映画『ダンボ』感想  汚れちまった我々の、心に染み入るストーリー!!


 

1919年、戦争が終わり、ミリーとジョーの父親のホルトも帰って来た。戦前、サーカス一座の馬の曲乗りにてスターだったホルト、しかし、戦争で左腕を失い、妻にも先立たれ、肝心の馬も、売り払われていた。座長のマックスは、曲乗りの代わりに、妊娠している象の世話をしろと言うのだが、、、

 

 

 

 

監督はティム・バートン
マニア向けだったのが、最早、今では巨匠の一人。
主な監督作品に、
『フランケンウィニー』(1984)
『バットマン』(1989)
『シザーハンズ』(1990)
『バットマン・リターンズ』(1992)
『エド・ウッド』(1994)
『マーズ・アタック』(1996)
『スリーピー・ホロウ』(1999)
『ビッグ・フィッシュ』(2003)
『チャーリーとチョコレート工場』(2005)
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007)
『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)
『ダーク・シャドウ』(2012)
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(2016) 等

 

出演は
ホルト:コリン・ファレル
ミリー:ニコ・パーカー
ジョー:フィンリー・ホビンス
マックス:ダニー・デヴィート
コレット:エヴァ・グリーン
V.A.ヴァンデヴァー:マイケル・キートン 他

 

 

ダンボ…って言ったら、アレでしょ、
ほら、
漫画の『よつばと』に出て来る、段ボールで作ったマスコットキャラ的な、アレ。

って、それは「ダンボー」でした!

「ダンボー」が謎のヒットをした所為で、
版権?的な収入がある為か、
あずまきよひこって、漫画を全く書かなくなっちゃいましたね。

 

ダンボ…って言ったら、アレでしょ、

スワヒリ語で、出会った時に、「コンニチハ」的な意味合いで、
「JAMBO!」(ジャンボ!)って言うらしいですね。

でも、正確には、
「ジャンボ」一語では意味を成さず、
「ジャンボ」の前に人称を表す言葉を入れるそうです。

 

ダンボ…って言ったら、アレでしたね、

今年は温かくて、
暖房器具の売れ行きが芳しくなかったらしいですね。

確かに、
私が生きてきた中で、
過去最高に過ごしやすかった冬という印象です。

 

…えーと、
すみません。

長く生きてきた中で、
実は私、
『ダンボ』(1941)を観た事が無いのです!

そんな、
オリジナルのアニメ『ダンボ』を知らない、
ダンボ偏差値35の私は、
本作、実写版『ダンボ』を楽しめたのか?

元がディズニーのアニメだから、

子供の内に観ていないと、
感情移入出来ないのではないか?

 

そんな事はありません、
本作実写版『ダンボ』の監督はティム・バートン。

流石、手慣れたベテラン監督、

誰が観ても面白い手堅い作品に仕上がっております。

 

 

しかし、
本作の注意点としては、

原作の、アニメ版『ダンボ』の忠実な実写化作品では無い

 

という事です。

そういう意味では、
原作原理主義の方の反感を招く事は必至。

本作を観る時は、
あくまでも、
「ティム・バートン」が現代風にアレンジした『ダンボ』だという事を念頭に置いておく必要があります。

 

 

妊娠した象の「ジャンボ」の世話係を命じられたホルト。

しかし、生まれた子象は、
耳が異常に大きかった。

子象の「ダンボ」を苛める団員も居り、
母象のジャンボは暴走、

また、
サーカスという現場で、
象まで見た目で特化している必要は無いというマックスは、
不良品だと、象の売り元に払い戻しを請求、

母象のジャンボが送り返される事となる。

悲しむ、ダンボを慰める、ミリーとジョー。

彼女達は知っていました、
ダンボが、くしゃみした拍子に、空を飛んだ事を。

「ショーに出て、お金を稼げば、お母さんにきっとまた会える」

二人はそう言って、ダンボを励まします、、、

 

 

「お母さんに会いたい、ダンボの物語」

登場するキャラクターは変わっても、
この基本は変わりません。

本作は、
ダンボを支える周辺のキャラクターを人間にし、

老若男女、どんな人にも感情移入を可能にした、

家族の物語として、仕上げているのです。

 

 

実績のある監督が作った、
新たなる『ダンボ』の物語。

さながら、
「ダンボ2.0」と言える本作。

ストレートに楽しめる、
ファミリームービーと言えるでしょう。

 

 

  • 『ダンボ』のポイント

家族の物語

はぶかれた者達の物語

リメイクか?アレンジか?

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • リメイクか?アレンジか?

本作『ダンボ』は、
一応、名目上は、
オリジナルのアニメ版『ダンボ』(1941)の実写映画化作品という事になります。

しかし本作は、
原作アニメの要素を受け継ぎつつも、

その内容は、
かなりのアレンジを加えた、

むしろ、
オリジナルな、新しい「ダンボ」のストーリーを描いています。

 

思えば、監督のティム・バートンは、
『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)でも、
アニメ映画『不思議の国のアリス』(1951)を実写化しましたが、

内容は全く違う、
オリジナルなものでした。

 

原作のあるものを、
映画化、あるいは、リメイクし再映画化する場合、

:元の作品に忠実に作るのか?
:オリジナル要素を加えるのか?
:大胆にアレンジして、原作とはかけ離れたモノにしてしまうのか?

