遂に王者を倒し、ヘビー級のチャンピオンになったアドニス・クリード。ビアンカにもプロポーズし、公私ともに充実していた。そんな折、かつて、試合で父のアポロを殺し、ロッキーとも死闘を演じたドラゴが、その息子ヴィクターを連れて米国にやって来る。そして、チャンピオンに挑戦状を叩き付けるのだが、、、
監督はスティーヴン・ケイプル・Jr.。
長篇映画の初監督作は『The Land』(2016)。
本作は、長篇映画監督作品2作目である。
出演は
アドニス・クリード:マイケル・B・ジョーダン
ロッキー・バルボア:シルヴェスター・スタローン
ビアンカ:テッサ・トンプソン
イワン・ドラゴ:ドルフ・ラングレン
ヴィクター・ドラゴ:フロリアン・”ビッグ・ナスティ”・ムンテアヌ 他
初代『ロッキー』(1976)から、
2、3、4、5、ファイナルまで続いた「ロッキー」シリーズ。
その「ロッキー」シリーズの世界観を継承するスピンオフ作品として制作されたのが、
前作『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)。
本作はその続篇、
「クリード」としては2作目、
「ロッキー」シリーズから数えると8作目の作品です。
勿論、ボクシング物。
そして本作は、
「ロッキー」シリーズ最大のヒット作、
『ロッキー4/炎の友情』(1985)のアングルが導入されています。
(因みに「アングル」とは、プロレス用語で、「試合を盛り上げる為に、リング以外の場所で仕掛けられる段取りや筋書きの事」です)
本作単品でも観賞可能ですが、
やはり、「ロッキー4」を観ていると、より楽しめるのは間違いありません。
ロッキーの経営するレストラン「エイドリアンズ」にやって来たドラゴ。
彼はロッキーに
「お前に負けて、祖国も、名誉も、妻も失った」
と、恨み節。
そしてドラゴは、息子がお前の愛弟子を倒すと宣言し去って行く。
一方のアドニスは、
「父を殺された」という私情、
そして、プロモーターの口車に乗せられ、挑戦を受ける事になる。
試合の無意味さを説くロッキー、
彼はセコンドには付けないとアドニスに告げる。
そして、
ロッキー無しでヴィクターとの試合にアドニスは臨むのだが、、、
本作は、
その基本として『ロッキー4/炎の友情』をストーリーの下敷きにしています。
そしてそれに
親と子の関係性を加える事で、
ストーリー、テーマに深みを持たせています。
作中、
プロモーターはアドニスに問います。
「お前はヘビー級のチャンピオンを何人言える?」
つまり、
記録に残るだけでは駄目だ、
記憶に残る試合を行ってこそ、真に尊敬される、
そして、
父アポロ、ロッキーはそうだった、と言うのです。
その口車に乗る、アドニス。
彼だけではありません。
本作を観る観客も、
その「アングル」を楽しみ、期待しているのです。
しかし、
それだけではありません。
そこに「親子関係」を導入する事で、
ストーリーに深みをもたらしています。
その観点が、
意外と言えば失礼ですが、
試合そのものに勝るとも劣らず、
映画的には面白い部分となっているのです。
単に、ボクシングでウェイ!
みたいな軽いノリではありません。
しっかりとしたドラマ部分も楽しめる。
こういう生真面目な作りが、
長くシリーズを続ける為には重要なのでしょう。
ボクシング試合のド迫力、
それに加え、親子関係というテーマも考えさせられる、
『クリード 炎の宿敵』は、
パッと見の印象とは違う、
老若男女が楽しめる作品と仕上がっているのです。
-
『クリード 炎の宿敵』のポイント
『ロッキー4 炎の友情』の因縁
筋肉モリモリ!ボクシングの迫力!
