バイトの途中、ジョンスはデパートの前で呼び込みをしている女の子に声を掛けられる。彼女はヘミ。幼馴染みだが、整形して可愛くなっている。ヘミは、アフリカ旅行すると言い、その間、猫の「ボイラー」の世話をしてくれとジョンスに頼む。しばらくして、アフリカから帰って来たヘミは、ある男性を連れていた、、、
監督はイ・チャンドン。
韓国出身。
監督作に
『グリーンフィッシュ』(1997)
『ペパーミント・キャンディ』(2000)
『オアシス』(2002)
『シークレット・サンシャイン』(2007)
『ポエトリー アグネスの詩』(2010)がある。
原作は村上春樹の短篇小説、『納屋を焼く』。
出演は、
イ・ジョンス:ユ・アイン
シン・ヘミ:チョン・ジョンソ
ベン:スティーブン・ユァン 他。
第71回カンヌ国際映画祭では、
『万引き家族』とパルム・ドールを争ったと言われ、
第91回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされている、
『バーニング 劇場版』。
本邦では、
先ず、NHKにて、短縮版がドラマ放映され、
その後、
完全版が劇場公開されるといった流れです。
アフリカから帰って来るヘミは、
ジョンスに空港に迎えに来るように頼みます。
ジョンスはヘミと再会しますが、そこには、
アフリカ旅行で知り合ったベンという男性もいました。
このベン、
特に仕事をしている様子も無いのに、
ポルシェに乗り、
良いマンションに住んでおり、
本人も「遊びが仕事」などと言っています。
幼馴染みのヘミの事が気になるジョンス。
しかし、
作家志望という彼も、
ベンとは真逆の意味で、碌な仕事に就いておらず、
「ギャッツビー」であるベンと自分の生活習慣の違いに、
何となく引け目がある様子。
ベンと付き合っているヘミは、彼を伴い、
田舎で一人過ごすジョンスの下に、度々訪ねて来ます。
その時の会話で、ベンは言います。
私の趣味はビニールハウスを焼く事だ、と、、、
本作、
わりと静かで、ゆっくりとした印象で、物語が続きます。
メインの登場人物である3人が、
打ち解けていないというか、
女性であるヘミを中心とした三角関係みたいなものが形成され、
ちょっと堅苦しい雰囲気となっています。
しかし、
その静謐な印象は表面だけ。
表面の薄皮、
その仮面の下には、それぞれの情念が渦巻いています。
本作は、
静かに進むストーリーの裏の、
その情念を感じ取るのがキモの作品となっているのです。
ハッキリ言うなら、
本作の内容は
まとめるならば1時間で終わる代物です。
それを、
二時間超の作品にした。
観客は、
その流れる時間感覚の中で、
嫌が応にも、彼等の表面の裏の顔を推測する事になるのです。
静謐な空気感でありながら、
しかし、
独特な緊張感が持続し、148分間飽きさせない、
それが『バーニング 劇場版』なのです。
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『バーニング 劇場版』のポイント
三角関係
ジョンスとベンの生活レベルの違い
仮面の下に潜む、情念
以下、内容に触れた感想となっております
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ジョンスとベン
本作『バーニング 劇場版』の主要登場人物は、
ジョンス、ヘミ、ベンの3人です。
整形で?可愛くなったヘミ。
幼馴染みのジョンスは、
そのヘミが気になっています。
しかし、
当のヘミは、
アフリカ旅行で知り合ったというベンと良い仲になってしまいます。
しかし、ヘミという女性を巡って、
ジョンスとベンは対立する訳でも無く、
しかし、
「友達の友達」的な微妙な距離感で、
反目してはいないけれど、仲が良くも無い、という関係を築いています。
本作で目に付くのは、
このジョンスとベンの生活レベル、キャラクターの違いです。
ジョンスは、作家志望のフリーター。
まぁ、
古今東西、作家志望とか、バンドマンとかは、
夢を追いかけている風の外面をしつつ、
しかし、
就職するでも無く、
努力するでも無い人間の、
人生に対する言い訳みたいなものです。
実際、作中で執筆は全くしていないのですよね。
「お、やっと何か書いている」
と、思ったら、それは嘆願書だったりします。
更に、
父は暴力事件で起訴されており、
ジョンスは実家の整理の為に、
田舎に引っ越す事を余儀なくされています。
その時の、ジョンスの荷物が、薄汚いバックに全部入る位しかないのが物哀しいです。
そんな、古くさい軽トラに乗り、
見た目もイモ臭いジョンスと違って、
ベンはポルシェに乗り、
良いマンションに住み、
料理をこなし、
ジョンス同様、
就職していない様に見えるのに、
豪勢な暮らしをしています。
常に笑顔で、ソツの無い会話を続けるベンと、
