エス・エフ小説『宇宙船ビーグル号の冒険』A・E・ヴァン・ヴォークト(著)  脅威に立ち向かう力はチームワークと権力闘争!?

 

 

 

宇宙船ビーグル号、人類未到の銀河へ向け冒険する乗組員を1000人乗せている。ビーグル号はとある惑星に着陸した。それを見つめる猫型生物・ケアル。ケアルは生命の息吹に誘われ姿を現わし、まばたきしない目で二足歩行の生物を見つめていた、、、

 

 

 

著者はA・E・ヴァン・ヴォークト。代表作に
『スラン』
『非Aの世界』
『非Aの傀儡』
『イシャーの武器店』
『武器製造業者』等がある。

 

本作『宇宙船ビーグル号の冒険』は、連作中篇集。

宇宙において未知の敵対生命に出会う様が描かれている。

 

しかし、敵は外にいるだけではない。

宇宙船内の権力闘争も繰り広げられる。

 

とは言え、基本は「未知との遭遇&バトル」。

人間と宇宙生物の鎬合いを楽しめる。

 

やはり、SFは理論をこねくり回すだけではなく、冒険して欲しいという人にうってつけ。

正にSFと言った感のある直球の面白さだ。

 

 

以下ネタバレあり


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  • とにかくぶっ殺せ!!

異星生物と出会ったらどうするか?

まずは対話を試みるのが一般的だろう。

しかし、本書『宇宙船ビーグル号の冒険』は違う。
とりあえず捕まえるが、それは実験の対象としてのサンプルの意味合いしかない。

意思の疎通などは試みない。
そして危なくなったら「ヤベェ!ぶっ殺せ!」というノリである。

もう完全にマッチョ主義。
何しろ女性は一人もいない。
乗組員は科学者と軍人のみ。
この偏った人種設定と短絡的思考が如何にもアメリカンな感じだ。

 

  • 魅力的な敵対生命

なんだ、お馬鹿なノリか、と思われるかも知れない。
確かにそうだ。

しかし、本書『宇宙船ビーグル号の冒険』は面白い。

その面白さの根源は敵対する宇宙生命が手強く、魅力的な点だろう。

宇宙生命の「ケアル」や「イクストル」はただ狩られるだけの獲物ではない。
その驚異の身体能力を以て、人間を自らの「エサ」と見る。
そして、独自の思考力にて人間に敵対する。
その様子がちゃんと「宇宙生命視点」でも描かれるのがいいのだ。

対する「ビーグル号」の面々はチームワークで対抗する。

強大な単騎の力に量でもって対抗するその対比が面白い。

 

  • 謎の総合科学?

宇宙生命視点に対し、人間視点の中心となるのが総合科学者のグローヴナーである。

「宇宙船ビーグル号」には多数の科学者が乗船している。
しかし、単独の科学では視野狭窄に陥る為、各部門を橋渡しして、総合的に物事に当たるのが「総合科学(ネクシャリズム)」である。

分かり易く言うと、「催眠を使った学習法によって広範な知識を治めた科学」である。

このグローヴナーの「宇宙船ビーグル号」でのもう一つの闘い、「権力闘争」がまた笑える。

俺の意に添わないヤツは全員洗脳だ!!」とばかりに手段を選ばない。

「目的が手段を正当化する」という危険な思考だ。
だが、信念に裏打ちされた断固たる措置は確かに強力だ。
作中にもこう言及されている。

「知識や情報を完備したとことで、それだけでは充分ではない。また自分がどんなに正しくても、それだけでは不足だった。人間というものは、説得し、確信させてやる必要があるのだ。そんなことに時間を費やしていると危険な場合もある。いくらやっても説得できないこともある。文明が崩壊し、戦いに敗れ、船が沈む――すべてそのためだった。りっぱな解決法を持っている人々が、ほかの連中を説得するという根気のいる儀式を怠ったがためなのだ。」(p.236~237より抜粋)

グローヴナーは面倒な手段をスッ飛ばす。
この倫理を越えた合理主義は、最早既存の人類をも越えている。
ある意味、新たな宇宙生命であり、「宇宙船ビーグル号」も獅子身中の虫には敵わなかったとも言えるのだ。

 

 

宇宙生命VS人類。
分かり易い構図だが、だからこそ面白い。
ストレートなSFである。

 

 


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さて次回は『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺跡群』とからめて「世界遺産とは何か?」について解説してみたい。