親子関係
以下、内容に触れた感想となっております
スポンサーリンク
-
父親の物語
本作『クリード 炎の宿敵』のテーマは明確です。
ストーリーは「ロッキー4」そのままですが、
テーマとして扱っているのは「親子関係」です。
これは、前作から続くものであり、
本作でもそれを丁寧に描いています。
アポロの息子として、
自身のアイデンティティを確立せんとした前作『クリード チャンプを継ぐ者』。
本作では、
アドニスは、自身が「父親」となります。
子供目線では、
親というものは、産まれた時から「親」です。
しかし、
親目線から見ると、
その大半の人間が、
親となる「覚悟」や「準備」が不十分なままに、
ある日突然、その責任を背負い込む事になります。
謂わば、
親は、
子供の存在により、親に成るのです。
本作では、
子供に直面したアドニスの戸惑い、奮闘が丁寧に描かれています。
親を仰ぎ見るのと、
親に成るというのは、天と地ほども違います。
アドニスの、その子育ての戸惑い、
それが、
チャンピオンを目指すという事と、
チャンピオンであるという事、
そのメンタリティの違いと対比されているのが面白いです。
また、
親子関係という観点では、
ロッキーも、それに悩んでいます。
ロッキーの悩みは、
アドニスと違う、晩年の男のもの。
息子と関係性がギクシャクしている男が、
連絡する事すら躊躇している様子が、
哀愁たっぷりに描かれます。
「ロッキー」シリーズでは、
「5」「ファイナル」にて、
息子ロバートと間に、隔たりの様なものが描写されます。
それは、
まるでスライ自身の私生活での息子との悩み、そのままを描いているかの様です。
(「スライ」とは、シルヴェスター・スタローンの事。共演者が、親愛の情を込めてシルヴェスター・スタローンをこう呼ぶので、本ページでも、勝手にこの呼び方をしてみます)
作中で、
ロッキーはアドニスに言います。
「人生を考えて生きろ」
「スマートに立ち回れ」
しかし、
逆にアドニスに「あんた自身は、考えて生きたのか?」
そう言われて、言葉につまります。
ロッキー自身、
後の事を考えずに、その場その時にボクシングのみに打ち込んだ。
だからこそ、今のうらぶれた自分があり、
アドニスにはそう成って欲しくない。
だからこその年長者の警告なのですが、
若いアドニスには、それが届きません。
息子の様に愛するアドニス、
そして、実の息子とは音信不通。
いま一歩、
自分の思いが届けられない、
その一歩を踏み出す事の難しさ、
歳をとったからこそ、
若い人間と、観点の違いに悩み、勝手に自重してしまう、
その様子が描かれています。
しかし、作中での
ロッキーとアドニス、
ロッキーとロバートの様に、
一歩踏み出せば、また関係性が快復するかもしれない。
必ずしも上手く行くわけではありませんが、
その勇気と行動が、
時には必要なのかもしれません。
-
ドラゴも父親
本作では「父の世代での因縁」をストーリー展開で導入しています。
その象徴が、
「ロッキー4」で敵役だったドラゴです。
父ドラゴであるイワンと、
息子ヴィクターの関係、
これも、本作の「親子関係」というテーマを背負ったものです。
「ロッキー4」ではマシーンの様な冷徹さを見せたイワン。
ヴィクターを鍛えるシーン、
ロッキーとの再会シーンでは、
無口だったドラゴが喋ったら、こう言うだろうな、
そんなイメージそのままの、厳しさを見せます。
しかし、
息子の祝賀会で、
自分を捨てたロシアの高官に向かって愛想笑いを浮かべる様子、
勝利を重ねる息子を誇らしげに眺める様子、
ヴィクターのトレーニングでミットを持ち、
ヴィクターのパンチで苦痛に顔を歪める様子、
「あのドラゴにも、人間的な感情があった」
観客は、彼の意外な一面を目撃します。
極めつきはクライマックス。
アドニス・クリードのパンチのラッシュを棒立ちで受けるヴィクターを目にし、
イワンはタオルを投入します。
タオルを投入する事の難しさ。
「ロッキー4」では、
アポロの試合でロッキーはタオル投入が出来ませんでした。
現実の格闘技で私の思い出に残っているのは、
2002年、K-1、
グランプリ開幕戦のアーネスト・ホースト V.S. ボブ・サップの試合。
ボブ・サップから2回のダウンを喰らい、
目蓋をカットし、ダメージが深いホースト。
リング際に登ったホーストのセコンド、ヨハン・ボスはタオルを手に構えていました。
その後、15秒、
