暴な暴力に怯え、表面上は従いつつも、心の中では兄を馬鹿にしている和成。
今までの素行の悪さで和成(や両親)に信頼されていない事を薄々は気付いており、苛ついている卓司。
そつなく仕事をこなし、家事もやってのける幾野(姉)に、妹の真子はいつもバカにされています。
しかし、人受けするのはいつも容姿の良い真子の方。
彼達4人は、
お互いが口に出さぬ不満を溜め込んでいます。
そう、本作で描かれるのは、家族、それも
兄弟姉妹特有のあるある感、
主に対抗心、嫉妬心、競争心といった赤裸々な感情なのです。
親子や夫婦ではあり得ない、お互いのプライドがぶるかる感じは、兄弟姉妹ならではです。
その近しい人間関係を、時に滑稽に、しかし身に覚えがある故に笑うに笑えない感じで描写しています。
しかし、身も蓋もありませんが、
他人の不幸は蜜の味、
端から見る分には面白いのもまた事実です。
憎みつつも愛してしまうという、複雑怪奇な人間模様が展開される兄弟姉妹のせめぎ合い。
『犬猿』は、それを描いているのです。
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『犬猿』のポイント
愛憎入り交じる兄弟姉妹の人間関係
自分が持っていないものを羨ましく感じる、ないものねだり
笑いと悲哀の狭間にある、身も蓋も無さ
以下、内容に触れた感想となっています
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兄弟姉妹のせめぎ合い
本作『犬猿』は、兄弟姉妹の物語です。
実際に兄や弟、姉や妹がいたら、あるある感を覚えるでしょう。
(一人っ子の方は、あまりの滑稽さに笑って下さい)
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和成の場合
和成は表面上は兄の暴力に怯え従う素振りを見せています。
しかし、その実は浮き草の様な兄の生き方を馬鹿にしています。
和成の出色のシーンは居酒屋でくだを巻く場面。
警察に卓司が追われていると嬉しそうに語り、真子にそれを指摘されます。
和成は、卓司の事業が上手くいって羽振りが良くなったのが面白くありません。
地道に働いている自分がアホの様だと自己嫌悪を感じ、それが兄への嫉妬と反感に転じます。
口に出しては言いませんが、心の中では「失敗しろ、クソが!」と思っていたのは間違いありません。
なので、実際に警察に追われる身になった卓司の状況に「そらみた事か」と胸のすく思いを感じているのです。
この、
表面上は相手を称えつつも、相手が馬脚を現すのを嫉妬心に満ちた感情で虎視眈々と待っているのは、近年のSNS文化というか出歯亀文化によく見られる光景です。
なので、成功した相手に叩ける部分が見つかると、これ幸いと必要以上に袋だたきにして精神的マウントを取ろうとするのです。
兄に表面上は従いつつ、しかし、本当は馬鹿にする部分を探しているが故に、決して卓司の好意を受け取ろうとはしません。
「車をやるよ」という卓司の提案を断ったのは、
必要性云々では無く、プライドの部分が邪魔をしたからなのですね。
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卓司の場合
卓司は自らの過去の所業により、家族から信頼されていません。
和成や両親は、本人の前では普通に「対処」していますが、
本心では卓司をうざがっています。
そして、その様子を卓司自身も薄々は感じ取っているのです。
それ故、自らの失点を回復するべく過剰なプレゼントを家族に贈ろうとしますが、
両親は表面上だけ有り難がるフリをし、
和成にはにべもなく断られます。
何をしても心の中で馬鹿にされる卓司は、両親に信頼されている卓司が面白くありません。
子供の頃には俺を尊敬していたのに、今では鼻で笑いやがって、という思いが拭えないのです。
積み重ねた信頼という実績も無しに、
ただ長男という視点のみで家族に愛されていた子供時代の感覚を引きずって、それに縋っているんですね。
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幾野の場合
幾野由利亜は仕事も出来、
家事もそつなくこなし、
父の介護まで務める頑張り屋さんです。
人に頼らずグイグイ引っ張っているようにも見えますが、
「他人(妹)に任せるより、自分でやる方が早い」などと言ってしまうその態度は、人を馬鹿にし、信頼していない様にも見えます。
その傲慢な態度も「仕事が出来る」という自負によって支えられていますが、容姿とプライベートの部分で妹の真子に差を付けられ、そこに嫉妬心を持つ事を避け得ません。
印刷所に来る取引先の営業マンは、幾野とは仕事メインなのに、
真子には冗談交じりに打ち解けた感覚で接し、好かれています。
幾野はチヤホヤされる妹が気に入らず、小言と仕事で真子のマウントを取ります。
しかし、事ある毎に人に愛される妹の様子に劣等感がぬぐえません。
自分は求めながら得られず、しかし、その容姿により自然と人に愛される妹に常に嫉妬しているのです。
そんな幾野由利亜には名場面が多いです。
遊園地のティーカップで豚の様な鳴き声をあげるシーン。
和成から送られた手拭いの「赤い菊」の花言葉を調べ、小躍りするシーン。
