映画『イノセンツ』感想  無垢、それは、恐るべき子供達の特権!!

両親と共に郊外の団地に引っ越して来た9歳のイーダ。姉のアナは自閉症で全く喋れず、つねったり叩いたりしても反応が無い。
サマーシーズンで人が観光地に出払っている団地の中で、イーダは不思議な少年ベンに出会う。ベンは軽い物なら動かせる「念動力」を使えるのだ。時を同じくして、アナと共感するアイシャという少女も現われ、、、

 

 

 

 

 

 

監督は、エスキル・フォクト
ノルウェー出身。
本作が長篇映画監督二作目。
脚本家としても活躍し、
『わたしは最悪。』(2021)にてアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。

 

出演は、
イーダ:ラーケル・レノーラ・フレットゥム
アナ:アルヴァ・ブリンスモ・ラームスタ
アイシャ:ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム
ベン:サム・アシュラフ

イーダの母/アンリエッタ:エレン・ドリト・ピーターセン
イーダの父/ニルス:モーテン・シュバラ 他

 

 

「北欧ミステリー」と言えば、
ここ最近、
注目の定番ブランドとして定着した感があります。

映画にもなったスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズとか、
アーナルデュル・インダストリンンの『湿地』辺りから日本でも注目され始め、

現在は、
早川書房や東京創元社などから
多数発刊されています。

 

小説のミステリー作品とは、
若干の時間差があれど、

近年、
映画界でも、
北欧ホラーというか、
北欧ミステリー的な作品が注目され始めました。

 

ノルウェー映画で思い浮かぶのは、
ホラー、ミステリ風味というか、
モキュメンタリー映画『トロール・ハンター』(2010)
そして、
ウトヤ島、7月22日』(2018)です。

北欧映画で、
印象的な作品としては、
アリ・アスター監督の『ミッドサマー』(2019)、

最近では、
LAMB/ラム』(2021:アイスランド、スウェーデン、ポーランドの合作)なんてヘンテコな作品もありました。

 

そして本作『イノセンツ』です。

押井守監督の映画に、
『イノセンス』(2004)というのがありましたが、
それとは別の作品です。

監督のエスキル・フォクト自身が認めているらしく、

本作は日本の漫画、
大友克洋の『童夢』の影響を受けているそうです。

アンファン・テリブルのサイキックバトル

 

 

とでも言いましょうか。

 

解り易く言うと、
ちびっ子超能力対戦、ですね。

 

とは言え、
昨今のアメコミ映画みたいに、
CGで空飛んで目からビームでドーン!!
的な感じでは無いです。

何かヤベェ事が起きてるぅ~?と、
程よい感じで映像で観せてくれる感じです。

予算が無いなりに、
出来る限りの表現をしてみました、
と言った所。

 

心理的な話なのですが、

まぁ、ホラーっぽい作品だから、
観とくかぁ~と、

半ば、義務的に鑑賞したのですが、
ハードル下げて観に行ったら、
結構、面白かったタイプ

 

この辺りは難しいですね。

私は観たから、
本作を「面白い」と言えますが、

「面白い」と予め認識して、実際に観ると、
「つまらんな」となるだろうなと、予想出来ます。

 

う~ん、
結局、B級映画好き、
ホラー映画やサスペンス映画好きなら楽しめると思いますね。

子供時代のままならなさ、
そして、
無垢さの狂気とも言える様子を描いた作品、
それが、『イノセンツ』です。

 

 

 

  • 『イノセンツ』のポイント

アンファン・テリブル

遊びの延長とサイコパス

意思の押し付けと共感

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • アンファン・テリブル

本作『イノセンツ』は「アンファン・テリブル」映画。

アンファン・テリブルとは、フランス語で「enfant terrible」と綴ります。

日本語に訳すと「恐るべき子供」。

意味をザックリと説明すると、
型破りで突出した才能を持つ「天才肌」だが、
空気が読めず、突飛な行動を採る子供の事。

芸術や音楽などの分野で、
若手の事を、そう表現する事もあるそうです。

フランスの詩人、
ジャン・コクトーの中篇小説に『恐るべき子供たち(Les Enfants Terribles)』(1929)というものがあり、
映画化や漫画化もされた作品です。

 

本作は、
大友克洋の漫画『童夢』を元ネタの一つにしているのは間違いないですが、

何となく、
コクトーの『恐るべき子供たち』も頭にあるような気がします。

 

  • サイコパスと子供の無垢さ

そんな本作『イノセンツ』は、
メインのキャラが4人の子供たち。

しかも超能力を使うという事から、
アンファン・テリブルと言えるでしょう。

 

さて、
しかし、主人公ポジションのイーダ自身は能力を使えず、

彼女を取り巻くように集まった、
姉アナと、アイシャ、
そしてベンが、
超能力を持っています。

 

どうやら、
団地の年上連中からはハブられているっぽいベン、
引っ越して来たばかりのイーダに声をかけて、
友達になります。

そして、
「俺、ポケモンカードのレアなヤツ持ってるんだ」と
言わんばかりのノリで、
自分の超能力を披露します。

これにはイーダも大喜び。

また、ベンは
秘密基地を見せたりしますが、

更に、
捕まえた猫を団地の階上から落とすという、
子供らしい残酷さを見せます。

横たわった猫を発見したベンは、
「死んでる!?」とショックを受けた様子ですが、

しかし、
足を引き摺りながら動き出した猫を見て、
涙も引っ込み、
「トドメを刺そうゼ!」と張り切りだしたベンを見て、
イーダはドン引き。

ベンは、
猫の頭(首)を踏み抜き、殺します。

 