大きく、
この3つの道があります。

 

本作のスタンスとしては、
元の作品のテーマを残しつつも、
オリジナル要素を加えて、大胆にアレンジした、
謂わば、
2と3の間の様な作品となっております。

なので、
原作至上主義の方が本作を観ると、
ちょっと、受け入れられないかもしれません。

 

ディズニーのアニメを、
ディズニーの公式が実写化する。

この機会に、
原作とは違う、アレンジを加えた作品が作られる。

一度作られたとしたら、
今後、再び作られるまでに、何年もの時間が空いてしまうという貴重な機会に、

期待とは違う、
別の映画を観せられる、
原作ファンの憤懣たるや、やるかたないものなのです。

 

ディズニーアニメ、

特に、ウォルト・ディズニー製作の初期の作品には、
独特のノリというか、雰囲気があります。

特徴的な動き
腰のくねり、腕から手先にかけるうねり、

動物を擬人化するという、
可愛らしさと、奇妙さを兼ね備えたキャラクター

夢の様であり、
同時に悪夢の幻覚でもあるような、
不可思議な場面の数々 etc…

 

ティム・バートンも、
そういう独特な世界観を持った監督。

しかし、
そういうディズニーやティム・バートンが本来持っている「異様さ」は、本作ではスポイルされています

あくまで、
ファミリー向けとして、毒を抜いた作品に仕上がっています。

そういう意味でも、
期待し過ぎると、
ちょっとスカされる作品と言えます。

 

  • サーカス団と『グレイテスト・ショーマン』

本作『ダンボ』は、
サーカス団が舞台の作品。

1919年の人間メインにするなら、
ある種の「フリークショー」という側面を持たせる事も、可能だったハズです。

さながら、
サーカス団を率いたP・T・バーナムをモデルにした作品、
グレイテスト・ショーマン』(2017)の様に。

 

因みに、
ダンボの母親の名前はジャンボですが、

「巨大」を意味する「ジャンボ」という言葉は、
実在した雄のアフリカ象の「ジャンボ」がその由来と言われており、

その「ジャンボ」は、
バーナムのサーカス団「バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」に売られ、活躍したとの事です。

 

閑話休題、

しかし本作、
『グレイテスト・ショーマン』とは違い、
団員のメンバーは、
明らかに普通の人間です。

人魚は普通の女性を、ガラス越しに眺めるだけ、
怪力男は、フェイクのバーベルを持ち上げ、
蛇遣いは、普通にヘビを操るのみ。

鱗のある人間とか(入れ墨)
牙のある人間とか(入れ歯)
蛇遣いも蛇人間とか(着ぐるみ)
そういう趣向は、本作には全くありません。

唯一、その要素を残す象徴として、
ホルトが隻腕であり、
「かかし」の様な義手を付けているに留まっています。

 

人間キャラでは最も目立つ位置にいるホルトを隻腕にする事で、
本作は、映像的には普通の人間であるサーカス団の面々も、
その本質としては、
身体的な疎外感を味わっているかもしれない

そういう意図も込められていると汲む事も出来ます。

 

そして、
本作のテーマである「家族」の事を考える場合、

舞台がサーカス団であり、
旅がメインのサーカス団は
興行を行う地においては、常によそ者であるという事を念頭に置いておく必要があります。

 

  • 家族の物語

本作は、
ダンボが母親を求める物語がメインです。

そして、それを支えるのは、
ミリーとジョーのファリア姉弟です。

この二人も、
母親を喪った存在。

だからこそ、
二人はダンボの気持ちが解り、
ダンボを応援する事自体に、
母を希求する、自らの事をも仮託しているのですね。

 

お金を稼げば、母に会える、

そういう思いで、
ダンボをショーに送り出す姉弟。

父親のホルトは、
そういう二人の気持ちを、
言わず語らず、ある程度まで汲む事が出来ます。

だから彼は、
「サーカスのメインとして、再び脚光を浴びたい」という自身のエゴを封印して、
ダンボの世話係に徹する事になるのですね。

謂わば、
ファリア一家とダンボは、疑似家族を形成する訳です。

そして、
この疑似家族というものは、
「メディチ・ブラザーズ・サーカス」そのものでもあるのです。

 

生まれたダンボを見た団長のマックスは、
「ただでさえフリークばかりなのに、奇形の象などいらない」
と思わず言い放ちます。

しかし、
一部の残酷な団員以外は、
皆、ダンボの事を見守っているのですね。

何故なら、
「耳がデカい」という、
一般的な範疇からはみ出ているダンボという存在に、

一般的な生活からはみ出ている自分達の姿を見ているからなのです。

「コイツは自分と同じだ」
「サーカスから追い出されたら、行くところが無い」

そういう存在として、
ダンボを見ている訳です。

 

