エス・エフ小説『最後にして最初のアイドル』草野原々(著)感想  ラノベ meets 王道SF!?これが最強のフュージョンだ!?

 

 

 

古月みかはアイドル好き。好きが転じて自らがアイドルにならんと欲し、上京する。しかし、アイドル事務所にトンズラされて二進も三進もいかず自殺。その生涯を終えるのだが、、、

 

 

 

 

著者は草野原々
『最後にして最初のアイドル』にて第4回ハヤカワSFコンテストにて特別賞を受賞。
さらには第48回星雲賞の日本短編部門を受賞。

本書が初書籍である。

 

本書『最後にして最初のアイドル』は

ラノベです。

 

それでいて

ガチのSFでもあります。

 

元々SFとラノベはその境界が曖昧で、むしろジャンルとして被っている部分が多いです。

それでも「SFじゃなきゃヤダ、ラノベは読みたくない」
という人が多数いると思いますが、
そういう人が読んでも

あまりの面白さに黙らせる地力があります。

 

著者本人は自著の事を

実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF

 

だと、なんのこっちゃの例えで表現しています。

読み始めると「あぁ、ラノベね」と、いつものヤツだなと思います。

しかし、これがイキナリ

急転直下、宇宙まで行ったと思ったら、
さらに時空を遙かに飛び越えて驀進してゆきます。

 

とっかかりはラノベ風のキャラと設定。

アイドル、ソシャゲ、声優と、

昨今のオタク文化をネタにしていますが、これをガチのSFネタと融合させているのです。

 

これが、開いた口が塞がらない面白さというか、

駄法螺を臆面も無く披露して見せるSFの本質的な面白さに満ちているのです。

 

オタク文化を作品として語るものは数あれど、
これほどSFに全うに取り組んだ小説は今まで無かったと言えます。

今、同時代にこれを読み、そして新たな可能性をも見せつけてくる必見の名作、それが『最後にして最初のアイドル』なのです。

 

 

  • 『最後にして最初のアイドル』のポイント

現代のオタク文化を表象する同時代性

ラノベ的設定で語るワイドスクリーンバロックの面白さ

物怖じしない意外性と急展開

 

 

以下、内容に触れた感想となっています

 


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  • なんのこっちゃの用語解説

著者、草野原々は自著「最後にして最初のアイドル」の事を「実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF」と言っています。

…意味が分かりませんね。

しかし、作品を読んでみると「ほ~、成程」と思わなくも無いです。

なので、よく分からないものは単語に分解し、ちょいと調べて分かった気になっちゃいましょう。

実存主義
wikipediaを参考にすると、
「人間の実存を哲学の中心におく思想的立場」と書かれています。

「分かりやすい例えとして スプーンは食べ物をすくう為の物という目的(本質)が先にあり、そこから人の手によって作られる(実存)することによって存在する。 しかし人間は実存が先にあり、本質は自分の手で選びとっていかなければならないとした思想である。」(wikipediaの「実存主義」の項より抜粋)

哲学用語なので、にわかには説明し辛いです。


ワイドスクリーンバロック
Wikipedia等を参照にしますと、元々はブライアン・W・オールディスが、チャールズ・L・ハーネスの『パラドックス・メン』を評して言った言葉だそうです。

その定義をざっくり言うと
時間や空間に囚われず縦横無尽に飛び回り、奇想天外でスケールの大きい謎や陰謀とドラマチックな展開が待つ物語」と言えます。

主な作品として、
『非Aの世界』A・E・ヴァンヴォークト
『カエアンの聖衣』バリントン・J・ベイリー
『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット
虎よ、虎よ!』アルフレッド・ベスター
『天元突破グレンラガン』(アニメ作品)
等があげられます。


百合
ここで言う「百合」はお花の事では無く、女性同士の恋愛や、それに近い友情や関係を表す状態、またはそれを含む作品の事を言っています。

オタク男子の視点としては、別に女性同士の恋愛が好きなのでは無く、
可愛い子同士がキャッキャウフフしているのを楽しんでいるだけだったり、
疑似恋愛の対象であるアイドルやアニメキャラが、作中であっても男性と交わる事に耐えられない人間が逃げ込む思想的防波堤の役割を果たしています。

プロレタリアート
資本主義における賃金労働者階級の事を言います。
雇用側である資本家(ブルジョワジー)の対になる言葉。

今風に言うと「社畜」ですかね。

アイドル
元々の意味は「偶像」。

これが転じて、日本にて芸能活動をする「触れ得ぬ崇拝と愛の対象」とでも言いますか。
自己のみでは存在し得ず、ファンと共にムーブメントを作り上げてゆく文化的・社会的存在とも言えます。

ハードSF
科学的理論や知見、設定を多く作品に取り入れているSF

ストーリーの根幹をなす部分に科学的解釈が寄り添い、問題の解決やオチに繋がっています。

科学的厳密さが求められる反面、
疑似科学であっても、その理論を積み上げればハードSFと見做される部分もあります。

 

