映画『イソップの思うツボ』感想  作り手が楽しんだ作品!で、観客は?

クラスメイトに名前すら覚えられていない女子大学生、亀田美羽は昼もぼっち飯。一方、食堂のTVに映るのは、仲良し家族としてタレント活動している、クラスメイトの兎草早織とその一家。対象的な二人だが、この両者、どうやら臨時講師の八木圭佑が気になるご様子?、、、

 

 

 

 

 

監督は、
浅沼直也中泉裕矢上田慎一郎

上田慎一郎は、
昨年、旋風を巻き起こした『カメラを止めるな!』(2018)の監督。
浅沼直也は、
「カメとめ」ではスチールを担当、
中泉裕矢は、
「カメとめ」では助監督を担当した。

各自、各々監督経験のある3にんが、
一つの映画を3人で監督する本作は、
「3」がテーマの作りとなっている。

 

出演は、
亀田美羽:石川瑠華
八木圭佑:高橋雄祐
田上将吾:藤田健彦

兎草早織:井桁弘恵
兎草信司:桐生コウジ
兎草裕子:佐伯日菜子

戌井小袖:紅甘 (ぐあま)
戌井連太郎:斉藤陽一郎

近藤:川瀬陽太 他

 

 

 

昨年、
低予算映画、出演者に有名人皆無ながら、
口コミから拡がり、
思いも掛けず大ヒットした『カメラを止めるな!』。

これにより、監督の上田慎一郎は、
俄に注目を集める事になりました。

あれだけのヒット作の後の次回作、

まぐれ当りだったのか?
それとも、真の実力だったのか?

勿論、
その辺りの注目を集める訳です。

 

さて、本作『イソップの思うツボ』。

前作とは違い、
大々的とは言わないまでも、
プロモーションも行われている話題作、

一体、どんな映画だったのでしょうか?

 

え~、
まぁ、例えて言うならば、

『パルプ・フィクション』(1994)にて注目を集めたクエンティン・タランティーノの次回作の、

『フォー・ルームス』(1995)を観た時の様な感覚ですね。

 

 

…とは言え、
こんな例えでは、
昭和のオールド映画ファンにしか伝わらないと思いますので、

現代を生きる、
令和の我々が、ちゃんと理解出来る言葉で説明してみたいと思います。

端的に言うと、

作っている方は、
ワイワイやって楽しかったでしょうが、

観ている方は、
ほーん、それで?となる

そんな作品です。

 

いや、本作、
つまらない訳では無いのです。

なにしろ「カメとめ」がヒットし過ぎた。

だから、
観る方の私としては、
ハードルを上げすぎて、
「普通だな」と思ってしまうのです。

 

個人的に、
前半の伏線を張った、パズル的な部分が、
かったるいのですが、
逆に面白く、

後半の種明かし部分が、
盛り上がりながらも、
「まぁ、そうだよね」といった感じで、
予定調和だった印象です。

もう一歩、
もう一歩、
過激なネタをオチに仕込んでも良かったのでは?

まぁ、
ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』とまでは言いませんが、

世界観を壊さない程度のオチを用意していたら、
本作『イソップの思うツボ』は、
傑作になったんじゃないかな~と思うのですが、
皆様はどうでしょう?

 

 

  • 『イソップの思うツボ』のポイント

3つの家族のストーリー

3人の主人公の対称性

語られない所を想像する楽しみ

 

 

以下、内容に触れた感想となってなっております

 


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  • 3人の監督

本作『イソップの思うツボ』は、
3人の監督による共同作品、

主に、
亀田家は中泉裕矢、
兎草家は上田慎一郎、
戌井家は浅沼直也が担当し、

ラストの3つの家族が集まる所は、
それぞれ、場面によって、担当を割り振って、
一人が監督をしている時は、
別の人間が助監督をやっていたそうです。

 

