映画『天国でまた会おう』感想  人間万事塞翁が馬!!流転する運命を生き残れ!!


 

第一次世界大戦終戦直前、ドイツ軍と最後の抗戦が始まったが、その切っ掛けはプラデル中尉の自軍射撃だった。それに気付いたアルベールは、危うく殺されそうになるが、エドゥアールに助けられて一命を取り留める。しかし、その時、砲弾が炸裂し、爆風でエドゥアールの顔が傷付いてしまう、、、

 

 

 

 

監督はアルベール・デュポンデル
フランスの映画俳優であり、監督。
主な監督作に、
『ベルニー』(1996)
『9 mois ferme』(2013)等がある。

 

原作・脚本はピエール・ルメートルの『天国でまた会おう』。
日本でも大ヒットした『その女、アレックス』の作者である。

 

出演は、
エドゥアール:ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート
アルベール:アルベール・デュポンデル
プラデル:ロラン・ラフィット
ルイーズ:エロイーズ・バルステール

マルセル:ニエル・アレストリュブ
マドレーヌ:エミリー・ドゥケンヌ
ポリーヌ:メアニー・ティエリー 他

 

 

 

 

人間、地道に生きていたら、良いことあるって?

実は、そうでも無いんですよねぇ。

結局は、要領の良い人間が生き残って、
不器用な人間は、いつまで経っても下層に甘んじてしまうんですよね。

しかし、それでも、
我々は生きて行かなければならない。

 

人間万事塞翁が馬、なのですから。

 

そんな、

人生の流転劇を描いた作品

 

それが本作『天国でまた会おう』です。

 

 

戦争のドサクサで殺されましたが、一命を取り留めたアルベール。

プラデルには釘を刺されますが、
なんとか生き残れました。

一方のエドゥアールは、顔面を破損し、
アゴを失ってしまいます。

アゴの補綴器具も作らず、
整形手術も拒否し、
世間から隠れ、ひっそりと暮らすエドゥアール。

元の職である経理係に就けなかったアルベールは、
恋人とも音信不通になり、
デパートのエレベーター係に再就職し、
命の恩人であるエドゥアールを支える日々を過ごします。

意気消沈し、
ずっと引きこもっていたエドゥアールですが、

ある日、
戦没者追悼記念碑の建設で、公募品の優秀作に懸賞金が出るというニュースを目にします。

このニュースに目を輝かせるエドゥアール。

戦没者にお金を出すのなら、
我々が貰っても構わないとばかりに、
世間を騙す一計を案じます。

我々をこんな境遇においやった、
戦争に復讐してやる、と、、、

 

 

戦争という非日常から、
普通の生活が始まる時、
ある種のバブル状態が発生します。

そこで儲ける人間も居れば、
むしろ、
昔より下層に落ち込んでしまう人間も居るのです。

そこから大逆転を目指す!?
世間にひと泡吹かせる!?

良いじゃない、そういうの、
嫌いじゃないよ。

 

そして、
本作の特徴としては、

美術関連のビジュアルが面白い

 

という事です。

戦地、衣装、街並み、豪邸とボロ屋敷、

そして、エドゥアールの着ける仮面の数々。

 

ただ観ているだけでも楽しい本作。

しかし、

華やかな高揚感がある一方、
お祭りの後の、虚しさの様なものも感じる、

 

観た後は、
ちょっとセンチメンタルな気持ちになる、
『天国でまた会おう』は、そういう作品です。

 

 

 

  • 『天国でまた会おう』のポイント

流転する人生模様

エドゥアールの仮面

目的と望み

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • エドゥアールの仮面

本作『天国でまた会おう』のエドゥアールは、
戦争で顔を破損してしまいます。

芸術家気質のエドゥアールは意気消沈し、
しばらくは引きこもりの人生を送りますが、

戦没者追悼記念碑建立のニュースを目にし、
懸賞金を騙し取るという計画を立て、
俄に元気を取り戻します。

そして、
その彼の復活は、
仮面と共にありました。

 

アゴを無くした事で、
声も無くしたエドゥアール。

彼の感情は、
着けている仮面、
そして、
そこから覗く目の表情で表されます。

口の動くギミックのある仮面、
札束で作った「たてがみ」を持つ獅子、
『千と千尋の神隠し』のカオナシみたいな、青い髪の女、
当時の人気小説だったという「ファントマ」の仮面、
パーティー会場のジャズミュージシャン、
クライマックスシーンの、鳥の仮面 etc…

様々な場面を彩る、
様々な仮面が、奇妙な味として作品を彩ります。

 

普通、仮面というものは、
素性と感情を隠すものとして使われます。

しかし、
本作では、
逆に、隠すべき感情を表し、
自分の今を表出するものとして使われているのです。

「ペルソナ」という言葉を使えば、
その時々で装う、場面毎の役割を演じた人物像、
みたいな意味を持ちますが、

「演じる」というより、
正に、
「ペルソナ」自体が自分自身となっているのですね。

 

クライマックスで着用していた「鳥」の仮面。

本来なら、高飛びをする為のものだったのかもしれませんが、

それが、
「アイ・キャン・フライ」を誘発してしまうとは、
なんとも無常感に溢れています。

 

