ニューヨーク。もうすぐ高級住宅街となる予定地の、ウエストサイド、マンハッタン。
そこで勢力争いをしている青年ギャング団、
ポーランド系の「ジェッツ」と、プエルトリコ系の「シャークス」。
お互い反目し合っているが、ダンスパーティーにて出会った、
「ジェッツ」リーダー・リフの親友トニーと、
「シャークス」リーダー・ベルナルドの妹マリアは一目惚れの恋に落ちる、、、
監督は、スティーヴン・スピルバーグ。
言わずと知れた巨匠。
監督作に
『激突!』(1971)
『ジョーズ』(1975)
『未知との遭遇』(1977)
『レイダース/失われたアーク』(1981)
『E.T』(1982)
『太陽の帝国』(1987)
『ジュラシック・パーク』(1993)
『シンドラーのリスト』(1993)
『プライベート・ライアン』(1998)
『ミュンヘン』(2005)
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017)
『レディ・プレイヤー1』(2018) 等がある。
出演は、
トニー:アンセル・エルゴート
マリア:レイチェル・ゼグラー
アニータ:アリアナ・デボーズ
ベルナルド:デビッド・アルバレス
リフ:マイク・ファイスト
チノ:ジョシュ・アンドレス
ヴァレンティナ:リタ・モレノ
シュランク警部補:コリー・ストール
クラプキ巡査:ブライアン・ダーシー・ジェームズ 他
SF映画から、実話ベースのサスペンス、
戦争映画、冒険アクション、
色んなジャンルのエンタメ映画を世に送る、
現代の巨匠スティーヴン・スピルバーグ。
今回手掛けるのは、
ミュージカル映画の傑作、
1957年にブロードウェイミュージカルで公開され、
1961年に映画化された『ウエスト・サイド物語』の
再映画化です。
正直に言いますと、
私は、1961年版の『ウエスト・サイド物語』を未鑑賞ですので、
作品の比較が出来ません。
故に、本作単独の感想となっている事を御了承下さい。
さて、
「巨匠」と呼ばれると、
何となく、動きづらいイメージがあります。
しかし、
普通は、中堅成功監督くらいが手掛ける、
「過去の映画作品のリメイク」というジャンルを、
キャリアの晩年にて、
臆面も無く、挑戦するというメンタリティに、
スティーヴン・スピルバーグが「巨匠」たる所以があります。
そのスティーヴン・スピルバーグが、
最新作として映画化したのが、
『ウエスト・サイド・ストーリー』。
『ウエスト・サイド物語』というミュージカルの再映画化です。
先ず印象に残るのが、
歌とダンスの圧倒的な躍動感。
オリジナル版を知らない自分でも、
何故か、何処かで聞いたことのあるナンバー、
「トゥナイト」
「アメリカ」
「マンボ」
「クール」
「マリア」等々、
あ、これ、
『ウエスト・サイド物語』の音楽だったんだ!
と、今回で気付かされました。
そして、
キャスト的には、無名の役者達ですが、
それは、
過去の名声よりも、
歌とダンスを重視したキャスティングであり、
そのダンスの躍動感たるや、
ほとばしる青春を体現したものと言えるでしょう。
そんな本作、
描かれるストーリーは、
まさしく、
青春の情熱と破滅です。
若い時にしか訪れない、
世の中に対する盲目的な、怒りと愛。
それこそ、
青春のほとばしりであり、
怖いもの知らずの無鉄砲さと、
何処へ向かうのかも分からない情熱。
その行き着く先の、
青春の終わり、その蹉跌までを描いているのです。
まぁ、
ぶっちゃけ、どういうストーリー展開になるのかは、
読めてしまいます。
しかし、
読めてしまうからこそ、
その避けられない結末に疾走する様子こそが、
青春映画の傑作と呼ばれる所以なのでしょう。
元々、
ブロードウェイミュージカル版が、
『ロミオとジュリエット』を元ネタにしている、
という点もありますし。
つまり、
本作はヒットの多重構造、
シェークスピアの名作『ロミオとジュリエット』、
それを元ネタにしたブロードウェイミュージカル、
『ウエスト・サイド物語』と、
その映画化作品、
それを今回、
巨匠スティーヴン・スピルバーグが、
再映画化したのが、
本作『ウエスト・サイド・ストーリー』なのです。
ただ、
好きな作品だから再映画化した訳ではありません。
ヒットさせる勝算があればこそであり、
その見識眼が、
流石、スティーヴン・スピルバーグと言った所です。
つまり、です。
本作は、オリジナル版を知らずとも、
単品でも、十分楽しめます。
でもなぁ、
オリジナル版を知っていたら、
どんな感覚だったんだろうな?って思いますね。
「昔と、全く同じじゃねぇか!?」と思うのでしょうか?
