映画『クリード 過去の逆襲』感想  逆だったかもしれねェ…!!悪役が主役!?セレブをぶっとばせ!!

ヘビー級チャンピオンとして現役を引退したアドニス・クリード。現在は愛娘の世話をしつつ、ジム経営に携わり、後進の育成に力を注いでいた。
平穏な時を過ごしていた、ある日、少年時代の旧友デイミアンと再会する。ムショ帰りのデイミアンは、辛かった少年時代を兄弟同然の絆で乗り切ってきた盟友。少年時代、ボクシングの世界チャンピオンになる夢を語り合った間柄だった。だが、そのデイミアンは、中年となった今でも、その夢を捨てきれずにいた、、、

 

 

 

 

 

 

監督は、マイケル・B・ジョーダン
一作目の『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)では、何度もタッグを組んでいるライアン・クーグラー監督の下で主演。
二作目の『クリード 炎の宿敵』(2018)では、主演と製作総指揮を兼務。
そして、
三作目の本作にて、主演と兼ねて長篇映画監督デビューした。

 

出演は、
アドニス・クリード:マイケル・B・ジョーダン
ビアンカ・クリード:テッサ・トンプソン
デイミアン・アンダーソン/”ダイヤモンド”デイム:ジョナサン・メジャース
トニー・バートン”リトル・デューク”:ウッド・ハリス
アマーラ・クリード:ミラ・デイビス・ケント

若き日のアドニス:タデウス・J・ミクソン
若き日のデイミアン:スペンス・ムーア二世 他

 

 

 

長い間、「ロッキー」シリーズに関わってきた、シルヴェスター・スタローン。

「クリード」シリーズにも出演していましたが、
「ロッキー」シリーズの権利者と揉めて、
本作からは降板してしまったとか?いう噂です。

 

しかし、
「ロッキー」シリーズを踏襲するのが「クリード」なら、
シルヴェスター・スタローンが『ロッキー2』にて監督と主演を兼ねたのと同様、
マイケル・B・ジョーダンも、本作『クリード 過去の逆襲』にて監督、主演を兼任と相成りました。

 

 

と、いう事で、
「クリード」シリーズ第3作、
『クリード 過去の逆襲』です。

先ず、本作は、
スポーツ映画で初、
「IMAXカメラ」を用いて撮影しているそうです。

なので、
高解像度カメラの恩恵を受け、
ファイトシーンは迫力満点!!

…なのですが、

本作はどちらかと言うと、

ドラマシーン、
ストーリーが面白いです。

 

 

栄光をつかみ、
現在は、ちょっと早い余生を幸せに送っているアドニス。

そこに、
辛酸を嘗めた少年時代にて、
共に支え合った莫逆の友が現われた。

しかもムショ帰りで…

少年時代、
「ダイヤモンド」と呼ばれる程の、ボクシングの才能に溢れていたデイム。

しかし、
長引いたムショ暮らしによって、
今は立派な中年。

元チャンピオンのアドニスに会いに来て、
「俺は諦めていない」
「俺だってやれる」と言います…

 

本作の副題は、日本オリジナルのものですが「過去の逆襲」。

つまる所、

過去の「やらかし」が
巡り巡って、現在の負債としてのしかかってくる

 

そんな話と言えるのです。

 

デイムとの因縁、
アドニス自身の過去、

それは、言ってしまえば他人の物語ですが、
しかし、
過去の「やらかし」の一つや二つ、
誰にだってあることだろう?

 

「ロッキー」シリーズでは、
アクションのインフレが起こったのが、「3」と「4」。

そこから、ドラマ路線へと向かったのですが、

「クリード」シリーズは、
3作目である本作「過去の逆襲」では、
アクションは勿論、
寧ろ、ドラマ部分での展開の面白さも堪能出来ます。

 

「ロッキー」シリーズを含めても、
過去最高の興行収入という謳い文句も伊達では無い、

アクションとドラマ、
両方面を楽しめる作品、
それが『クリード 過去の逆襲』なのです。

 

 

  • 『クリード 過去の逆襲』のポイント

過去の因果が現在に応報

逆だったかもしれねェ…

「許す」という事

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 「許す」という事

本作『クリード 過去の逆襲』のテーマは「許し」です。

 

ボクシングで栄光を掴み、
現在は妻と娘と水入らず、
セレブ生活を満喫しているアドニス。

そこに現われたのは、
辛酸を嘗めた少年時代の亡霊、
過去、兄弟同然の莫逆の友だったデイミアン。

グループホーム(矯正施設)で虐待に耐え、

ボクシングでの将来の栄光を語る二人。

しかし、
一方は友を守る為に捕まり、ムショ行き。
その庇われた友は逃げた。

…逃げた方は、
ボクシングでセレブリティ。

自分はムショ上がりの浮浪者同然の中年。

でも少年の頃の夢は捨てていない
「ボクシングのチャンピオンに、俺は、なる!!」と
リアルチャンピオンのアドニスに宣言しちゃいます。

 

…いやぁ、困りますね。
痛すぎますね。
まるで、
ニートが「俺の夢は満員の後楽園ホールでライブする事」
「俺の夢は直木賞、芥川賞」
「俺の夢は大リーガー」と宣うのと同じですね…

 

ですが、
過去、友を捨てて逃げたアドニスには負い目があり、
デイミアンをジムに迎え入れます。

 

  • 逆だったかもしれねェ…

監督、主演を務めたマイケル・B・ジョーダンは、
日本の漫画やアニメが好きだと言っています。

特にお気に入りは、
『NARUTO -ナルト-』と『ドラゴンボールZ』だそうです。

 