ホーストはサップのラッシュを辛くも耐え抜きましたが、
コーナーを背に、ラウンドゴング直後にずり落ちました。
試合は1R終了時、
ドクター・ストップにてボブ・サップの勝利。
ホーストを「Mr.パーフェクト」とあだ名されるまで育て上げたヨハン・ボスはその瞬間、
ワセリンとタオルを床に叩き付けました。
傷が深く、ダメージが深刻でも、
試合に懸ける思い入れ、
本人の希望、感情、
様々な葛藤があり、
瞬時にタオルを投入する事は、それ程難しい。
しかし、
自身、ボクサーで、
負ける事の屈辱を知り尽くしていたイワンは、
タオルを投入します。
それは、ヴィクターの心が折れたのを知っていたから。
母に捨てられ、
それでも、母を意識せざるを得なかったヴィクター。
その母は、
父、イワンの時と同じ様に、
試合途中でヴィクターの元を去ります。
その現実を目にしたヴィクター、
そのヴィクターの心境に気付いたイワン。
イワンは勝利に執着するより、
心が折れたヴィクターを守る事を選択します。
当初は、自分の復讐の道具として、
息子を育てたかの様に見えたイワン。
しかし、
イワンがヴィクターをボクサーとして育てたのは、
自分が息子に教えられるのは、ボクシングしかなかったから、
単にそれだけなのです。
ロッキーに対する復讐は、
いわば、
ヴィクターの才能の後から付いて来た、降って湧いたオマケの様なもの。
厳しくても、
不器用でも、
彼なりの方法で息子を愛していた。
実は、
アドニスよりも、
ロバートよりも、
ある意味、
父との関係性という点で見ると、
ヴィクターが一番幸せなのかもしれません。
ラストシーン、
ヴィクターと共にロードワークをするイワン、
その姿に、二人の再起が見えるのは、
爽やかな感動すらあります。
-
母の物語
「ロッキー4」というアングルが導入されている関係上、
本作は父親が目立っています。
しかし、
勿論母親の存在も、
本作では大きく取り上げられています。
歌手として、
自立した女性をして、
自己を確立しているビアンカ。
突然、母となる葛藤、
そして、
妻として、夫とどう関わるのか、
その様子が描かれます。
アドニスを養子として育てた、
メアリー・アン・クリード。
アドニスを称する時、
キメ台詞的に「大人の男性」と発言し、
彼の自立を促します。
一見突き放した感じもしますが、
アドニスが苦しい時には、ロッキーを呼び寄せるなど、
冷静で的確な判断をも見せます。
正に理想の母、
どっしりとして、包容力のある、落ち着いた母を表現します。
そして、ルドミラ。
かつてのイワンの妻、ヴィクターの母は、
今はロシアの高官の妻となっています。
昔は腕力に、
今は権力に、
「パワー」に媚び、相手を乗り換える事に躊躇無い様子は、
女性が男性を道具として世渡りする場合の、
たくましい様子を描いているとも言えます。
三者三様の母の、
そして妻としての姿。
それも、本作で描かれる、印象的なテーマなのです。
-
「ロッキー4」を再生させた「クリード2」
『クリード 炎の宿敵』は、
その基本ストーリーは、
『ロッキー4 炎の友情』を下敷きとしています。
「ロッキー4」の公開は1985年。
ソ連のゴルバチョフ書記長のペレストロイカが始まったのも、奇しくも1985年。
とは言え、アメリカとソ連の冷戦は未だ続いていた時代です。
その時代を象徴するかの様に、
あからさまに「米国 V.S. ソ連」の構図を掲げた「ロッキー4」は、
興業的にはシリーズ最大のヒットを記録しつつ、
しかし、
批評家には、その安易さをこき下ろされた作品でもあります。
後にスライ自身も、こう語っています。
「東西冷戦を象徴するようなストーリーには、息苦しさがあった」と。
『ロッキー』ではアカデミー賞の作品賞を受賞し、
名実ともにスターの仲間入りを果たしたシルヴェスター・スタローン。
しかし、
その「ロッキー」シリーズ最大のヒット作である「4」は、
テーマ的には散々にこき下ろされた為に、
そう言わしめたのでしょう。
しかし、
「ロッキー4」は最大のヒット作であるのも頷けます。
何しろ、
アクションの迫力は、シリーズ随一。
それを支えたのは、
敵役のドラゴを演じた、ドルフ・ラングレンの異様な佇まいなのです。
デカい、強い、無口、不気味、
まるでロボットかマシーンの様なドラゴと、
アポロ、ロッキーが戦うシーンは、
まるで少年漫画の様な熱さがあります。
単純で、何が悪い?
軽薄の、何がいけない?