それとも、
「昔と同じでも、これはこれでアリ」なのでしょうか?
そんな雑念が無い分、
何も知らない、初見の方が楽しめるかもしれませんね。
そんなロマンス・ミュージカル映画、
それが『ウエスト・サイド・ストーリー』です。
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『ウエスト・サイド・ストーリー』のポイント
圧巻の躍動感、歌とダンス
青春の情熱と破滅
フラグビンビン!読めても面白いストーリー展開
以下、少しだけ語ります
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青春の破滅
本作『ウエスト・サイド・ストーリー』は、
『ウエスト・サイド物語』(1961)の再映画化作品。
そのストーリー的な元ネタは、
『ロミオとジュリエット』です。
故に、
ストーリー展開は、
ほぼ、全て読めてしまいます。
ですが、
ストーリーが読めるからつまらないのでは無く、
本作はむしろ逆で、
ストーリーが読めるからこそ、
その状況に陥る「フラグ」の発見が、
面白い作品との見方も、あるのではないでしょうか。
特に本作は、
大人が不在の作品です。
登場人物に影響を与え、
人生の警告をしてくれる大人が、
ほぼ、居ないのです。
唯一、
トニーが務める雑貨屋の、
ヴァレンティナがその役目ですが、
恋に盲目なトニーに影響され、
寧ろ、
トニーの様子に、
自らの過去を重ね合わせ、
応援している素振りすらあります。
それもそのハズ、
ヴァレンティナ役のリタ・モレノは、
オリジナル版の『ウエスト・サイド物語』にて、
アニータ役を演じていました。
メタ的な目線で話ますと、
リタ・モレノの過去とは、
アニータの破滅であり、
その円環として、
本作も、大人の不在が踏襲されているんですね。
さて、話を戻しますと、
警告する大人もおらず、
しかし、
反発する警官は居る。
しかも、舞台は、
取り壊され、
立ち退きも間近のマンハッタン。
行き場所の無い不満、不安、怒りを、
同じ境遇の移民にぶつけるという、
全く生産性の無い、無意味な行為。
大人なら、分別を持って、
状況を呑み込む場面ですが、
しかし、
青春真っ只中となれば、話は別。
盲目的な無鉄砲さの発散こそが、
青春の情熱と言え、
この見識の無さこそが、
逆に、人を惹きつけるのではないでしょうか。
そして、
この青春の情熱の盲目さは、
暴力だけで無く、
恋でもあるのです。
一目惚れの相手に、
盲目的に運命を感じる。
その瞬間は良くても、
大人なら、
状況を鑑みて、
「あ、無理だな」と思えば諦めますが、
その選択肢が無いのが、
青春たる所以です。
つまり青春とは、
「引く」事を知らない、
盲目的な無鉄砲さの発露なのです。
大人なら、賢く立ち回って、
回避するトラブル。
しかし、青春は、
己が失敗するとは露とも思わず、
無鉄砲に突っ走り、
その結果、破滅する運命にあるのです。
しかし、
我々は、それを笑えず、
むしろ、惹きつけられます。
それは、過去の自分であり、
現在は、
「引く」事を覚えて、
それは賢い立ち回りと言えますが、
言い換えると、
状況からの「逃げ」「敗北」であり、
「破滅」すると知らずに、
又は、分かっていても、
それに突っ走る蛮勇さに、
自分の失った過去への郷愁を見出してしまうのではないでしょうか。
老若男女を惹きつける青春の物語、
それが本作、
『ウエスト・サイド・ストーリー』なのです。
オリジナル版の『ウエスト・サイド物語』(1961)は、コチラ
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