映画『この道』感想  三幕構成で描く、それぞれの北原白秋


 

詩人、北原白秋。彼はお隣の奥さん、俊子をソフィーと呼び、彼女と不倫していた。「たまたま愛した相手が人妻だっただけ」うそぶく北原白秋に、与謝野晶子もあきれ顔。しかし、俊子の夫にバレ、白秋は姦通罪で逮捕されてしまう、、、

 

 

 

 

監督は佐々部清
『陽はまた昇る』(2002)
『半落ち』(2004)
『夕凪の街 桜の国』(2007)
『ツレがうつになりまして。』(2011)等の監督作品がある。

 

出演は
北原白秋:大森南朋
山田耕筰:AKIRA
菊子:貫地谷しほり
鈴木三重吉:柳沢慎吾
与謝野晶子:羽田美智子
与謝野鉄幹:松重豊 他

 

 

詩人、北原白秋。

彼の作品を知らなくても、
学生時代に、国語の授業で、名前だけは知っているという人も多いのではないでしょうか。

その、
ふわっとした印象の人物、

彼は、山田耕筰と共に、
日本独自の童謡を作った人物らしい。

つまり、本作は、

偉人伝的な映画作品です。

 

とは言え、本作は映画であるので、
エンタメの要素が含まれています。

肩肘張らずに観られるのが、いい所。

 

本作は、

北原白秋の半生を、
三幕構成で描いた作品です。

 

言うなれば、
3作の連作短篇映画を、一つにまとめた様な印象があります。

なので、
一貫したテーマと言うより、

その三幕それぞれのストーリーを追って、
それを楽しむのが、本作の正しい観賞であるのだと思います。

 

名前だけは知っていても、
何をして、
どの様に生きた人なのか、
イマイチ知らない。

そんな北原白秋を知る契機となる作品、
『この道』には、そういう意味があるのです。

 

 

  • 『この道』のポイント

三幕構成の、連作短篇風の作風

作品から、人物を知る

大森南朋の泣き顔

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 三幕構成の作品

本作は、三幕構成の連作短篇風の映画です。

ぶっちゃけると、
映画として、一貫したテーマというものがありません

これは、
作品として致命的な欠陥。

しかし、
一貫したテーマが無いという事は、
逆に言うと、
三幕の構成の独立した短篇として観る事が出来る、
即ち、
三本の映画を観る気分になれるという事です。

 

第一幕は、
北原白秋という人物の、
世間の感覚から、少しズレた自由な感覚、

そのキャラクター性にスポットが当てられています。

第二幕は、
北原白秋と山田耕筰の関係。

二人が、最初はいがみ合いながらも、
いつの間にか、
無二の親友の様な、相棒の様な関係になっている、

その友情ストーリーに熱いものが込み上げます。

第三幕は、
戦争下における、
北原白秋や山田耕筰達、文筆家や芸術家の様子が描かれます。

各人、
戦時下において、何を選択するのか、
芸術とは、何なのか、
それを問うています。

 

現実の人間、人生において、
一貫したテーマがある人物なんて、そうそういません。

そういう意味では、
北原白秋という実在した人物を取り上げた本作に、
一貫したテーマが無いというのも、
まぁ、ありえる事です。

そう割り切る事も、
大事な事だと思います。

 

本作は、
ラストシーンが、北原白秋の死、
山田耕筰の悔恨、
芸術の敗北で終わるので、
深く考えると、どうにもやりきれないです。

しかし、
三幕の各作品を短篇として観る事で、

それぞれを楽しむ事が出来るのではないでしょうか。

 

  • 「泣き」の演技

『この道』は、
建前では北原白秋と山田耕筰のダブル主演となっていますが、
作品としては明らかに大森南朋が主役です。

 

本ブログは、
基本的に作品の良い所しか言わない様にしています。

しかし、
本作にはどうしても言いたい事がある。

それは、
大森南朋の「泣き」の演技がいただけないという事です。

主役が、この「泣き」でいいのか?
と思ってしまいます。

 

何も無い所で泣けますか?

私は無理です。

感情が昂ぶった訳でも無く、
痛いことがあった訳でも無い。

そんな状態で涙を流す、
そんな不可能性を可能にするのが、役者の凄い所です。

 

本作は、
北原白秋の無垢なキャラクター性を象徴するものとして、
「泣き」の場面が多数挿入されます。

しかし、
そのどれもが駄目。

まるで、
ショッピングモールで駄々をこねて嘘泣きする糞ガキそのもの。

外見だけ、泣いた風を取り繕って、
他人に構ってもらいたがっている、
あの嘘泣き、

まさか、映画でそんな幼児レベルの「泣き」を見せられるとは、
思いもしませんでした。

 

ビックリしたのは、
与謝野鉄幹が祝辞を述べるシーン。

感極まった北原白秋は涙を流しますが、
その涙が、
目の中央部がら流れるのです。

涙って普通、
目頭(いちばん鼻側)か、目尻(いちばん耳側)から溢れるものですよね。

それは、自分の体験で、
もしくは、人の泣く様子で、
誰もが知っている事だと思います。

目の中央部から涙が流れるのは、
漫画のみです。

完全に目薬を使っているのがバレバレ

 

いや、目薬を使うのはいいんですよ。

しかし、
現実には起こらない状態になったら、
撮影し直したり、
演技指導したりするものじゃないのかなぁ?

