映画『ジュリアン』感想  ホラーより怖く、暴力より痛い、その名はDV!!


 

夫、アントワーヌと別れる事となり、離婚調停に臨んだミリアム。姉ジョゼフィーヌは18歳で対象外だが、11歳の弟のジュリアンの親権を巡って、二人は裁判所にそれぞれの言い分を伝える。子供は、アントワーヌとは二度と会いたくないという作文を提出したのだが、裁判所は、週末を父と過ごすようにと言いつける、、、

 

 

 

 

監督はグザヴィエ・ルグラン
フランス出身。
短篇映画の『すべてを失う前に』(2012)がアカデミー賞の短編映画賞にノミネートされ、評価された。
本作は、長篇映画デビュー作。

 

出演は、
ミリアム:レア・ドリュッケール
ジュリアン:トーマス・ジオリア
ジョゼフィーヌ:マディルド・オネヴ

アントワーヌ:ドゥニ・メノーシェ 他

 

本作は、監督の短篇『すべてを失う前に』を長篇化した作品。

出演者も、
ミリアム、ジョゼフィーヌ、アントワーヌ役は続投しているとの事です。

 

 

 

DV(domestic violence)というものは、
ガチのマジで、のっぴきならないものです。

ただ一人のガンが居るだけで、
家族全員の人生に、
暗い影がのしかかります。

 

家に居るより、
学校に居る方がまだまし。

勉強は嫌いでしたが、
自習して、居残りして、
学校が閉まるまで残っていました。

家に帰る時は、
バス登校なのに、
わざと歩いて、しかも遠回りして帰っていた学生時代。

 

家庭が帰るべき場所?
安心出来るくつろぎ?

とんでも無い!

家庭が、家族が、
安寧とは限らないのです。

 

それが、本作『ジュリアン』。

DVがテーマの作品です。

 

子供に害を成す親の行動、心理が、
ありありと描写されています。

その様子が、

下手なホラー映画よりも、よっぽど怖いのです。

 

超能力も、呪いも存在しない、

しかし、
あまりにも息苦しいです。

何故ならDVというものは、

現実に起こりうる理不尽だからです。

 

人生における、ストレスというものは、

その殆どが、
人間関係から由来するものと言えるでしょう。

暴力、罵声、イジメ、ストーキング、etc…

DVというものは、
それらの要素が、全て含まれているのです。

 

他人のDVでも、
それを観るのは、
息苦しく、重苦しいものです。

しかし、
そこから、我々は学ばなければなりません。

自分と、
自分の家庭を、こうはするまいと。

 

そういった教訓を含んだ作品、
それが『ジュリアン』なのです。

 

 

  • 『ジュリアン』のポイント

恐怖のDV、その実践

家族の問題、人それぞれ

謎解きでは無いミステリ、ホラーでは無い恐怖

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • DV判定

本作『ジュリアン』は、
DVを描いた作品です。

それはもうストレートに、
DVとは何か、そして、
DVを行う者の行動、心理、キレパターンなど、

事細かに描いています。

 

本作は先ず、
夫婦が離婚調停において、
息子のジュリアンの親権について、
裁判所にて陳情を述べる場面から始まります。

日本は結婚中は共同親権ですが、離婚したら単独親権。

フランスでは(言い忘れましたが、本作はフランス映画)、
離婚しても共同親権が続きます。

監護権(一緒に住む権利)を一方が持ったら、
もう一方は面会権を持つのです。

一般的には、
養育費などの取り決めを、事細かに定めますが、

本作においては、
その面会権すら、妻のミリアムは拒否すべく、
ジュリアンの陳情書や、
DVの証拠としての診断書の提出をします。

対して夫アントワーヌはそれを否定し、
幼子には、父親が必要だと訴えます。

果たして、
裁判所は、証拠不十分とみたのか、
アントワーヌのジュリアンとの面会権を認めるのですね。

 

さて、
本作の面白い所は、
この時点では
ミリアムとアントワーヌの、どちらが真実を述べているのか、
裁判所のみならず、映画を観ている観客も判断が出来ない所ですね。

 

アントワーヌは、
もう、見るからにDVしそうな感じ。

常に半目で、
熊の様な風貌。

しかし、本作は映画。

もしかして、
その外見を逆手に取った以外な展開があるかも?

