緊急救命医のポール・カージーは、妻と娘との3人暮らし。自慢の娘は大学入学を控えている。ポールの誕生日、急な仕事が入ったポールの為にケーキを作ろうとしていた妻と娘の居る家に、押し込み強盗が侵入して、、、
監督はイーライ・ロス。
今年は『ルイスと不思議の時計』に続いて、
二週連続で自身の監督最新作が公開される事になった。
監督作に
『キャビン・フィーバー』(2003)
『ホステル』(2005)
『ホステル2』(2007)
『グリーン・インフェルノ』(2013)
『ノック・ノック』(2015)
『ルイスと不思議の時計』(2018)がある。
出演に
ポール・カージー:ブルース・ウィリス
他、
エリザベス・シュー、カミラ・モローネ、ヴィンセント・ドノフリオ 他。
「俺達のブルースが帰って来た!!」
との惹句が踊る『デス・ウィッシュ』。
ブルース・ウィリスと言えば、
80年代~90年代に隆盛を極めた、
ハリウッドのマッチョ的アクション映画の担い手の一人として活躍した張本人です。
ならば本作も、
あの頃の、何も考えずに観る事が出来る、
単純明快なアクション作品なのかな?
と思ってしまいます。
しかし、然に非ず。
本作は、現代的なアクションの系統の作品。
つまり、
単に何も考えずにスカッと楽しめる作品というより、
テーマに添った流れを持つ作品となっています。
自分の誕生日に、
自宅に強盗に入られ、家族が被害に遭ったポール。
彼は、家族を守れなかった鬱屈を抱え、
夜の町を彷徨います。
そして、たまたま、自動車強盗の現場に居合わせ、
その強盗を射殺、
その様子が動画サイトで拡散されてしまいます、、、
単純に、
一人の男の復讐劇として観る事も出来ますが、
しかし、
本作のテーマとして、
暴力に対して、
暴力で対抗する事の是非を問う
という事に着目した方が、
より楽しめると思います。
ただ復活するだけでは、意味が無い。
現代的なテーマに添って、
現代に受け入れられる面白さを持ったアクション映画。
俺達のブルースが、
さらに進化して帰ってきた!
と、言えるかもしれない作品、
それが『デス・ウィッシュ』なのです。
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『デス・ウィッシュ』のポイント
暴力に対して、暴力で対抗する事の是非
挫折から這い上がるという事
物事の二面性
以下、内容に触れた感想となっております
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暴力の是非を問う
本作『デス・ウィッシュ』の監督はイーライ・ロス。
アクション映画を撮るのは本作が初です。
とは言え、
『ホステル』や
『グリーン・インフェルノ』、
『ノック・ノック』といった作品は、
いずれもサスペンス・スリラーでありながら、
静的な面白さというより、
怒濤の展開の動的な面白さを持った作品でした。
なので、
初のアクション映画と言っても、
なんの違和感も無い面白さを提供しています。
というよりも、
むしろと言うか、やはりと言うか、
イーライ・ロス監督らしい、
テーマに一癖のある作品となっています。
妻を強盗に殺され、
娘は集中治療室から出られない状況。
ポールは、
そんな現実から逃げるように、
町を彷徨う日々。
ある日、
チンピラに絡まれている女性を助けますが、
速攻でしばかれてしまいます。
そんなポールは、
力の無い者でも強者を殺せる銃に着目し、
動画を漁り初めます。
銃を手に入れたポールは、
外科医の器用さと真面目さで、
銃の扱いを練習、
そして、ある夜、
たまたま出会った自動車強盗を射殺します。
それはまるで、
「強盗」に対する復讐の代替行為。
ですが、
冷酷に相手を殺すその様子を、
野次馬がスマホで撮影しており、
それをネットの動画サイトにアップロード。
たちまち拡散され、
シカゴの町は騒然とします。
悪党に鉄槌を下した謎の男、
「死神」(Grim Reaper)とあだ名されたポールの行為の是非を、ラジオやTVは問いかけます、、、
本作はハリウッドのアクション映画。
なので、
単純に、虐げられた者の復讐劇としての側面に着目して、
スカッとしたオチのある作品として観る事も確かに出来ます。
しかし本作は、
ポールが精神の均衡を崩し、「死神」となるに至る経緯を丹念に描き、
そして、
「死神」の自警団的な行為(Vigilante)の是非を問うシーンを、しつこい位に挿入しています。
つまり、
ハリウッド・アクション映画でありながら、
そのアクション映画の本質自体に疑問を投げかける作品であるのです。
それは即ち、
「暴力に対して、暴力で対抗して良いものなのか?」
という事に尽きます。
物語自体は、
ポールが復讐を完遂するまでを描き、
カタルシスを感じる、スッキリとした終わり方をしています。
シカゴの警察も、
ポールが「死神」だと確信しつつも、
その行為を咎める事なく終わります。
しかし、この展開は一方で、
作中のテーマを回収せず、
観客自身に暴力行為の是非を問いかける終わり方とも言えるのです。
妻の葬儀の際、
義父と再開したポールは、
彼が、密猟者に銃をぶっ放す場面に立ち会います。
義父は言います、
「警察は、事後にやって来る。自分の身を守るのは、自分しかいない」と。
こういった、
相手の暴力行為に対し、
さらなる暴力を背景とした過剰なまでのカウンターを行使する、
これこそ、
アメリカ的なメンタリティの根源であり、
本作の象徴的なシーンであるとも言えるものです。
暴力に対して、暴力で対抗する事。
これを許すとリンチが横行し、
秩序と治安が崩れてしまいます。
それを防ぐ為に、
「法」が存在し、その執行官としての「警察」が居るのです。
しかし、
実際に自分が被害に遭った時、
大人しく他人に任せ、
泣き寝入りの日々を送るのか?
