「父さんを見つけたら殺す」
まだ、少年にしか見えないそいつは、そう言った。長年、色々旅をして肉体労働に励んで来たおれでも、うすら寒いものを感じてしまった。一体ヤツは、何を抱えているんだろうか、、、
著者はハーラン・エリスン。
SF作家として日本でも人気が高く、
本邦独自の短篇集、
『世界の中心で愛を叫んだけもの』
『死の鳥』
『ヒトラーの描いた薔薇』がある。
アンソロジーの
『危険なヴィジョン』も編集した。
本作は、
そんなハーラン・エリスンの、
非・SF作品を集めた短篇集です。
非・SF短篇集ですが、
何故だか、
国書刊行会のSF叢書<未来の文学>シリーズにて刊行です。
どうやら、
SF作家であるから、
敢えて、SFでは無い作品を集める事で、
逆に、SF的な云々かんぬんという事です、、、
…もう、言ったもん勝ちだな!!
という事で、
本作は、
SF作品が有名な作家の、
非・SF短篇集(全11篇収録)なのですが、
実はワタクシ、
ハーラン・エリスンを、今まで読んだ事が無いのです。
だから、
SF作品との比較が出来ないという、
致命的な失点があります。
なので、
ある意味、純粋に、
SF作家であるとか、関係無く、
一人の作家の短篇集として、読んだ次第です。
そんな私が感じた事は、
本短篇集、
青春真っ盛りだな
って事です。
理由無き反抗と言いますか、
世間に対するルサンチマンとモラトリアムと言いますか、
とにかく、
斜に構えた感じがビンビン伝わって来ます。
そして、文体が、
口語体で、
怒濤のリズムがあります。
この、独特の感じが、
気持ちの良い読み味となっています。
反抗心と、リズム、
この二つが相俟って、
本作、
正に、厨二的な印象を受けます。
そう、
人は、いくつになっても、
精神年齢は厨二なのさ。
そもそも、
「愛なんてセックスの書き間違い」なんて、
童貞の中学生が、
親に反抗して言い放つレベルのフレーズ。
痛々しい、
あまりに痛々しくて、
傍から見ても、恥ずかしくて耳まで真っ赤になるレベルです。
でも、
言った本人は、
ドヤ顔しているんですよねぇ。
それがまた、
痛々しい。
そんな、
青春真っ盛りの、
過去の自分を思い出してしまう作品
それが、
本作『愛なんてセックスの書き間違い』と言えるのかもしれません。
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『愛なんてセックスの書き間違い』のポイント
青春真っ盛りの厨二的思考回路
怒濤のリズムの口語体
色々と皮肉な作品群
以下、内容に触れた感想となっております
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収録作品解説
では、
簡単に収録作品の解説をしてみたいと思います。
本書は、
全11篇の短篇からなる、
日本オリジナルの短篇集です。
第四戒なし
「第四戒」とは何か?
本作においては、
モーセの十戒における、第四戒の事を指しています。
第四戒では、
6日間働いて、1日休め、と言っています。
つまり、この物語は、
休息の無い、
永遠に終わらない煉獄の日々という意味合いを持っているのです。
映画の『メメント』(2000)を彷彿とさせる作品である本作。
短篇集の劈頭にありながら、
展開の意外性、オチの無常観を含めて、
本書の白眉と言える作品です。
孤独痛
一度、歯車が噛み合わなくなると、
そこから、何もかもが崩壊してしまう様な気分になります。
自分が正しいと人に言って欲しいのに、
その相手が本当にそう思っているのか疑ったり、
むしろ、正しいと言われる事自体に嫌悪感を抱いたりします。
一体、どうしろと言うのか?
そういう八方塞がり感のある作品です。
ガキの遊びじゃない
大人しいお父さんが、
近所の悪ガキに報復する。
実際は何もしないけれど、
頭の中で、ムカツクヤツをボコボコにするという、
陰キャの妄想を、
そのまま描いた様な作品です。
ラジオDJジャッキー
解説によると、作品発表当時、
実際に、ラジオがヘビーローテーションして、
ヒットを「捏造」した事が、問題になったとの事です。
しかし、
言わずもがなですが、
露出を多くして、
さも、流行っている、評価されているかのような「空気」を演出する、
いわゆる「ゴリ押し」は、
現在の日本では、普通に見る事です。
むしろ、
「ゴリ押し」だらけとも言えます。
そういう、
当時の世相と、
現代日本の世相を比べて読むと、面白いものがあります。
ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない
ジェニーとセックスする所までは面白く読めましたが、
後半の中絶に向かう描写は、
ダラダラと長いだけで、つまらない印象です。
…が、
実は、本作が発表された当時のアメリカでは、
中絶が法律違反でした。
それを鑑みると、後半の展開はつまり、
法律的には違反でも、自由と解放を求めた自由意志による行い、
という、意味合いが成されています。
国境を越えて、
違法スレスレの事をする。
現代日本では、中絶が咎められる事が無いので、本書の描写を読んでもどうという事もありませんが、
当時のアメリカでは、違法行為を行う、ハラハラのサスペンス的な展開であったのです。
日本で例えると、
大麻や、拳銃を購入する様な感覚でしょうか?