本作、
普通に素直に観たならば、
ダンボが母親を求める話で終わりますが、

サーカス団そのものの性質を考え、
映像では普通の人間として演じられている人々も、
その本質としては、
社会からは「フリーク」として、疎外されている可能性を考慮するならば、

弱者の目線に寄り添い、
彼達の希望を謳った作品という側面も見えて来ます。

 

サーカス団として疑似家族を形成している彼達は、

ダンボを受け入れ、
ダンボがスターとして活躍する事を、我が事の様に誇りに思います。

一見するとフリーク、
しかし、
その外見のハンデを乗り越え、
その能力を逆に活かして、スターとなっているからこそ、
ダンボは皆の誇りなのです。

だが、
そんなダンボは疑似家族では無く、
帰るべき母親という存在がいる、

だからこそ、
団員達は、ダンボ脱出作戦に、皆で乗り出すのですね。

 

  • 打破すべき軛

本作の悪役は、
興行主のV.A.ヴァンデヴァー。

 

V.A.ヴァンデヴァーのセリフに、
「父は私を顧みなかった」
「親離れ出来て、むしろ感謝している」
というものがあり、

その論理で、
ダンボを母親のジャンボから引き離そうとします。

「家族」がテーマの本作において、
その価値観を否定する存在なのですね。

 

そして、典型的な悪の社長タイプの人間ですが、

このステレオタイプな悪役、
実は、実社会においても非情に多いタイプの人間です。

 

能力のある人間を駒にして、
自分は、その上がりを受け取る。

そういう風に人間を消耗品として見るタイプの存在は、
管理者や上司に、意外と多いです。

そんな彼達の理不尽な要求を、
日々、屈辱混じりに呑んでいる

そういう大人が本作を観た場合、

その軛から飛び立とうとするダンボや、
ダンボを応援するサーカス団員達に、
多大に感情移入出来るのですね。

 

私の思う、本作のハイライトは、
やはり、
炎上するテントからファリア一家を救出したダンボが、
羽を失ってしますシーンです。

「羽」を持っている間だけ、
空を飛べるダンボ、
しかし、彼はその羽を無くし、
飛べなくなってしまいます。

そんなダンボにミリーは、
可能性は既に、ダンボ自身が手にしていると励まします。

可能性という鍵は、
既に自身が手にしている、
それを証明する為に、大事な形見を投げ捨てる。

行動を促す、「象徴」や「鍵」「きっかけ」など無くとも、

自分が飛ぼうと思えば、
いつでも飛べる、

自分を規定する「枠」や「軛」は、
自分自身で打破出来る
そういう強いメッセージが込められていると感じました。

 

団長に従うのも、
社長や会社に従うのも、
自分自身なのです。

 

先日引退したプロ野球選手のイチローは、
「ルーティン」という枠組みを大事にするタイプでした。

トレーニングメニューは一定、時間も一定、
試合の日の食事は毎回一緒、
打席に立つ時のモーションもお決まり、

そのルーティン(一定行動)を守る事で、
安定したパフォーマンスを持続していました。

本作では、
その「ルーティン」こそ、
打破すべき「枠」であると表現している、
その対比も面白いですね。

 

本作、ラストシーンは、
人の振り見て我が振り直したのか、

V.A.ヴァンデヴァーの所業で、自身の身の振り方を顧みたマックスが、

巡回サーカスでは無く、
固定の遊園地として、
サーカス団の皆に、
「帰るべき安定した家庭」
を提供しているのが印象的です。

ちょっと嫌な雇い主で、
団員を窮地に陥らせた、

それでも、最後には自分が変わって、
皆を救う事になる。

マックスの様子に、
人はいつでも変われるのだと、
そういうメッセージもあるのですね。

 

  • 出演者補足

本作の監督ティム・バートンは、
気に入った役者を何度も使うイメージがあります。

 

コレットを演じたエヴァ・グリーンは、
『ダーク・シャドウ』(2012)
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』(2016)

マックスを演じたダニー・デヴィートは、
『バットマン・リターンズ』(1992)
『マーズ・アタック』(1996)
『ビッグ・フィッシュ』(2003)

V.A.ヴァンデヴァーを演じたマイケル・キートンは、
『ビートルジュース』(1988)
『バットマン』(1989)
『バットマン・リターンズ』(1992)

に、それぞれ出演しています。

 

こういう繋がりにも、
ちょっと気にしたら面白いものがあります。

 

 

 

 

伝説的な名作アニメ映画『ダンボ』、

これを大胆に現代風の趣向にアレンジし、
老若男女、誰でも楽しめ、
それぞれの年代で感情移入出来るファミリームービーに仕上げた作品、
実写版『ダンボ』。

 

勇気と希望、そして、
帰るべき場所としての、「家族」の大切さを謳った作品と、
言えるのではないでしょうか。

 

 

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コチラが原作のアニメ版『ダンボ』です



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