それとも、
社会に混乱を起こす事を自覚しつつも、
自己責任の下に、自ら行動を起こすのか?
法治国家に住まう我々にとっても、
他人事では無いテーマであり、
普段、自覚しないこの様な事柄を考える契機となる、
『デス・ウィッシュ』には、そういった側面が確かにある作品です。
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二面性を描いた作品
本作『デス・ウィッシュ』のもう一つの面白い着目点に、
物事の二面性を捉えた部分があります。
まず、
ポールは仕事では「外科医」でありながら、
私生活では悪党を処刑する「死神」として活動しています。
冒頭の場面、
撃たれた警察を救えず、
しかし、
撃った重傷の犯人を救うのに全力を尽くすという職業倫理を見せます。
患者が悪でも、
職業意識として、その人権を尊重しているのですね。
しかし、それが私的な事、
強盗事件に見舞われてからは、
私生活にて悪人を殺し、
強盗に対する制裁の代替行為に精を出す日々を送ります。
相手が悪というだけで、
法を犯してまで、私的な恨みを晴らす為の手段にしているのです。
また、「死神」にも二面性があります。
死神を見た人間、
ラジオやTVのリポーターも、
死神は、世の中の悪に対して正義の鉄槌を下す「自警団」(Vigilante)だと認識しています。
しかし、
ポール自身の目線から見ると、
死神の行為は、
強盗に対して恨みを晴らす代替行為、
即ち、「復讐」(revenge)であるのです。
客観的には正義の行為でも、
主観的には恨みの行為なのです。
(実際の強盗の実行犯に対しては、正統な復讐という意味合いを持つ「avenge」であるとも言えますが)
また、ポールの生活の二面性は、
その部屋の様子にも表われています。
職場や、居間といった、
人の目が触れる場所は整理整頓が行き届いています。
しかし、
強盗後に引きこもった私生活の拠点の地下室は、
混沌極まる汚部屋となっています。
そして、
『デス・ウィッシュ』という作品自体が、
アクション映画でありながら、
暴力に疑問を投げかける作品でもあるのです。
そういう作品中の対称性に着目するのも、
面白いものだと思います。
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ちょこっと言わせて!!
さて、『デス・ウィッシュ』について、ちょこっと言いたい事があります。
いや、作品自体には文句はありませんよ。
しかし、
予告編で良いシーンを観せ過ぎだと思います。
特に、
クライマックスの銃を仕込んだ机で逆転するシーンを予告に入れたのは、
もの凄くガッカリです。
また、ラストシーンも予告に入れてるじゃないですか!!
流石に、やり過ぎですね。
…あと、
銃と言えば、
銃を売っている店員のベサニーの笑い方が下品で面白かったですね。
「ガハハハハ、ブヒッ」って、
デブの笑い方ですよ!?
あと、格好がエロいのが良いですね。
銃を買いに来た客を、
エロで釣っている感があるのがまた、笑えます。
簡単に、フランクに銃を買える辺りに、
アメリカ社会の闇を見る事が出来る、
興味深く、ユーモアのあるシーンです。
単に、復讐劇としても、
スカッと楽しめる本作。
しかし、
作品に内包されたテーマ、
アクション映画でありながら、
その暴力性自体に疑問を投げかけ、
客観と主観における立場の二面性を描写しています。
「法」の下に生きる我々としても、
決して他人事では済まされない、
暴力の是非について語った作品、
それが『デス・ウィッシュ』なのです。
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