  • 収録作品解説

本書『最後にして最初のアイドル』は中篇3篇からなる作品集です。

簡単に解説をしてみます。

最後にして最初のアイドル
出だしは「よくあるラノベSFか、、、」という箸にも棒にもかからぬ印象を受けます。

しかし、死亡した親友を嬉々として解体する新園眞織に「ん?」と思う辺りから雲行きが怪しくなり、物語は徐々に狂気とSF度を増して行きます

太陽フレア、環境適応生物、人体改造などのSF好きなら食い付かずにはいられないネタをぶち込み、あれよあれよと黙示録と創世記が訪れます。

段階型のロケットが点火されてゆくが如くにストーリーはエスカレート、めくるめく世界が転変してゆく様は正にSF

エヴォリューションがーるず
これ、『けものフレンズ』だろ?と思ったら、解説にもそう書いてありました。

「けもフレ」的なソシャゲガチャの世界という設定だが、そのゲームデザインは『46億年物語』を彷彿とさせます。
ラノベ界で全盛の「異世界転生モノ」でもありますね。


暗黒声優

「声優」という職業名で能力を説明していますが、これを「サイキッカー」とか「超能力者」とかに代えるとあら不思議、
本作が王道的ダーク・ヒーローのアドベンチャーSFだと分かります。

エーテルとかいうホラ話を駆使し、
地球崩壊から宇宙航行、物理学の秘密まで説明せんとする力技こそ面白い作品です。

 

読めば分かる、どの作品も「実存主義的ワイドスクリーン百合バロックプロレタリアートアイドルハードSF」という言葉に納得です。

 

  • ポスト「ポスト伊藤計劃」

2007~2009年という短い活動期間で鮮烈な作品を遺した伊藤計劃。

早逝した天才とキャラ付けられ、生前よりもむしろ死後更にクローズアップされた部分があります。

そして、伊藤計劃死後の何年にも亘って、出版されるSF作品や新人作家に
ポスト伊藤計劃
伊藤計劃以降
伊藤計劃以後
という冠を付けて売り出され続けていました。

商売として、有名な人間を利用して読者を「釣る」のは間違っていません。

しかし、「伊藤計劃」と冠された作品が内容も面白さも伊藤計劃を超えるモノでなかった場合、その煽り文句が課せられ売られる作品を、以降読まなくなってしまいます

比べられるなら、面白さを超えていて欲しい。
冠を付けられた挙句「伊藤計劃以下」なら読む必要は無いのです。
(何故なら、伊藤計劃を読めばいいから)

ここ数年、そういう理由で「伊藤計劃」売りしていたSFを回避してゆく事になった人も中にはいるでしょう。

しかし遂に、「伊藤計劃以降」という言説から作品を断絶する存在がここに誕生しました

それが『最後にして最初のアイドル』なのです。

本作はオタク文化をネタにしつつ、その本質はワイドスクリーンバロックを基調としています

自己の内面、存在そのものと社会の関わりを問うた伊藤計劃の作品とは、比べようにも比べられない作風なのです。

先日紹介した石川宗生(著)『半分世界』と同様、
SF界隈から伊藤計劃の作風とは全く異なる面白い作品が発掘された事に本作の意義があります。

ここから漸く、伊藤計劃の軛から逃れた、真の「ポスト伊藤計劃」が始まるのだと思います。

社会性重視のSF
展開とガジェットを駆使するSF
物語の騙りを追求するSF
これら様々なジャンルが並び立つ事が、SFの面白さであり、作品の方向性が多様に存在する事がSFの発展に繋がるものだと願っています

 

  • 若さとは傲慢なもの

『最後にして最初のアイドル』の収録作は、どの作品も展開のテンポが良く、過激な表現を物怖じせず使用しています。

具体的に言うと、人体の損壊、改造や殺傷にためらいがありません。

どことなく友成純一の作品を彷彿とさせます。

他人に対する容赦の無さ、
この無邪気さというか、他人の痛みに対する共感性の欠如というのは、若さ故に持ち得る傲慢さ故でしょう。

(と、『範馬刃牙』にて猪狩完至も言っています)

以降の作品で表現がマイルドになるのか?
それとも友成純一の如く臓物博覧会を続けて行くのか?

その辺りに注目するのも面白いでしょう。

 

 

オタク文化をネタとした作品にラノベ的文体とSF設定を投入する。

そういう作品は数あれど、SF濃度がここまで高い作品は今までありませんでした。

確かに、今まではオタク濃度やラノベ濃度が濃い作品ばかで、何故今までこういう作品がでなかったのか?
気付けばコロンブスの卵的な驚きがあります。

これは作品の面白さが支える評価ですが、しかし、このバランスが崩れれば、一瞬で単なるオタク本に変じてしまう可能性もあります。

今後どの様な道を、著者・草野原々は歩むのか?

SFの今後の展開と共に、期待して見て行きたい。

 

 


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さて次回は、展開を期待して待つといえば「ダーク・タワー」!!『ダーク・タワーⅥ スザンナの歌』について語りたい。