どう見ても悪者のアントワーヌの言葉が正しくて、
実際は、ミリアムが、
洗脳的なDVを娘や息子に施しているのかもしれない、

そう、裏読みをしてしまうのですね。

 

実際は、
息子に威圧的な態度と脅しを絡め、
新居の場所を聞き出した直後、

(元)妻のミリアムに再会した途端、
「俺は心を入れ替えた」とか言っちゃう場面で、

観客は、
どの口でそんなセリフが吐けるのかと、
アントワーヌの異常性に気付くのです。

しかし、
そこまで行かないと、第三者目線では、確証が持てない、
況んや、裁判所をや。

本作で観る様に、

DVの被害者である当人達には明らかでも、
それを、第三者が納得する形で証明する事は、
意外と難しいのです。

 

ニュースにて、
家庭裁判所や、警察、児童相談所がの判断が遅れた所為で、
救えたハズのDV被害者の命が失われる、

そういう、事態を、度々目にします。

結局は、第三者にとっては他人事であり、
仕事として処理される一事例に過ぎない、

そのスタンスが、悲劇を生むのですが、

その、
DV判定を下すタイミングの遅さを、
観客にも実感させ、気まずさを覚える、

こういう演出をしているのが、
本作のミステリ的な面白さです。

 

  • DV的思考、狭量な社会

『ジュリアン』においては、
DV的な思考過程が、克明に描かれています。

DV的な思考というものを端的に言うと、

自分が人に嫌われている、そういう事実を認めず、
逆に、
自分がこういう行動をするのは、相手に非があるからだと、
被害者側に責任転嫁をするのです。

 

「何故俺を認めないんだ、認めないお前が悪い」と殴ったり、

「これは、お前の事を思ってやっているのだ」と言って殴ったり、

DVをしている本人にとっては、
その暴力行為を肯定する理由が存在しているのです。

他人から見たら、
到底許容も、理解も出来ない事なのですが。

 

しかし昨今、

こういうDV的というか、
自分の事を棚に上げて、他人を必要以上に叩く、
不寛容さが際立つ社会になっている様に感じます。

SNSでの失言を、
全く関係無い人間が叩きに叩きまくり、
炎上させたり、

店員がミスした事を、
粘着して言い掛かりをつける、自称「お客様」とか、

端から見ると、
「お前の方が、よっぽど害悪だぞ」
と言わんばかりの行動が目立ちます。

こういう、
常に他人のストレスに晒される様な社会は、
早晩、崩壊を招く、
そんな危機感すら感じる、今日この頃です。

 

  • 家族のそれぞれ

本作、題名は『ジュリアン』ですが、
家族それぞれの、
様々なスタンスを描いているのが興味深い所です。

 

ジュリアンは、
家族を守る為に、
11歳の身空で、懸命に立ち向かいます。

すぐバレると分かっていても、嘘を吐いたり、

父が母にコンタクトすることを避ける為、
携帯から、母の連絡先を消したり。

 

一方、
母のミリアムは、
離婚した開放感からか、
速攻で男を作っているのが、
まぁ、何とも言えない所です。

印象的なのは、
新・恋人が来たとでも思ったのか、
シャワー上がりのエロい格好で戸口に出たら、
アントワーヌがジュリアンを引き連れて現われた、
というシーン。

アントワーヌも、
ジュリアンも、
「あッ、、、そういう事」と思い、
ミリアム自身も、
「恋人待ちだった事を、二人に気付かれた」という事に気付いています。

その前提の上で、
何事もなかったかの様に、会話が続いているのが、
恐ろしくもあり、
ちょっとファニーなシーンでもあります。

またその後、
娘の誕生パーティーに突撃して来たアントワーヌを、
今カレに見られ、
「(私との関係をどうするのかは)あなた次第よ」
と言うシーンも印象的ですね。

いやぁ、遠慮したいッス。

離婚したと聞いていたのに、
イカれたオヤジがストーキングしていたら、
ぶっちゃけ、関わりたくないというのが本音ですが、
果たして。

 