仮面を製作したのは、セシル・クレッチマー。

普段は演劇やオペラで、
かつら、仮面、メイクなどを担当しており、

映画は今回が初との事。

中々、良い仕事だと思われます。

 

  • 人生における、目的と、希望とは

『天国でまた会おう』には、
主に3人の人生模様が描かれます。

芸術家を目指しながら、
父に反対され、抑圧されて育ったエドゥアール。

戦争が切っ掛けで、
転落人生に陥ってしまったアントワーヌ。

上手く立ち回り、他人を喰いモノにし、資産を築くも、
その報いを受けるプラデル。

 

プラデルは典型的な悪漢として描かれますが、

だからと言って、
エドゥアールとアントワーヌも、
真っ当に生きる正直者という訳では無く、

そういう各人の、
人間的な不完全性が、
逆にキャラクターとしての魅力に溢れています。

 

特に、アントワーヌは、興味深い描かれ方をしています。

戦争に従軍するという外的要因にて、
下層へ転落、
恋人ともなし崩しで別れ、
ボロ屋敷で、引きこもりと共に過ごす。

(どうでもいいですけれど、「ボロ屋敷」と描写されたアントワーヌとエドゥアールの住まいですが、私の現在の家よりよっぽど広くて、過ごしやすそうに見えますね、ええ。私の境遇は1918年のフランスの「ボロ屋敷」より、さらに下って訳です)

その日暮らしの為に、
ケチなバイトで日銭を稼ぎ、

お金が無いから、強盗をし、

折角、良い所に就職しても、
瞬間的な大金を得る為に、横領を行う。

正に、
瞬間、瞬間、その時点での対処に明け暮れるという、
現代社会で、下層で甘んじる人間そのものとして描かれています。

 

一方のプラデルは、
長期的なビジョンをビジネスにおける金儲けの為だけに使い、
悪徳を重ね、
故に、最終的には敗北者に落ちる、

彼もまた現代的な、
その時のみの成功を考える人物として描かれます。

 

エドゥアールは一計を案じ、
詐欺で大金を稼ぎ、
ホテルで豪遊しますが、

彼の戦争への復讐もまた、
その一瞬のみ溜飲を下げるだけの、
虚しい勝利感したもたらしません。

やりきった達成感は無く、
ただ、虚脱した感じで、
鳥の仮面を被って、薬物に溺れていたシーンが、それを物語っています。

 

人間というものは、
どんな成功を手にしたとしても、
達成した目的と、
自分の本来の望みが合致していないのなら、

そこに満足感や達成感は無いのです。

一晩のお祭りの様な、
一瞬の高揚感のみでは、生きて行けないのです。

しかし、
エドゥアールは、
そのお祭り騒ぎで、
自分の人生の軛だった「父」に認められてしまった。

芸術家に成る、という事が、エドゥアールの夢ならば、
しかし、
彼の人生の目的は、「父に認められる」事であったのです。

だから、
その目的を、詐欺行為という、一夜のお祭りで達成してしまった時、

嬉しくもあった反面、
それ以上のものを望む事が出来なかった、

それは、一夜で消えてしまうものだからです。

故に、エドゥアールは、
その一瞬を永遠とする為に、
飛び降りなければならなかったのですね。

 

アントワーヌは、ラスト近く、
プラデルを狙って襲撃を企みます。

アントワーヌは、
自身の浮かばれ無い境遇、

その反面、
上手く立ち回り成功しているプラデルが憎くて、

ルサンチマンを解消させようと、
まるで、
戦争での負け犬の叛逆よろしく、
戦争で私腹を肥やした人物を襲うのです。

 

しかし、彼の襲撃は未遂に終わります。

一見、プラデルは生き埋めになったかの様に見えますが、

このシーン、
アントワーヌの馬の仮面もプラデルと同時に巻き込まれているのがポイントです。

アントワーヌは、馬が共に生き埋めになったから、生き残ったとう過去があります。

つまり、
この時、馬の仮面と一緒に生き埋めになったプラデルは、
アントワーヌ同様生きているという事を示唆しています。

結局、大胆な事をやろうとしても、
気の弱い人間は、
慣れないことでそれを達成出来ないのです。

 

その後、
潜伏先のモロッコにて、
領事館で事情聴取を受けていたのは、

勿論、プラデルの手回しがあったからだと思われます。

しかしそこで、
アントワーヌは、隊長に見逃されます。

隊長はアントワーヌの告白を聞き、
彼の正直な愚鈍さの中に、真実を見るからです。

結局は、
アントワーヌは、彼自身が歩んできた人生に助けられ
プラデルは、彼自身が歩んできた人生故に、目的を達成出来ません。

 

 

 

人生における、
目的とは、希望とは、夢とは、成功とは?

目的を達成し、夢が叶っても、
それが、
人生を生きて行く事と同意では無い。

むしろ、
時には、何のビジョンも持たなくても、
その日、その日で懸命に生きている果てに、

思わぬ幸せが転がり込んで来る時もあるかもしれない。

正に、
人間万事塞翁が馬

そんな格言を体現する作品、
それが『天国でまた会おう』なのです。

 

 

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