伝説のベテランジャーナリスト、アナンド・インガラギ。1980年代、とあるギャングのルポタージュを上梓するが、政府によって殆ど焚書されてしまう。現存する数少ない一冊を入手したTVリポーターのヘグデは、アナンドにインタビューを敢行する。
アナンドが語るのは、政府により歴史から抹殺されたギャング、ロッキーのストーリーだった、、、
スポンサーリンク
監督は、プラシャーント・ニール。
監督作に
『Ugramm』(2014)がある。
「K.G.F」の公開は、
『K.G.F: CHAPTER 1』(2018)
『K.G.F: CHAPTER 2』(2022)となる。
出演は、
ロッキー:ヤシュ
リナ・デサイ:シュリーニディ・シェッティ
アディーラ:サンジャイ・ダット
ラミカ・セン:ラヴィーナー・タンダン
アナンド・インガラギ:アナント・ナーグ 他
インド映画=「ボリウッド」。
そう考えていた時期が、俺にもありました。
しかし、
「ボリウッド」と呼ばれるのは、
インドのヒンディー語映画界の事でした。
同じ様に、
テルグ語映画界は「トリウッド」
タミル語映画界は「コリウッド」
そして、
本作の『K.G.F』CHAPTER 1&2 は、
カンナダ語映画界「サンダルウッド」で製作されています。
この様に、多言語国家であるインドでは、
「ヒットした他言語の映画を、別の言語で再映画化する」
という状況が多数ありましたが、
しかし近年、
「一本の映画を、多言語にて吹替えする」事も多くなり
故に、言語に囚われず
普遍的な「物語」「面白さ」と「派手さ」を追求した作品が作られる様になっているそうです。
これを、
「汎インド映画」と言い、
多言語吹替えで同時公開する事で、観客動員と興行収入が多く得られるそうです。
この流れは、
世界的なヒットにもなったS・S・ラージャマウリ監督作の
「バーフバリ」二部作(2015、2017)から始まったとの事。
本シリーズ
「K.G.F」の二本でも、
その流れを汲んで、多言語公開し、
「CHAPTER 2」の方は、
2022年の国内興行収入が、
あの『RRR』を凌駕し、ナンバーワンになった事からも、
「汎インド映画」的な作品が、
これから多く作られるだろうなと、
予想されます。
さて、前振りが長くなってしまいましたが、
『K.G.F』CHAPTER 1&2 です。
本作の特徴を簡単にまとめると、
ずっとダイジェスト!
ずっとスローモーション!!
ずっと俺のターン!!!
そういう映画です。以上!!
いや
本当に、これ以上でも以下でもありません。
『K.G.F』CHAPTER 1&2 は、
一本が二時間半超えの、
それが二本。
それなのに、
描かれるストーリーは、
めっちゃ駆け足。
何か、
全20話の45分ドラマを、
五時間に凝縮した様な感覚。
ずっと、
名場面のダイジェストが続くのです。
実際は、
ストーリー展開は結構複雑。
2018年の現代、
アナンド・インガラギの昔話の形で、
CHAPTER 1 の舞台である1978年当時が描かれるのですが、
たまに、
主役のロッキーの少年時代(1950年代~60年代)がコラージュ的に挿入され、
「あれ?今、何時だっけ?」となる時もしばしば。
CHAPTER 2 のメイン舞台は、
1 の3年後の1981年。
「2」でも同様の手法で、
現代、メイン年代、少年時代という、
3つの時間軸が交錯して描かれます。
確かに混乱するのですが、
本作、
このダイジェスト的なリズムに馴れたら、
「あ、観客側は細かい事を気にしなくていいだ」と思う様になり、
純粋に、ロッキーの無双劇に酔い痴れます。
この辺は、
本作が持つ映画パワーたる所以でしょう。
で、そんな本作ですが、
もう、
ほぼ、スローモーション状態。
感覚的に、上映時間の半分はスローなんじゃないかな?
スローを全く使わなかったら、上映時間二時間を切るのは確実。
ゲームの『Only Up!』かな?とか思っちゃいます。
アクションシーンの見せ場のスローモーションはデフォ。
それだけでは無く、
何か起きる度にスローが入ります。
これは、
何と言うか、
コミック的な演出というか、
「止め画」の格好良さを追求した結果なのかもしれません。
そんなダイジェストなのに、
スローモーション多発の本作は、
主役のロッキーの独壇場、
ジャイアンリサイタル、
一人舞台のずっと俺のターン!!です。
ギャングでのし上がって行く、
ロッキーのピカレスクロマン、
何処まで行く?
何処を目指す?
「金と権力を手に入れる」という目標は明確なのですが、
その規模(スケール)がドンドンインフレして行くのが荒唐無稽ですが、
ぶっちゃけそこが、本作の面白い所です。
人間の根源的な欲望の追求というか、ね。
兎に角、
ずっと派手なシーンが続く本作『K.G.F』CHAPTER 1&2。
従来のインド映画の様に、
ダンスシーンは「1」に一つあるだけで、
それ目当ての人は物足りないかもしれませんが、
ケレンミという意味では、
確かに、本作はインド映画。
新時代!?「汎インド映画」の
面白さが詰め込まれている本作は、
多重構造の時間軸によるストーリー展開で送る、ピカレスクロマンなのですが、
実際は、頭カラッポにしても鑑賞可能な所に、
観客思いの構成の妙を感じます。
-
『K.G.F』CHAPTER 1&2 のポイント
ずっとダイジェスト!
ずっとスローモーション!!
ずっと俺のターン!!!
スポンサーリンク