ストーリー的には、
ミリアムとジュリアンの二人がメインのラインなのですが、

サイドストーリーである、
ジョゼフィーヌのラインも興味深いです。

バンド活動をしているジョゼフィーヌ、
バンドメンバーの彼氏の影響なのか、
ろくすっぽ学校に通っていないご様子。

ミリアムは、二人に個別に苦言を呈しますが、
二人とも聞き流します。

そして、ジョゼフィーヌの妊娠発覚、
(家族には告げず)

自身の誕生パーティーの直後、
手紙の上に鍵を置き、二人は駆け落ちします。

 

この一連の流れ、色々とツッコみたくなります。

先ず、カレシが、カイジに似ているのです。

カイジっていうのは、
漫画の『賭博黙示録カイジ』のシリーズに出て来る主人公の、
伊藤カイジの事です。

カイジというか、作者の福本伸行の漫画のキャラクターは、
特徴的な見た目をしています。

アゴが尖っているのですね。

かつて、「BSマンガ夜話」というTV番組で、
「カイジのこのアゴは、アフリカの呪術像にルーツがある」と、
夏目房之助が冗談交じりに語っていましたが、

リアルでカイジみたいなアゴをしている人物、
ワタクシ、初めて見ました!!

おまけに、
チャラい軽薄な態度と、
筋肉の無い、ヒョロい見た目、
ピロリと垂れた、三つ編みの毛、
カイジ似だから、きっとギャンブルも好きに違いない(偏見)、

親だったら、
絶対に娘のカレシになって欲しくない、
そういう人物を体現しています。

娘のカレシを選ぶセンスの無さ、
擁護した母、

それに異を唱えたアントワーヌの判断は、
その点においては、正しかったのかもしれませんね。

 

また、
ジョゼフィーヌは、誕生パーティーの舞台で歌っており、

舞台の上から眺めると、
母の様子、叔母の様子から、
何か、トラブルが発生したのだと一目瞭然。

それは容易に、父絡みだと推測出来る。

それなのに、
我関せずシカトして、サッサと駆け落ちのトンズラを決め込むのですね。

学校にも行かず、
チャラい男と子供を作って、
困っている家族を残して、自分だけ逃げる。

あまりにも、
自分勝手過ぎるだろうと、言ってしまいますね。

 

でも、
ジョゼフィーヌがこういう行動を取ってしまったのは、
DVの被害者であるからなんです。

家族が嫌いで、
家に居たくない、

現状を変えられないのなら、
自分が変わるしかない。

家族関係で言えば、
自分が家を出ればいいのです。

ジョゼフィーヌにとっては、
家に居ないでいい(=父に会わなくていい)のなら、
理由は何でも良かったのかもしれません。

だから、
子供の父親が、チャラいバンドマンでも、意に介せず、

むしろ、
子供が出来たという事は、自分が新しい家庭を築くという事、
その機会を喜んでいるのかもしれません。

 

舞台から眺め、トラブルの発生を察しても、
それに対し、
「自分も何かしなきゃ」とは、ならないのですね。

むしろ、
「引っ越しても意味無かった、家を出なきゃ」
と、駆け落ちの決意を新たにする要因となってしまったのです。

 

ジョゼフィーヌの行動は、客観的には悪手。

しかし、
本人にとっては、
DV(アントワーヌ)から逃れられるのなら、
どんな道でもよっぽどマシに見えているのです。

もっとも、
彼女を学校に行かせず、
性交して妊娠させ、
バンドマンでカイジ面、

そんな相手をパートナーに選ぶとは、
どう見ても不良債権の数え役満みたいな状況なのですが、

そんな家庭で生まれる子供の未来の不幸を考えるに、
DVに限らず、
家族の不和というものは、子孫にまで影響を及ぼす負の連鎖を生むという、
非情な現実を、本作は描いているのです。

 

 

 

 

DV家庭の現実、

DVを行う者の行動、心理、思考を描く一方、

DVに晒される側の苦悩、苦痛、不安を描いた作品、
『ジュリアン』。

ホラーで無いのに怖ろしく、
ミリテリで無いのに、サスペンス。

そして、
本作のアントワーヌの様に、
人に嫌われても、
自分一人、自分が正しいと言い張る人間は、
現代社会において、
確実に増えてきていると感じます。

社会全体が、
DV化している!?

そんな事も考えてしまう映画、
それが『ジュリアン』なのです。

 

 

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