重森は弁護士仲間の摂津から三隅という被告人を回される。この摂津は淡々と自らの罪を告白するのだが、その供述が会う度に微妙に変わる。かつて2人を殺し、仮釈放中の今回三度目の殺人を犯した三隅。死刑は堅いが、なんとか無期懲役にしようと重森は考えるが、、、
監督は是枝裕和。
今やコンスタントに観客を呼べる、実力派の一人だ。
監督作に
『誰も知らない』(2004)
『花よりもなほ』(2006)
『そして父になる』(2013)
『海街diary』(2015)
『海よりもまだ深く』(2016)等がある。
主演は福山雅治。
俳優、歌手として幅広く活躍する。
出演作に
『そして父になる』(2013)
『SCOOP』(2016)等がある。
共演に役所広司。
言うまでも無い名優である。
近作に
『日本のいちばん長い日』(2015)
『関ヶ原』(2017)等がある。
他、出演に広瀬すず、吉田鋼太郎、満島真之介、松岡依都美、市川実日子、斉藤由貴等。
是枝裕和監督と言えば、家族関係をテーマにした映画を多数撮っている印象がある。
そして、本作『三度目の殺人』で扱うテーマは
日本における司法、そして信じるとはどういう事か、という事である。
もちろんお得意の家族関係、人間関係も描かれるが、
暖かい関係では無く、
複雑で悩ましい事態を扱っている。
最近の作品では家族との関係を、明日に向かう正の方向に描き続けていたのだが、本作『三度目の殺人』においては
その解釈を観た人に委ねる形で提示している。
それは、どこか突き放した印象さえ受ける、寂しく厳しいものだ。
だが、だからこそ観た各人の心に、十人十色の解釈を残す、強い印象の作品となっている。
不気味だが、要注目の作品である。
以下ネタバレあり
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役所広司という役者
本作『三度目の殺人』の三隅という役は難しい。
淡々とした中に、どこか狂気を忍ばせている。
それでいて、会う度に微妙にキャラが違う。
一貫性が無いのだ。
そんな難しい役だがしかし、ほとんど当て書きをしたのかという程、役所広司さんの演技は三隅にマッチしていた。
本作の凄味はこの三隅の演技に依る所が大きい。
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三隅という役柄
そして、『三度目の殺人』を不気味な印象にしているのがその三隅である。
三隅とは一体どうゆう存在なのか?
一見すると混乱しがちだが、作中にも供述され、ラストに重森も呟いた「器」という言葉が三隅を理解する助けになる。
三隅が気持ち悪い点は、まず主張に一貫性が無い点である。
前回の接見と違う事を言って「どうだったかな~」と誤魔化す様子は違和感を感じる。
本当に分かってないのか?
相手を混乱させる目的でわざとそう言っているのか?
その判断が出来ない、読めないのだ。
そして、会う度にキャラが少し違う。
さらに態度が急変する。
人格が安定していない様な印象を受けるもの不気味だ。
また、何か変な能力を持っているのか?と思われる点だ。
手を合わせた相手の心が読めるのか?
重森の悩みを言い当てたのはどういう理屈なのか?
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アイデンティティの欠如
何故、三隅はこれほどまで気持ち悪く、不気味なのか?
それは、彼が「器」だからである。
分かり易く言うと、「鏡」なのだ。
作中では詳しく語られなかった2人を殺傷した昔の事件。
その時は、借金に苦しむ人間の代弁をした印象があるとの言葉があった。
また、今回の「三度目の殺人」では、広瀬すずが演じた山中咲江の望みを汲んだ様にも見える。
そして、会う度に供述が変わるというのは、会う人間の影響を三隅は受けて、その都度違う人間になっているからではないか?
