文化『お化けの愛し方』荒俣宏(著)感想  「恋愛怪談」という鉱脈の再発見!!

 

 

 

お化けとは本当に恐ろしいものなのか?その疑問から始まり、お化けと人間の関わりを探っていた著者・荒俣氏。その荒俣先生が発掘したのは、人間はお化けと愛し合う事が出来るという事だった!?そして、その秘密と根拠は『牡丹燈籠』にこそあった、、、

 

 

 

著者は荒俣宏
言わずと知れた博覧強記の人物である。
『帝都物語』(1985)
『世界大博物図鑑』(1987~1991)
『怪奇文学大山脈』(2014)等。
とにかく著作は多数ある。

荒俣宏は『怪奇文学大山脈』において、自分が「怪奇文学」について語ることは最早無いと言っていた。

しかし、編集者にかき口説かれ、この度「おかわり」が発売された。
それが本書『お化けの愛し方』である。

『お化けの愛し方』は、中国の怪奇談から始まり、多数のお化け話を収録し、人間とお化けの関わりを記している。
その主題は、

人間とお化けの恋愛事情である。

 

 

以下ネタバレあり


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  • お化け話は怖くないといけないのか?

少年時代の荒俣宏はこう思ったそうだ「お化け話は怖くないといけないのか?」
そして、答えは「否」である。

その怖くないお化け話こそが「恋愛怪談」である。

不実の男と、一途な女。
その女が思いを残して死んだ時、現世に化けて出てくる。
その様子は、「恐怖」というよりむしろ「哀れさ」を誘う。
(無論、身に覚えのある男の方から見ると恐怖ではあるだろうが)

この「恋愛怪談」というジャンル、実は怪談において根幹とも言える一大勢力を誇っていたという。
荒俣宏は、江戸川乱歩の所蔵していた中国の『情史類略』という著書でその事を知る。
中国の古い怪談の多くは「恋愛怪談」とも言えるものだったのだ。

そして、その影響は海を渡り、日本にも及ぶ。
その最たるものが瞿佑が著した「牡丹燈記」であり、それが日本に渡り「牡丹燈籠」となって行くのである。

 

  • 現実逃避としての逃げ場所

中国・明代の人である瞿佑は科挙の試験に落ち続けた。
その彼が、試験の傍ら作成したのが怪談である。

しかし、エリート偏重時代であった明という時代にあって、怪談は官吏がたしなむ文学では無かった。
そう思われていた時代なのだ。

しかし一方、その硬直した権威主義に息苦しさを感じる人間もいる。
そのガス抜きとして怪談は機能し、逆に読者の支持を集めた

その中でも人気だったのが「牡丹燈記」である。

そしてこの「牡丹燈記」は日本他、中国文化を輸入するアジア各国に伝播してゆく。

 

  • 「牡丹燈記」と「牡丹燈籠」そして「浅茅が宿」

「牡丹燈記」は日本に渡り、浅井了意の翻案によって「牡丹燈籠」として紹介される。
この時点ではまだ「牡丹燈記」とほぼ同じ内容だったが、それをさらに日本向けにローカライズしたものが上田秋成・著『雨月物語』の1エピソードである「浅茅が宿」である。

「浅茅が宿」は日本に元からあった伝説と組み合わせ、ホラーというよりむしろロマンス的な雰囲気すら漂わせる名作である。

そして、日本的「牡丹燈記」は、三遊亭圓朝の『怪談牡丹燈籠』として完成を見る。

それは最早、死女との恋を描く一文学作品となっているのだ。

 

 

そして著者の荒俣宏は、この後の「恋愛怪談」の研究は後進に託して、自分は早くあの世を覗いてみたいなどと言う。

しかし私などは改めて今回、まだまだ荒俣先生のお化け関連の著作を読みたいと思った。
しかし、そうも甘えてはいられないのだろう。

荒俣宏は江戸川乱歩の著作を読み、こう思ったらしい。
「私はそれまでも怪談好きだったが、これを執筆年代や方法論の違いからグループに分けて整理するような発想はなかった。怪談というものはお化けが出てきてドロドロとなるお話だと、その程度しか認識がなかった。」(p.63より抜粋)

怪談はそれだけでも面白いが、それを研究し、発表する事も同様に興味深いものなのだ。
そう荒俣宏は言っている様に思う。

そして、その楽しみを知る事を、読者に願っているのではあるまいか?

 

 

 


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さて、次回はタイトルからして興味深い漫画『好奇心は女子高生を殺す』について語りたい。