 

しかし、
もしかしたら、
本作は、敢えてそういう作りにしたのかもしれません。

つまり、
北原白秋の無垢さ、無邪気さとは、
彼の計算された、外面(そとづら)だった、

それを表現したのかもしれません

それなら、
嘘泣きをカリカチュアライズしたかの様な、
大森南朋の「泣き」の演技も納得がいきます。

そう、
好意的に受け取る。

それこそ、
本ブログの趣旨なのです。(!?)

 

  • 戦争と、文筆

「泣き」の演技は残念ですが、

本作には、ちゃんと面白い場面も多数あります。

 

本作でシビアの描写がなされるのは、第三幕。

戦時下において、

本来、
自由な作品発表をすべき、
文筆家や音楽家が、

権力におもねる方向に宗旨変えする

戦争を批判する言論が封殺され、
戦意昂揚の作品が発表される。

時代の間違った方向性、気持ち悪い空気を糾弾するのが、
芸術の役割ではないのか?

それが、
お国の意のままに、プロパガンダとして利用される。

後の世にまで残る名声を獲得した歌人でさえ、
権力に屈する様子は、
衝撃が大きいです。

 

人は、
権力におもねる時、
つまり、
戦いを辞める時、
自分に言い訳をします。

本作では、
山田耕筰が「戦後まで、音楽を守る為」、
与謝野晶子が「戦争に行く、子供を守る為」、
北原白秋の妻、菊子が、「生活を、子供を守る為」と、

それぞれ、
もっともらしい建前を掲げる事で、
自分が権力に屈する事を許してしまいます。

 

しかし、
一人だけでは無く、
集団が丸ごと権力の軍門に下ったらどうなるか?

太平洋戦争時の日本や、
ナチスドイツを見れば、
その答えが分かります。

卑近な生活を守る為、
理想を捨てたら、
それは結局、
より生きにくい世の中を作ってしまう事になるのです。

 

ラストシーンで山田耕筰が、
「良い音楽が作れなくなった」と嘆いていました。

それはつまり、
理想を捨てた事で、
結局、音楽が死んだ、
その事を表しているのだと思います。

 

しかし、
作中で、
一人、権力に抗い続けたのが、北原白秋なのです。

 

  • 白秋と「露営の歌」

私が本作で一番好きなシーンは、
北原白秋が、陸軍の秦彦三郎、菊池寛と共に、
陸軍の士気高揚の歌を決める場面です。

 

秦彦三郎と菊池寛は、
「進軍の歌」が良いと言い、

それを聞いた白秋は、
「露営の歌」が良いと言います。

このシーンにはどういう意味が込められているのでしょうか?

 

恐らく、
北原白秋は、責任を取りたくなかったのです。

自分が選んだ歌で、
戦争を賞揚する様な事態には、なって欲しくなかった。

だから、逆張りして、
自分が選ばなかった方が、選ばれる様に、
二人が選ばなかった「露営の歌」を推したのだと思います。

 

しかし、
菊池寛は、
A面として「進軍の歌」を採用し、
北原白秋推薦の「露営の歌」は次席としてB面採用しよう、そう、提案します。

一見、スマートな解決方法に見えますが、
しかし、

恐らく、
菊池寛は、北原白秋の、その逃げの心理を分かった上で、
その逃げ道を塞ぐ形の提案をしてみせたのだと思われます。

この性格の悪さが、
とんでもないですね。

 

その後、
実際に流行ったのは「露営の歌」の方。

そして、北原白秋は、
幼児の時、自分と遊んでいたケン坊が、

長じて軍に招集され、
「露営の歌」を口ずさみ、凜々しい表情で敬礼をする様子を目の当たりにします。

 

戦意昂揚の歌や、英雄譚にて煽り、
自分もカッコよく、こうなりたい、
みたいな心理を励起させる事で、
若者を洗脳する。

それが戦時下の軍です。

その悪事の片棒を担いでしまった

自分が選んだ「露営の歌」が、
自分が愛した少年を、死地に送る事になったという現実を目にした北原白秋は、

視力を失ってしまうのです。

内臓疾患にて失明したと作中では言っていました。

しかし、
実際は、世間に絶望し、
もう、世の中を見たくないという現実逃避の思いが、北原白秋にあったのだと思います。

『この道』を口ずさんだ「あの道」を歩き、
山田耕筰と共に、小田原の町を一望する、お気に入りの場所まで行く。

その事すら放棄してしまうのです。

 

戦争に抗い、死んでいった北原白秋、

戦争を受け入れ、上手く立ち回ったかに見えて、
音楽が死ぬ事になった山田耕筰。

二人の哀愁が染み入る、ラストなのです。

 

 

 

一本の映画として一貫したテーマを持つというより、
三幕構成の連作短篇の様な作品、『この道』。

魅力のある北原白秋のキャラクターを描き、
その彼と山田耕筰の友情を描き、
そして、強烈な反戦メッセージを伝える。

本作はそういう、
一本で3度美味しい作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

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