検事や弁護士に罪を認めろと言われれば罪を認め、
雑誌の記者が「ストーリーを作った記事」を持ってくればそれを肯定し、
重森に本当はどうなんだと疑われると自分の証言を覆す。
そこには自分の主張はなく、只その時会った人間の思いを鏡のように反映しているだけの存在。
それが三隅である。
他人に自分を見るのは嫌悪感を催す。
三隅が気持ち悪いのは、自分が見える様な気がするからだろう。
また、重森はかつて父の様な裁判官に憧れていたという。
そして、重森に、「なぜ(重森の父の)裁判長に手紙を送ったのか」と問われた三隅は「裁判長に憧れていたから、人の生死を自由にしたかったから」と言う。
恐らくこれは、重森自身がかつて思っていた事そのものなのだろう。
重森の表情がその事を物語っている。
それは翻って、自分の言葉では無く、重森の思っている事を言っただけという証左である。
また、重森が娘からの電話で「どんな時でも味方か?」と問われるシーンがある。
そして、三隅はその後、供述を変えて「私は殺していない」と主張し出す。
これは娘を守る=重森という図式を
咲江を守る=三隅という図式に鏡像として当てはめているように見える。
だがラスト、三隅は重森に「咲江の思いを汲んだのか」と問われると、その事には笑顔でもって否定を臭わす。
三隅には思いやりや義侠心、自己犠牲というものは無い。
ただ、機械的に相手の心を反射しているだけなのだろう。
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感染性
そして、三隅のこの特質には、どうやら感染性がある。
重森は最初、クールで実際的な言動をしていたが、三隅と関わって、特に「手を合わせる」シーン以降から、いつの間にか人権派の様な態度になる。
熱血な後輩弁護士の様な、青臭い事を言い出すのだ。
何か、三隅は重森の影響を受けながら、
同時に重森を自分の影響下に置いている様にも見える。
本作のクライマックスは、三隅が重森に「私を信じるのか?」と詰め寄るシーンである。
だがもし、互いに影響を与え合っている者同士の会話だったとしたら、これは単に鏡に向かって話しているだけの一人芝居と言えないだろうか。
重森は夢の中の描写で三隅や咲江と一緒に雪遊びをし、
また殺人を追想するようなシーン、頬に散った血糊を拭う動作などをしたりする。
そして、クライマックスの三隅との面談に臨む重森の靴は、左足の方が目立って泥で汚れている。
咲江の影響を受けた三隅は、それを重森に感染させているのではないか?
殺して欲しかったというのは咲江の想い、
それが三隅というフィルターを通し、実際に起こった事を含めて重森にも投影されているように見える。
描写こそされていないが、重森は歩く時に左足を引きずっていたのではないか?
だから、靴が汚れていたのだ。
また、咲江が「足が悪いのは屋根から飛び降りたから」と弁護士事務所においても主張していたのは、
そう主張する咲江の言葉を信じた三隅の影響を受けて、自分でもその言葉を信じてしまっている、とも解釈できる。
咲江もピーナッツクリームを見ていたが、
実際三隅はピーナッツクリームが好きなのか、
それともピーナッツクリームが好きな咲江の影響を受けているだけなのか?
この判断が出来かねるのも気持ち悪い。
この様に、重森と咲江は三隅を介してリンクしている様に見える。
信じてくれと訴える三隅の言葉は誰の物なのか?
心からの訴えなのか?
咲江の想いか?
重森自身がそう信じたかっただけなのか?
入り交じり過ぎて、判断は付きかねる。
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出演者補足
弁護士事務所の事務員さんを演じた松岡依都美(まつおかいずみ)は気になる女優である。
『凶悪』(2013)で映画デビューし、
昨年は
『残穢』(2016)
『海よりもまだ深く』(2016)
『日本で一番悪い奴ら』(2016)
『永い言い訳』(2016)
という4本の邦画の良作に出演しており、とても印象に残っている。
舞台をメインに活躍しており、映画『散歩する侵略者』の原作舞台版の方にも現在(2017年9月17日)出演している様だ。
今後も映画の方にいろいろ参加して欲しい。
家族関係をテーマにしてきた是枝監督が挑戦した法廷劇。
だが、それは丁々発止の心理戦ではなく、自分の内面を覗き込む様な、観る人それぞれの解釈を必要とする作品であった。
気持ち悪さを感じるか、
いたたまれなさを覚えるか、
それは観る人次第。
こういう作品に触れて、自己を省みてみるのも良い映画体験である。
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さて、次回は火星で一人、己の内面を見つめてみる!?『火星の人』について語りたい。