映画『サバービコン 仮面を被った街』感想  見た目に騙されるべからず!!

郊外の美しい住宅街、サバービコン。白人しか居ないこの街に、黒人のマイヤーズ一家が引っ越してくる。街の自治会は議論で紛糾、そして夜な夜な嫌がらせエスカレートしていく。その一方、マイヤーズ家と隣接するニッキーの家には、強盗が入っていた、、、

 

 

 

 

監督はジョージ・クルーニー。
TV俳優から映画俳優へ、そして映画監督へと、
俳優が辿る道としては、およそ理想的な道を進んでいる。
監督作に
『コンフェッション』(2002)
『グッドナイト&グッドラック』(2005)
『かけひきは、恋のはじまり』(2008)
『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』(2011)
『ミケランジェロ・プロジェクト』(2014)がある。

 

主演のニッキー役に、子役のノア・ジュープ

他、
父親、ガードナー:マット・デイモン
ローズ/マーガレット(2役):ジュリアン・ムーア
バド・クーパー:オスカー・アイザック 等が出演している。

 

 

郊外の住宅街、サバービコンで起こる騒動の数々。

本作『サバービコン 仮面を被った街』では、

白人の街に引っ越してきた黒人一家が迫害される

 

騒動を描く一方、

ストーリーの主旋律として、

強盗に入られたニッキーの一家が見舞われる狂乱を、
コメディタッチに描いたクライム・ムービーです。

 

裕福で幸せそうな家庭が、その中に孕む悪意、

美しい街が起こす、人種排斥運動、

一見、幸せで美しくても、それは表面だけ、
その内部には悪意が潜んでいる、

 

その様子を2つの事件でもって如実に表しています。

 

物事は何も見える事だけが本質では無い、
一皮めくっただけで醜い物が噴出様をコメディタッチに描いた『サバービコン 仮面を被った街』。

でも逆に、その醜さが笑えてしまう、身も蓋も無い作品です。

 

 

  • 『サバービコン 仮面を被った街』のポイント

子供の目線で描かれる、コメディタッチのクライム・サスペンス

理想を標榜する排他的な街の様子

この世の全てはパロディなのか?

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 自己撞着の街

本作『サバービコン 仮面を被った街』のサバービコンは架空の街ですが、
これにはモデルとなった実際の街があります。

1957年、ペンシルベニア州レヴィットタウン、

白人の街に引っ越してきた黒人一家が、
地元の住民達に数々の嫌がらせを受けた事件が本作の元ネタとなっているそうです。

実際の事件を受けた黒人一家もマイヤーズ家、
映画はそのものズバリの名前を流用しています。

 

マイヤーズ家の周りに他の住民達が集まり大騒ぎしたり、
隣接する家に壁を作ったり、
陳情書を作成したり、
更には、南部連合の旗を掲げたり、
近隣の家にて十字架に火を点けたり、、、

全て実話です。

 

映画も、実際の事件も1950年代の話です。

しかし、本作が揶揄しているのは、明らかに現代の状況、
トランプ政権が掲げる「自分ファースト」主義なんですよね。

 

マイノリティが街に来る前は平和で良い場所だった。

あの頃を取り戻そうと訴え、
壁を築くと言ったり、
移民を排斥したり、

この排他主義的な様子が孕む欺瞞を描写しているのです。

「This is safe place」「It was」という予告篇で使われたセリフ、

訳すと「昔は良い場所だった」という意味でしょうか。

しかし、実際には、
昔は良い場所だったと懐かしんでいる連中が騒ぎに騒いで暴力事件を起こしているこの自己矛盾
お前らが騒いでいるから現在危ない場所になっているんだという間抜けな状況を描いているのですね。

 

  • 子供目線の悪夢

隣家で十字架を燃やしたというマイヤーズ家の事件。

この映画版の『サバービコン 仮面を被った街』でも、
隣家で十字架が燃えている、
その象徴の様なおぞましい事件が起きています。

 

強盗に侵入され、母を殺さされた少年ニッキー。

実際は父が仕組んだ殺人依頼だったこの事件。

しかし、
父も、共謀者の伯母も、
実行犯のならず者も、
保険調査員も、皆が皆行き当たりばったりに暴走して行き、

計画性というものは無く、
ただただ欲望に任せた様子がスラップスティックコメディの如くに、
ひたすら浅ましく描かれます

 

端で見ている分には笑えるこの状況、
しかし、当事者のニッキーには正に悪夢的です。

平和だった日常が、
一皮剥いた欲望により、途端に悪夢的状況へと急転直下する。

味方はおらず、
信用出来ない大人に囲まれ、日常が侵食されて行く様子がまざまざと見せつけられます。

 

その象徴的な存在が、ジュリアン・ムーア演じる、伯母のマーガレット。

実母のローズ共々、2役を演じていますが、
御年58歳のジュリアン・ムーアが、
13歳の少年の母親を演じるのは無理があります

何故敢えて、ジュリアン・ムーアが母親役をやったのでしょうか?

実際、
ジュリアン・ムーアがニッキーを
「My Angel」とか愛称で呼んでも、どこか嘘くさいというか、
胡散臭い感じが漂っています。

口先だけで言っている感バリバリで、
もう一目見て「母親では無い」感じしかしないんですね。

おそらくは、
建前だけでは隠せ得ぬ違和感、嘘くささ、
それを一目で表す為に、敢えて年齢的に違和感のあるジュリアン・ムーアを起用したのかな?と思います。

 

 

 

父と伯母の欲望の前では、邪魔者でしかない存在のニッキー。

彼は、自分と同じく、
街から邪魔者として排除されようとするマイヤーズ家のアンディ少年と交流します。

ニッキーの家も、
アンディの家も、

その家の表面は、
平和のメッキが剥がれて人の悪意に晒されて荒れ果ててしまいます。

しかし、両家が隣接するその裏庭側は、
相も変わらず平和な街の様子が保たれている。

 

一皮剥けば欲望と暴力だけしかない人間の醜さを描きながらも、
その奥には純粋に他者と交流出来る部分が残っている。

そういう希望を申し訳程度にも残してくれている所が、
最後の良心的な感じもする作品、
それが『サバービコン 仮面を被った街』です。

 

 

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