そう考えて観ると、
3つの家族の「娘」が、
それぞれのパートでの主役級の扱いをされているのが印象的。

しかも、
それぞれのキャラもそうですが、
顔の傾向が違っているのが興味深いですね。

 

亀田美羽を演じた石川瑠華は、
いかにも、普通の日本人的な平面顔。

亀田美羽というキャラには、
地味女子御用達のモスグリーンの服バージョン、
金髪のバカビッチバージョン、
赤いジャンパーでデコを出した復讐鬼バージョンと、
3パターンの状況があるのもポイントです。

 

兎草早織を演じた井桁弘恵は、
日本人が好きそうな垂れ目系のアイドル顔。

いかにもローカル番組の地方アイドル的な雰囲気が出ていたのが良いですね。

 

戌井小袖を演じた紅甘は、
猫的なツリ目のちょっと濃い顔。

この系統の顔は好みが分かれますよね、
私は好きですね、割と。

母親は、作家、漫画家の内田春菊で、
名前の紅甘(ぐあま)は本名だそうです。

 

観客は、
傾向が違う誰かに、顔の好みがヒットするから、
その、誰かに感情移入出来る、
という事を意図している様に思えます。

 

  • 私ならラスト、こうするね

さて、
脚本も、3人で意見を出し合い仕上げ、
撮影も、こういう共同作業でこなすと言うのは、

大変な反面、
学園祭的な「作る楽しさ」に溢れています。

(勿論、ある程度の仲の良さがある事が前提ですが)

 

そういう、
作り手の楽しさが、
観る方にも伝わるというのは、
「カメとめ」と同じなのですが、

本作、
よく考えてみると、
ヤクザ関係で、一つの家族を拉致、誘拐して、
人間関係を破壊するという、
とんでも無い事をしています。

 

確かに、
前半の展開は、
後半で、
実は、こうだったのか!

みたいな、
メタ目線をも含めた、
ミステリ的な伏線回収の面白さがありますが、

それにも増して、
「復讐の為に、ここまでして良いのか?」
という、
倫理的な問題点が残ります

それを考慮して、
ラストの亀田美羽の台詞
「家族と、普通に生きる」は、
美羽が背を向けて語るという演出にしたそうです。

正面からメンチ切ってそれを言ってしまうと、
亀田家の行動を肯定する形になる、

だから、そこは、制作者の、
せめてもの倫理観をみせた形で、
あの演出になった様です。

 

とは言えやはり本作、
面白い試みで、
興味深い脚本にて物語は展開しますが、
「落とし所」を踏み間違えた様にも思います。

 

私なら、ラストは、

倫理を吹っ切って、
3家族の、殺し合いのバトルロイヤルが勃発、
上級国民大盛り上がり、
(客席に、安倍晋三とかドナルド・トランプとか小池百合子とか居たら尚良し)
下層民は、結局、マリオネットでしか無い、
みたいなオチにするか、

もしくは、

亀田家が、
上映会に殴り込み、
上級国民を火炎放射器で皆殺しにする、とか

又は、

キレた近藤(ヤクザ)が、
上級国民にマシンガンと渡して、
急遽、殺人ショーに方針転換
3家族はそれを迎え撃つ
絶望的な状況に追い込まれるが、
突如、空からカメが降って来て、上級国民をブチ殺すとか、

そういうオチにしますね、ええ。

どのパターンでも、
最後に生き残るのは、戌井小袖のみ、
最後に、金を持って高飛び、みたいな終わり方にしますが、
どうでしょうか?

 

近藤が戌井に打たれて、ハイ、終わり、って。

近藤の台詞じゃ無いけれど、
ああいう状況を作っておいて、
こんな温い結末じゃぁ、
私が上級国民なら、絶対満足しないと思います。

 

金持ち(上級国民)を作中にて、どう描くのか?
それに興味がある。

それはかつて、
「BSマンガ夜話」の「賭博黙示録カイジ」の回にて、
(私の記憶が確かならば)岡田斗司夫が言った言葉です。

本作では、
仮面を付けた、モブキャラとして、
つまり、
個性の無い、記号としての「下層民を虐げる存在」として描かれています。

 

そんなキャラ達が現場(?)に集まっているのなら、
それを活用しない手は無い
と、私は思ったのですが、どうでしょう。

ただの賑やかしなら、
出す意味があったのかな?