一度断った仕事を、一人で先走って再びやると宣言するシーン。
「誤解されているから」と言いつつ、鬼電を入れ、家にまで押しかけるストーカー的行為のシーン。
一度は捨てた手拭いを、再びゴミ箱から拾うシーン。
母や親戚にチヤホヤされるのが気に入らず、真子の着エロDVDの上映会を始めるシーン。
容姿に自信が無い為に、
自分の能力を伸ばす事にプライドを求め、
コミュニケーション能力を伸ばす事を疎かにした人間の空回り。
ある意味、この映画を体現する人間と言えるでしょう。
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真子の場合
愛らしい(あざとい)態度と大きなおっぱいで人好き(男ウケ)のする真子。
真子は人気ものですが、それが気に入らない姉にいびられます。
仕事も家事も、何をやってもテキパキこなす由利亜に劣等感を抱きつつ、
しかし、そのストレスを解消すべく、事ある毎に姉に自らの「モテ」をさりげなく、しかし確実に見せつけます。
特に好きでも無い和成を、「姉が好きだから」という理由で寝取ったり、
取引先の営業マンとお友達感覚の会話をしてみせたりします。
しかし、日常においては姉に有利を取っている様に見えても、真子自身は、自分に本当の誇れる能力が無い事を悩んでいます。
芸能活動では十把一絡げの一員でしか無く、「巨乳」以外に人を惹きつける物が無いとマネージャーに指摘されます。
思いあまって枕営業をしますが、それでも(姉はしゃべれる)英会話が必要だと断られます。
自分は、容姿意外に必要とされない。
姉の様に、私にも本当の能力があれば!と度々思いしらされています。
真子は、姉が自分をいびる理由に「容姿の差」がある事に気付いています。
それを自覚しているからこそ、自分が優位を取っている部分を利用して姉に心理的復讐を行っているのです。
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兄弟姉妹の複雑な関係
こうやって並べて見ると、全員ただ、自分に無いものを相手に見つけて、それを羨ましく感じているだけなのだと良くわかります。
しかし、兄弟姉妹とは並べてそうなる傾向にあります。
何故なら、意識してか無意識にか、親や世間から競争する様に仕向けられるからです。
人には向き不向きがあります。
しかし、兄弟姉妹の場合、
何をするにしても、比較され、
優れている方を褒めたり、
劣っている方をけなしたりします。
違っていて当然の個性が、比較され強調される事で、憎しみの対象として認識され出すのです。
この負の感情は長い時間かけて解消され、大人になれば「そういう事もあったな」と思い出になったりもしますが、
ふとしたことが切っ掛けに、感情の爆発として表面に噴出して来る事もあります。
そして、違う部分を個性として認識出来れば、良好な兄弟姉妹として人間関係を築けますが、
差異を嫉妬や不満で認識してしまうと、家族であっても憎しみの対象として見てしまう事になるんですね。
結局、家族関係もコミュニケーションです。
『犬猿』での兄弟姉妹関係は、
お互い罵りあっていますが、実は会話が成立している時点で人間関係は良好な部類と言えます。
人の性格にもよりますが、謂わば「陽キャ」同士の関係なのでガチの深刻な部分までには行きません。
これが「陰キャ」同士の関係ですと、兄弟姉妹間であっても全く会話がありません。
ただ単に距離感を保っているのなら良いのですが、
憎しみにより関係を断っている場合は深刻です。
親の死などで顔を会わさざるを得ない場合において、
会話が全く成立しない事に気付き、愕然とするのです。
時には裁判、時代によっては殺し合いにまで発展していた事例も多々あるでしょう。
「三つ子の魂百まで」と言う通り、
子供の頃の性格は、長じてもその核の部分が残っています。
大人になって表面を取り繕っても、
自分の芯の部分を知る兄弟姉妹と出会う事は、まるで自分の心の奥底を覗く様な感覚になるのでしょうね。
一つ、面白い場面があります。
和成と真子が遊園地でお互いの不満を言い合うシーンです。
自分の兄や姉をけなしつつ、相手の兄や姉をも同時に批判しますが、
和成も真子も、相手が自分の兄姉を批判した部分には反対意見を述べ、擁護に回っているのです。
この場面、
自分で兄姉を批判するのは良いのですが、
それを他人に指摘されるのには腹が立っているのですね。
「家族だから解る事を、他人に口出しされたく無い」という複雑な愛憎が見え隠れしている印象的なシークエンスです。
そしてラスト、収拾を付けられなかったのはしょうが無いです。
2時間の映画で兄弟姉妹の関係が解決出来るのなら、世界はもっと平和ですからね。
結局、兄弟姉妹と言えども人間関係なのです。
家族という近しい関係であるが故、遠慮会釈も無く、剥き出しの感情が露わとなるのです。
その上でお互いを気遣うか?
それとも排除するか?
身も蓋も無く、滑稽で、外から見ると笑えますが、自分の事となると切実な問題となる。
そんな兄弟姉妹の関係を改めて感じさせる映画、それが『犬猿』なのです。
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さて次回は、とうとうラスト、どう収拾を付けるのか?小説『ダーク・タワーⅦ 暗黒の塔』について語りたいです。