1000戸40階建ての高層住宅。口には出さねども住民の間には上層、中層、下層で階級意識があった。とある停電の夜、プールに飼い犬の死骸があがる。その事件を契機に建物内の不穏な空気が加速してゆく、、、
J・G・バラードはイギリスを代表する作家。本作は1975年発表の作品。『クラッシュ』や『コンクリート・アイランド』と並び「テクノロジー三部作」と言われている。
本作は建物内部での階級意識が対抗意識とすり替わり、それが暴走し欲望が加速してゆく様を描いている。
一皮むいた人間の愚かさをまざまざと見せられる
恐怖と、自戒を持ちつつ、このある種の滑稽さを楽しんで頂きたい。
以下ネタバレあり
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ツッコんではいけない
「とりあえず警察よべや」とかツッコんではいけない。なぜならこれは縄張り争いなのだから。
階層毎の階級意識が対抗意識に転化する。暴力が表出して、エスカレートしていく。一つの契機が雪崩の様に徐々に大きな災厄を招いてゆく。
プールでの犬の溺死、そして住民の飛び降り?が契機となり箍が外れる。お互いが「ヤロウやりやがった」と思い、無差別的な報復行為が連鎖してゆく。これは、自らの生存権の優位性を主張する縄張り争いのなれの果てなのだ。
だからこそ、自らの力だけで勝ち取る。外の力たる警察の力は借りないのだ。そして、生存権を主張するため、あえて食料も建物内部での供給に拘る。外から食料を持ち込んだり、外に食べに行くことをしない。内部でのサバイバルで生き残ってこその優位性なのだ。
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闘争の三段階
初期は散発的な嫌がらせと報復の繰り返しである。何かが起こることを期待していた住民達は、犬の溺死をここぞとばかりに理由に設定し、相手側への攻撃を開始した。不満をぶつける対象を見つけた事、そしてその対象を攻撃する事が無上の楽しみなのだ。
中期は派閥形成である。集団を作り、力を示し、防御を固める。この段階で仕事などの外部社会との接点が途切れ、一般的な社会的倫理から逸脱してゆく。リーダー的存在を持ち、組織立って動く様になり、建物内部での抗争、襲撃へと向かってゆく。
後期は生存本能の段階である。どの階層も、建物の支配権を握る事は不可能であると気づき、侵略や強権の象徴たるリーダーを廃し、生存に特化した集団へと向かう。
物語はこの段階で終わるが、最終的に食料が枯渇した時、建物内部世界はどういう道へと進むのであろうか。
欲望が摩滅し、元どおりになる?
生存欲求を失い、緩やかな死へと向かう?
最後の一人になるまでサバイバルが続く?
それとも、想像もしない新たな秩序が生まれるのだろうか?
この社会的秩序の崩壊、暴走する欲望の表出こそが、J・G・バラードの面目躍如たるゆえんである。
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さて、次回は、とある男の生存というか、人生の後語り『風の名前』(1巻)について語ってみたい。