皆が知ったぶって批判しようが、
「ロッキー4」は面白い、それは事実なのです。
『クリード 炎の宿敵』は、
『ロッキー4 炎の友情』と、その展開は同じです。
ドラゴに挑んで、敗北して、死んだアポロ。
その仇を討つ、ロッキー。
それが「ロッキー4」。
一方の本作。
最初の試合にてヴィクターに完膚なきまでに叩きのめされるアドニス。
彼はその試合にて、
ボクシングへの情熱、
ロッキーとの絆、
その両方を失います。
いわば「ボクサー・クリード」の死を迎えるのです。
しかし再戦をするにあたって、
苛酷な環境で修行し、
鍛え上げる事で生まれ変わる、
そして、試合に勝つ。
アドニスは、一人で「ロッキー4」の
アポロとロッキーの両方の役をやった事になります。
再戦の前、
近代的なトレーニングを駆使するヴィクターは、
「ロッキー4」のドラゴを、
未開の地で修行し、敵地ロシアに乗り込むアドニスは、
「ロッキー4」のロッキーを、
再戦時、
米国時とは違って、派手な入場シーンとなるヴィクター、
そして、前回は短いラウンドで終わった試合が、
再戦では長丁場になる、
数え上げれば枚挙にいとまが無い位、
本作と「ロッキー4」の共通点は多いです。
これはつまり、
作った側も、
「ロッキー4」は、ある意味名作だったと、
その事をちゃんと理解しているのです。
だから、
そのストーリー展開は、
「ロッキー4」そのままの展開をなぞった。
しかし、
テーマ的に「東西冷戦」を扱った事を批判された「ロッキー4」に対し、
本作では「親子関係」を導入する事で、
ストーリー、テーマ的な深みを持たせています。
誰もが共感出来る、
誰もが覚えのある、
このテーマを扱う事で観客は親近感を得ます。
主役を応援したくなる親近感。
それは、
かつて「負け犬」を描いた、初代『ロッキー』でも沸き起こった感情。
世相を象徴し、
国威発揚的なストーリーだった「ロッキー4」。
芸術的な作品という一面を持つ映画というジャンルにおいて、
その大衆迎合、権力におもねる様な描写は、
唾棄すべき軽薄さに見えた事もまた、已むを得ない事なのです。
面白い作品でありながら、
批判され、バカにされた「ロッキー4」。
その「ロッキー4」を、ストーリーはそのままに、
親近感のある普遍的なテーマにて作り直した「クリード2」。
これはつまり、
『ロッキー4 炎の友情』を、
『クリード 炎の宿敵』にて再生させようとする試みであり、
即ち、
実はその試み自体が、
「ロッキー4」のストーリー展開と同じであるのです。
無様に敗北した「ロッキー4」、
それを再戦である「クリード2」にて復活させる、
だからこそ、本作は「ロッキー4」と同じストーリーを採用し、
そして「ロッキー4」の再評価を促す、
そういう意図が込められている作品と、言えるのではないでしょうか。
-
「ロッキー」シリーズを継承する「クリード」
『クリード 炎の宿敵』は、
『ロッキー4 炎の友情』と対の作品。
それは間違いありません。
しかし、それだけでは無く、
「ロッキー」シリーズを観て来た人間なら、
ニヤリとする、様々な要素が詰め込まれているのです。
ヴィクターとの再戦の為に、
自らを鍛え直すアドニス。
セコンドのロッキーに連れられ、
アドニスは露営で、ハングリー精神剥き出しのボクシング場に連れて行かれます。
これは、
『ロッキー3』で、
アポロやデュークに連れられ、
ハングリー精神剥き出しのジムに連れて行かれた事とも重なります。
アドニスがヴィクターとの再戦を怖れるのも、
「3」でクラバー・ラングとの再戦を怖れ、
「I’m afraid」と心情を吐露したロッキーと重なる部分があります。
また、
ヴィクターの初戦を止めたロッキーの姿は、
クラバー・ラングとの試合を止めたミッキーの姿と重なります。
「ロッキー4」的なアングルの「クリード2」ですが、
一度敗北した相手と再戦する、
その恐怖と葛藤を描くという観点では、
「ロッキー3」の要素をも本作は多く含んでいるのです。
そして、
ボクシングのみではうだつが上がらず、
本意では無い肉体労働で日銭を稼ぐヴィクターの姿は、
初代『ロッキー』の、ロッキーの姿と被るものがあります。
ヴィクター目線から見たら、
自身のアメリカン・ドリームを実現させんとする、
「ロッキー1」「2」の展開でもあるのです。
キャストに目を向けると、
主要人物が過去作と同じなのは勿論、
ドラゴの元妻、ルドミラ役のブリジット・ニールセンは『ロッキー4 炎の友情』、
ロッキーの息子、ロバート役のマイロ・ヴィンティミリアは『ロッキー ザ・ファイナル』(2006)以来の出演となります。
細かい所ですが、
端役でも、シリーズ出演者をキッチリと踏襲している部分は、
観る方としては嬉しい所です。
「ロッキー4」をストーリーの下敷きとしながら、
そこに「親子関係」というテーマを加える事で、
「ロッキー4」自体を再生させんとした作品、
『クリード 炎の宿敵』。
ボクシング・アクション、
ストーリー、テーマの親近感、
「ロッキー4」の再評価を促す構成。
長く続いたシリーズだからこそ出来る展開、
色々な面白さが、
本作には込められているのです。
*現在公開中の新作映画作品をコチラのページで紹介しています。
クリックでページに飛びます。
本作の原点的作品、『ロッキー4 炎の友情』はコチラ
スポンサーリンク