この時の猫の表情が、
しょこたんにかぶりつかれた彼女の飼い猫と同じ表情だった事から、
「ああ、しょこたんの猫は、彼女にかぶりつかれる度に、死を意識していたのだな」
と、気付きました。

 

この様に、
ベンは情緒不安定というか、

母親を殺す時も、

ドリフのコントの様に、
或いは、ピタゴラスイッチの様に、
一見するとギャグの様に殺していながら、

後のシーンで
「ママァ~」と泣き言を言ってたりしています。

 

よく、サイコパスの殺人って、
最初に小動物から始めて、
そこで殺生の抵抗の無さに気付き、
人間にも手を出すという流れらしいですが、

本作のベンは、
確かにサイコパス的ですが、
それとは、ちょっと違う意味合いも含まれている様に感じます。

 

私も子供の時、
小動物というか、
昆虫とかカエルとか見つけて、
棒で突っついたり、
砂利などを振り撒いたりして、
ちょっかいを出していました。

これは別に、害意がある訳では無く、
ただ、遊んでいるだけなのですが、

しかし、
よく見ると、弱って動きがぎこちなくなってたり、
足が一本取れたりしているのに気付いたりで、
「あ、悪い事したな」と、
今更ながらに良心の呵責に悩み、
そそくさとその場を立ち去る事になっていました。

 

漫画「バキ」シリーズの作者・板垣恵介は、
その漫画の中で、
「相手を殺める腕力の無い子供だからこそ、本気の殺意が持てる」
的な事を言っていました。

親や兄弟姉妹、
上級生や同級生などとの喧嘩で、
人は、
社会性と分別を学びます

突発的に感情を爆発させるのでは無く、
道徳的、倫理的、社会的に、
分別を持つ事が大事だと、徐々に気付いて行くのです。

 

しかし、本作のベンは、
本気の殺意を持てる「無垢さ」のある年齢でありながら、
実際に相手を殺傷せしめる力を持ってしまっているのです。

確かに、
ベンの行動はサイコパス的ではありますが、

彼の年齢を考慮すると、
寧ろ、
無垢であるが故の、子供ながらの残虐性、
「禁じられた遊び」に興じているだけとも、
見る事が出来るのではないでしょうか。

 

  • 押し付けと共感

本作『イノセンツ』の超能力は、
私が思うに、
その起点はベンだと認識しています。

ベンが中心であり、
その影響を受け、
アンとアイシャの能力が覚醒した、
と言えるのではないでしょうか。

 

ベンの能力を見てみますと、
物を動かす「念動力」と、

他にも、
『聖闘士星矢』のフェニックス一輝の「鳳凰幻魔拳」みたいな技も持っています。

それは、
相手を意のままに操る能力ですが、
能力を喰らっている方は、悪夢を見て気が違っている状態なのです。

TVシリーズの『X-ファイル』の第3シーズンの17話「プッシャー」にて、
相手を暗示にかけて、自分の思い通りに行動させる超能力者が出ていましたが、

ベンの能力も、
謂わば「プッシャー(意思を押し付ける者)」と言えます。

 

ベンの能力の本質が「プッシャー」であるが故に、
周囲にいた
アナとアイシャに能力を「押し付けた」と解釈出来ます。

 

一方、
押し付けられた側のアナとアイシャは、
人に比べて共感性が高かったと考えられ、
故に、
千里眼というか、口移しというか、
テレパシー(共感能力)に長けていたのではないでしょうか。

 

それを踏まえた上で、
ベンとアナのラストバトルです。

イーダが「イヤボン」で急に能力に目覚め、
また、
二人の対決を敏感に察知するのは、
赤ん坊。

そして、
団地の子供達が数名、
気付いた様子で二人に注視しています。

これは思うに、
ベンからの悪意の「プッシュ」を、
アナは「共感能力」として周囲に発散、
その影響を受けた、イーダや他の子供たちが一時的に能力に目覚め、
その力を、
『ドラゴンボール』の孫悟空の「元気玉」みたいに集め、
ベンに送り返した、

という流れだと思うのですが、
どうでしょう。

 

社会性を排除した「プッシャー」を、
社会性の獲得が磨かれる「共感能力」が凌いだというのが、
本作の結末。

これはつまり、
無垢とアンファン・テリブルの敗北であり、
同時に、
特殊性の喪失でもあります。

 

イーダにとっては、
子供から大人になるイニシエーション(通過儀礼)ではあるのですが、

ラスト、
自閉症状態に戻ったアナ視点からすると、
共感性を用いて勝利した者が、
逆に「無垢還り」している様に、
無常観と皮肉を感じます

 

 

特に期待せずに観に行った作品が、
案外と面白かった

その典型である『イノセンツ』。

 

本作で起きる出来事は、
ほぼ、子供目線。

大人達は、
目の前の事象に一喜一憂しますが、

その実、
子供の目線からは、本作の様に、
また、違った一世一代の大勝負が繰り広げられているのかもしれませんね。

 

無垢であるが故の、
子供たちのアンファン・テリブルの葛藤。

本作は、そんな作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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