世ズレしていない、木訥なジョンスは、
会話は出来ていますが、
その実、噛み合っておらず、
内容の無い話しか、互いにしません。
一度関係を持った相手とのSEXを思い出しながらオナニーするジョンスと、
当のその相手をSEXしているであろうベン。
白々しい会話と空気が二人の間に流れますが、
しかし、
唯一異彩を放つのが、
ベンが言う彼の趣味、
「およそ、2ヶ月に一回、ビニールハウスを焼く」
「5分もあれば燃え尽きる、それを眺めている時、生きている実感が湧く」
という告白です。
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ビニールハウス
勘の良い観客なら、
何となく先の予想が出来る、このセリフ。
ベンは、
捨てられて、用の無いビニールハウスを焼いている、
しかも、
「用が無い」かどうかの判断はベンが下し、
実際に使われているのかどうかは、関係無いとすら言うのです。
ジョンスの実家の前で、
ジョンスとベンの二人っきりになった時に発したこの告白。
更に、
ジョンスの近くのビニールハウスを焼くとすら言います。
そして、その前の、ベンの家のシーンで、
「暗喩」を口にしていたベン。
「暗喩」とは、比喩表現において、
「~のように」という様な直接的な方法を用いないもの。
例えば
「ガラスのようなハート」は直喩、
「ガラスのハート」は暗喩となります。
つまり、
あ、コイツ、ジョンスの身近な存在であるヘミを殺すつもりだ、
ビニールハウスをヘミと暗喩しているのだ、
それを、半笑いで、ヘミに惚れているジョンスに予告するベンは、
とんでもないサイコパスだ、
観客は、そう思うのです。
海外で一人、旅行する女性をターゲットとし、
付き合う内、
相手の家族関係、友人関係などを把握。
社会的に、他者との関係が希薄な人間ならば、
失踪しても騒がれずに済む。
そういう条件にあった女性を、
「用の無いビニールハウス」とベンは呼び、
相手が、脆く、壊れやすいハートを内に秘めているとしりつつ、
それを弄び、最終的には殺害する事を目論んでいる。
そう、推測出来ます。
観客が気付いている位です。
勿論、
ジョンスもベンが、
クソほどにも臭う、
プンプン怪しいとは、気付いているのです。
何しろ、
直前に、不気味な電話のみ残して、失踪しているのですから。
しかし、
ジョンスは、怪しいと気付きつつ、
それを阻止出来なかった現実に、敢えて目を向けません。
ベンの言葉を暗喩と捉えず、
直喩と捉え、
自分の家の近くのビニールハウスを、
日々、見回ります。
ヘミの行方を気にしつつ、
しかし、捜索の成果が上がらない為に、
無意味と知りつつ、
何かしないと収まらないのです。
一方、
気付いているが故、
ベンをストーキングして、ヘミの行方を問い糾すジョンス。
その彼の意図に気付きつつ、
敢えて家に招き入れたりするベンは、
ジョンスの存在も、
脆く儚い「ビニールハウス」だと目し、
彼をいたぶって楽しんでいる様にも見えます。
思えば、
家族関係、友人関係が希薄なジョンスとヘミには、
共通点があります。
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バーニング
とは言え、
ベンの言う暗喩から目を背けていたジョンスも、
次第に、ベンが怪しいと確信して行きます。
ベンの家のトイレで見つけた「謎の記念品?」の中に、
ヘミの腕時計を見つけ、
ベンの家の猫が、
ジョンスの「ボイラー」という呼びかけに応えて寄って来て、
ベンの家のパーティーに参加している、ベンの新しい彼女も又、
ヘミと同様、旅行の途中でベンに出会っており、
その彼女の話を、
ヘミの時と同様、あくびを噛み殺しながらつまらなさそうに聞いているベンを見て、
ジョンスは事の次第を確信します。
しかし、
本作の興味深い所は、
そう確信しつつも、
ジョンスはベンに何もしない、
「帰ります」と告げて去って行く事なのです。
自分の中で納得して、それで終わりなのです。
状況証拠は全て揃っている、
それでも、復讐とか、報復とか、そういう事はしないのです。
何故か?
それは、ジョンスは、持たざる者だからです。
裕福なベンに対して、
ジョンスは貧乏。
恐らく、今までの人生の中で、
負けに負け続け、敗北するクセが付いているのです。
「あぁ、またこんな事になった」
そう後悔しつつ、
しかし、良い結果を得られない事に対し、諦念を抱きそれが当たり前になっているのです。
だから、
今回の事も哀しいけれど、
それで流してしまうのです。
そもそも、確かに極めて怪しいですが、
作中では、ベンが犯人だとは、断定されていません。
その匙加減も、本作の面白い描写です。
しかしそれでも、
結果を観ると、
ジョンスは父が所蔵していたナイフで、
ベンを刺し殺すという凶行に及びます。
それは何故か?