折角、上級国民を出すのなら、
バシッと痛い目を見せて、
スカッと観客を爽やかな気持ちにさせて欲しかったといいうのが、
私の希望ですね。

 

伏線を張る作品の難しさは、オチ。

広げた風呂敷を、どう畳むのかが、
ポイントとなります。

本作はそれを、
無難な線を求め、小さく、小さく、畳んでしまった

それが、
本作がラストにてインパクトを失った原因なのだと思います。

 

本作、
展開や構成を凝ったものにした為に、
テーマ性を失っているのですね。

結局、「3人で映画を撮る」という部分しかクローズアップされなくて、終わってしまっているのです。

無難な、中途半端とも言えるラストにするより、
もっと、
ドデカいインパクトもあり得た、

そこが、惜しい作品だと言えます。

 

  • カメが降ってきた

本作、
語られない伏線みたいなものも、
多数見られます。

特に印象深いのは、
「カメが空から降って来た」というニュース。

これはどうやら、
亀田美羽が、死んだペットの亀をビルから落としたという事のようですが、

結局、どういう意味があったのでしょうか?

 

どうやら、設定では、
「右近」(ヤクザ近藤の手下、坊主じゃない方)に当たったそうです。

上級国民が観る、3家族の修羅場の上映会の会場に居たのが右近で、
その時、包帯をしているのが、注意して観れば分かります。

 

さて、右近に亀が当たったというのは、
即ち、
優秀な右腕の方が、現場から退場するという事を意味します。

故に、カオスな状況がラストに起こった、
という展開上の理由付けがなされています。

 

では、亀とは結局、何なのでしょうか?

本作における、「亀」とは即ち、
美羽の、母の思い出というか、幻想

 

美羽は、
家に帰って来た時、
亀に「ただいま」を言う娘ですが、

それは、彼女にとっては、
母に語りかけるのと同じ行為

そんなある日、
亀が死んでしまったら、どうなるのでしょう?

おそらく、
どこかファンタジーとして捉えていた、
近藤が絵図を引いた「亀田家の復讐計画」について、

母=亀=幻想が破壊される事で、
夢から醒めた状況になったのでは無いでしょうか。

 

おそらく、時系列的には、

「亀田家の復讐計画」実行の直前に、亀田家に打ち合わせに来た右近が、
一家と一悶着して亀の水槽を破壊

→亀田美羽が、屋上から亀を落とす

→右近に当たる

的な流れだと思います。

で、
最後の打ち合わせで、亀(=母)を殺されたので、
亀田美羽は、ヤクザの絵図で動く事を放棄した、

そういう流れだと思います。

 

しかし、
ラスト、亀は生きて居たのだと分かる通り、
実際には、母の思い出は死んで居らず、
美羽は、それ故、
(亀の如くに)ゆっくり生きて行く、

という台詞を言えたのだと思います。

 

本篇では語られない場面でも、
妄想を膨らまして、
色々考える事が出来る、

そこは、
本作の面白い部分なのだと思います。

 

 

 

3監督による共同作業によって作られた、
『イソップの思うツボ』。

作り手は、
確かに楽しんで作ったという雰囲気は伝わりますし、
脚本や展開も凝ったものであるというのは、
間違い無いです。

その反面、テーマ性が消失し、
中途半端なオチになってしまったのは惜しい所。

結局、
語られない細部を、勝手に想像で補完して盛り上がるのが、
本作の一番の楽しみなのかもしれません。

とは言え、

こういう、低予算でも、
アイディア勝負で作品を作って行こうとする姿勢は応援したい、

『イソップの思うツボ』は、
そう、思わせる作品です。

 

 

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