時代や国の違いで、
作品の印象が全く変わるというのが、面白い所です。
クールに行こう
才能のある人間が、身を持ち崩す原因。
異性、酒、ギャンブル、薬。
そういう、
才能の邪魔になるヤツはぶち殺してやるという、
これまた、陰キャ的な発想の作品です。
ジルチの女
ジルチ(Zilch)とは、
ゼロを意味する英俗語だそうです。
まぁ、
バカ話として、
軽く読む作品と言えます。
人殺しになった少年
イカレた人間が、
イカレた、通り魔的な犯行を行う。
第三者から見ると、
通り魔は、圧倒的な悪として断じるべきですが、
しかし、もしかして、
本人しか知らない、已むにやまれぬ理由があるのかもしれません。
それを知るのは、
負け犬、陰キャ、底辺、下流。
だからこそ、
このどうしようも無いガキの犯罪に、
何処かしら、共感めいたものを感じるのかもしれません。
盲鳥よ、盲鳥、近寄ってくるな!
恐怖を、
それと認識するのは、人それぞれ。
故に、
その恐怖もまた、
ある瞬間に、克服が可能なのです。
パンキーとイェール大出の男たち
俺は、酸いも甘いも味わった、
人生経験豊富なイケメン。
イェール大(日本で言うと東大的な大学)出の頭でっかち程度では、
俺を驚かせる事は出来ない
(ドヤァ)
って、だけの作品ですね。
教訓を呪い、知識を称える
周囲の人間は、
「年の差婚」なんて、絶対に失敗すると言うけれど、
俺は、幸せに暮らしましたとさ、
という感じの、
自分の事を言った作品。
ラスト、わざとらしいハッピーエンドが書かれ、
「この意図は、一体何だろう」と思ったのですが、
解説によると、
どうやら、ハーラン・エリスン自身が、
若い女房をもらった頃の話だそうです。
つまり、自分の「こうありたい」と願う妄想を、
作品として発表するという、こっぱずかしい事をしているのです。
さて、
収録作品を読んで、
そして、
本書の巻末の訳者解説を参考にすると、
本書の作品は、
非常に、自己言及的とでも言いますか、
いわゆる、
著者が「自分の事」を描いた作品ばかりという印象を受けます。
そう言うと、一見、身も蓋も無く、
短絡的なネタかと思われますが、
しかし、
「自分」を題材にして、
これ程多くの作品を作れるというのは、
如何に、身を削っていたのかという事実の証明であると言えます。
また、
本書の収録作品は、
世間、世界への反抗心、叛逆を描いているものばかりです。
しかしそれは、
裏を返せば、
世界に自分を認めさせたい、
つまり、
世界に、認められたいという、
孤独な魂の叫びであるとも言えるのです。
世界に自分の存在を認めてもらう為に、
世界を否定せざるを得ないという、
この自己矛盾。
世間が認めてくれないのなら、
自分で自分を承認せざるを得ず、
それは即ち、
結局は、世界と和解する事を拒絶する行為でもあるのです。
この、
永遠に自分が世界を拒絶する行為こそ、
「青春」そのものであり、
所謂「厨二」的な思考と言えます。
この、
一時期は、誰もが辿るであろう思考経路を、
まざまざと見せつけてくる本書の収録作を読むと、
何だか、
過去の自分と対面している様で、
面映ゆい気分に晒されてしまいます。
自分は、
枯れた大人になっちまったのか?
それとも、
まだ、そういう「厨二」要素が燃え尽きていないのか?
それを、
自分自身で判断する事は出来ませんが、
本書『愛なんてセックスの書き間違い』の収録作を読むと、
自分の青春の1ページに再会する事になる。
それは事実と言えるのではないでしょうか。
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