そのトリガーとなったのは、
母との再開です。
ジョンスの母は、
ジョンスの父のDVに耐えきれず、
ジョンスと彼の姉を残し、家から飛び出します。
その時、
父は、母の服を焼く事をジョンスに強いて、
それがジョンスのトラウマとなっています。
ジョンスの実家に掛かって来ていた無言電話。
どうやらそれは、
母だったと判明します。
久方ぶりに二人は再会し、
その席で、母には借金があると知れます。
その時、
作中で、ジョンスは初めて笑い、
「安心しなよ」と、借金の肩代わりを提案します。
当の母は、
目の前の息子を気にせず、
ラインを見ながら「ぐふふ」とか笑っているのも関わらず、です。
そこで、ふとジョンスは質問します。
「幼馴染みの、ヘミの家に、井戸はあったっけ?」
母は「ある」と答えます。
その答えが、ジョンスの心を壊すのです。
ヘミは、
自分が幼い頃井戸に落ち、
その時、ジョンスに助けられたというエピソードを話します。
しかし、ジョンス自身は、そんな事があったと覚えて居ません。
疎遠であるヘミの家族や、
ヘミの住んでいた場所の近くに住んでいる人、
そして、実際に、ヘミの住んでいた跡地を確認して、
ジョンスはそのエピソードが、
ヘミの虚言だったと知ります。
しかし、
母は、その嘘が事実だったと証言してしまうのです。
嘘を肯定した為に、この瞬間から母は、
ジョンスにとって得体の知れない存在へと転化してしまいます。
「母は何者にもなれるが、何者も母にはなれない」
とは、
先日観た『サスペリア』のテーマですが、
その母親が居らず、
キレやすい父に育てられたジョンスは、
今の人格形成に多大な影響があったと思われます。
それでも、
禄でも無い父より、
居なくなった母を美化する事で、何処か、心の拠り所としていたのかもしれません。
しかし、
実際に出会った母は、
過去の事など忘れ去っていた。
過去の事を忘れ、
「ああ、うんうん、井戸?あった、あった」
と、良く考えもせず、おざなりな返事をした女は、
コチラを見ずに、
ラインを見てグフグフ笑っている。
過去の事などどうでも良い、
自分の事などどうでも良いと思っている相手の本心に気付いたその時、
初めて、本当に、
ジョンスの中で、母の服が燃え上がったのです。
唯一の心の拠り所を失い、
貧乏で惨めな自分しか残らなかったジョンス、
その彼が、
人生に対して復讐する、
その八つ当たりの対象として、
ベンはたまたま殺されるのです。
ラストシーンでは、雪が降っており、
作中、
ある程度の時間が経っているという事が分かります。
そこには、
凶行に及ぶまで、ジョンスなりの葛藤があったのでしょう。
しかし、
追い詰められた彼は、誰かに復讐するしかなかった。
そして、
母の記憶が燃え上がったジョンスにとって、
ビニールハウス燃やすと言っていたベンは、
格好の獲物となった。
子供の頃、
母を忘れる為に、服を焼かされたジョンス。
今回も、
自分の悔恨の念を忘れる為に、何かを焼かねばならなかった、
だから、ベンを焼却する必要があったのです。
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三角関係
感情の無い外見の裏側に、
燃え上がる、炎の情念を持っていたジョンス。
人の良い上っ面はペルソナで、
サイコパスの本性を持つベン。
そして、ヘミも、
表面だけでは分からない、
彼女ならではの思いが隠されていたのだと推測されます。
とは言え、
ヘミみたいに、
本命の男が居る一方で、
自分を好いてくれる男もキープしている女性って、
結構いますよね。
ジョンスが自分に惚れている、
波長が自分と合う相手、
それを分かっていつつ、
実際は、
イモ臭く、
貧乏なジョンスより、
顔が良く、
金を持っていて、
世慣れて洗練されたベンと付き合う。
しかし、
その当のベンと居る時は、
ジョンスを褒める。
お互いをヤキモキさせて、姫気分を味わう、
ヘミはそういう態度を採っているのです。
思うに、本命は、どちらかというと、ジョンス。
空港に迎えに行った時も、
ジョンスの車に乗りたそうにしていましたし、
ベンが「嫉妬」したというのは、
ヘミの気持ちはジョンスに有ったと、
理解していたからでしょう。
そこから考えるに、
あの、ヘミの語った「井戸」のエピソード。
これは、
ヘミの虚言では無く、
「井戸のエピソード」自体が暗喩となっていると推測されます。
つまり、
「子供の頃から、自分が困った時に、ジョンスは助けてくれた」、
という事をヘミは言いたかったのであり、
「私が困っていたら、きっとジョンスは助けてくれるよね」→「今、ちょっと困っているから、助けて」
と、
暗にヘミは言っている様にも思えるのです。
ヘミは、実際は、ジョンスと付き合いたかった、
ベンはたまたま知り合っただけで、
ジョンスが積極的で無いので、
そのジョンスを発奮させる当て馬として、
ベンと付き合って見せた、
だから、
ベンから私を奪ってよ、
そういう心理があったのかもしれません。
それに対し、当のジョンスはヘミの意図を理解せず、
「人前で裸で踊るな」ともっともなツッコみをし、
それがあまりに妥当であった為、
ヘミも押し黙るしかなかった。
しかし、
このときの別れが、今生の別れともなるとは、
人生、ままならぬものです。
淡々と、静謐な感じで進んで行く、
『バーニング 劇場版』。
しかし、
ゆっくりとした雰囲気の薄皮の下に隠された意図や情念、
それを推測する事が忙しく、
長い上映時間でも、退屈せずに観る事が出来ます。
観た人間に拠って、
如何様にもとれる解釈、
それを、あれこれ考えるのが、
本作の一番の魅力だと思います。
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