で、本作のオープニングシーン、
部屋で狸寝入りする少年時代のアドニスの部屋には、
『NARUTO -ナルト-』のポスターが貼ってあります。

その「ナルト」の有名な台詞で、
ネットミームにもなっているものに、
逆だったかもしれねェ…」というものがあります。

 

アドニスの負い目、
それは「逆だったかもしれねェ…」って事です。

そして恐らく、
冒頭にわざわざ「ナルト」を映したマイケル・B・ジョーダンは、
偶然でも何でもなく、意識して、
アドニスとデイミアンの二人を、
ナルトとサスケの立場になぞらえて、描いているハズです。

 

つまり、
デイミアンに庇われて、逃げたアドニス。

もしかして、
庇われていなかったら、
デイミアンがチャンピオンになり、
アドニスが収監されていたのかもしれません。

 

アドニスには、
そういう負い目があります。

しかし、
家族や仲間には、
おいそれとは告白出来ません。

何故なら、アドニス自身、
そんな過去の負い目から、逃げ続けていたからです。

 

育ての親、
メアリー・アン・クリードは、
デイミアンのムショからの手紙を、
アドニスに渡さず隠していました。

アドニスは、
「何故、(手紙を)隠してた」と母に詰め寄りますが、
しかし、
自分自身、それは自己防衛からの逃げだと知っています

面会に行こうと思ったら、
いつでも行けた、でも、行かなかったのだから…

 

アドニスの負い目、
それは、自分は友を捨てて逃げた、
そんな過去を持つ自分が築いた栄光というものに、
一体どれ程の価値があろうか?

 

人には、
そういう負い目というものが、
一つや二つは、
人生にあるのではないでしょうか?

友を見捨てた、
親を捨てた、
或いは、
夢を諦めた=自分を信じなかった etc…

過去の負い目ややらかしを思い出した時、
今の自分の人生が、
まやかしというか、
虚しいものに感じてしまわないだろうか?

 

しかし、本作においては、
ついに自分の過去を告白出来たアドニスに、
ビアンカは言います。

(そんな過去があったとしても)
「積み上げてきた栄光の価値は変わらない」と。

つまり、
自分の過去の「やらかし」を「許す」寛容さを持てと、
言われるのです。

自分への「許し」、
それは全てを放棄する無責任では無く、
過去の「やらかし」を受け入れた上で、
その負債を、今現在に、返済してやろうと努力する事にあります。

 

…まぁ、つまりは、ですよ、
ただ漫然と人生を送ってきた人間が居たとしても、

今、頑張れ
という事なのです。

つまり、本作は、
ちょっと回りくどい『アリとキリギリス』みたいなモンなのですね。

 

  • 負け犬が立ち上がるの物語

「ロッキー」シリーズは、
端的に言うと、
「負け犬」が立ち上がる物語です。

うだつの上がらない無名の新人がチャンピオンに挑む、
一度は負けた相手にリベンジする、
友を殺した相手を分からせる、
過去の栄光、ジジイと馬鹿にされても、まだやれると、証明する

一度は、一敗地に塗れている人間の、
再起の努力の物語が、
「ロッキー」シリーズなのです。

 

さて、
その観点から言いますと、
実は、
本作における正主人公は、
デイミアンの方なのです。

ムショ帰りのオールドルーキー。
友さえも、自分がやれると思っていない。
誰もが、どうせ無理だと思っている、
単なる噛ませ犬。

 

しかし、
漫画の『賭博黙示録カイジ』でも、
こんな台詞がありました。
勝つことは偶然じゃない」と。

 

チャンピオンのドラゴを襲って手を潰す、
アドニスは自分で選択したと思っているかもしれませんが、
そう仕向けられたという思考誘導。

勝つ為には、
相手のウィークポイントを徹底的に責めるという非常さ。

しかもそのウィークポイントは、
反則スレスレというか、
反則も厭わず、自ら試合中に作り上げたもの。

 

ムショ帰りで、
恥を忍んで、旧友に泣きつく身も蓋も無さ、
勝利の為に、全ての手を尽くす必死さ、
それを支える孤高の努力と精神力、

デイミアンの身形や過去で、
アイツを信用するなと、
セレブ気取りで警告する、
デュークやメアリ・アン・クリードのお高くとまった態度より、

そんなセレブ共の鼻っ柱をへし折ってやれと、

寧ろ、
根っからの「ロッキー」シリーズファンは、
デイミアンの方に感情移入してしまうのではないでしょうか

 

 

折角掴んだチャンピオンマッチ、
それなのに、親友(と思っていた)アドニスは、
相手のコーナーにベッタリ。

そりゃあね、
「お前、いい加減にしろよ」と、
アドニスはぶん殴られても、文句は言えないですよね。

 

これも、
「逆だったかもしれねェ…」

 

デイミアン視点の描き方によっては、
もしかしたら、
彼の方が主人公だったかもしれませんね。

この様に、
セレブが主人公で、
負け犬側が悪役というのは、
映画的には逆転現象が起きており、
そこが、本作の違和感=面白さ、でもあります。

 

 

クライマックスのチャンピオンマッチ。

二人の戦いはリング上でありながら、
謎のイマジナリー空間で繰り広げられます。

ロープに追い詰められたアドニスは、
そのロープが鉄格子と変化します。

これは、
収監された友を見捨てた自分の負い目でしょうか。

一方のデイミアンは、
追い詰められたコーナーが、
薄汚れたマットレスに変化します。

これは、
虐待の記憶なのかもしれません。

 

そんな二人の対決、
勝負の前は、
過去の因縁で憎み合う事になってしまったと思われましたが、

しかし、

試合自体は何故だか、
何処か、
雑念など微塵も介入しない、
全力を尽くすが故の清々しさすら感じられました。

 

試合の後、
二人は互いに「許し」合います。

あれだけやらないと、
「許し」の境地に行けないのか!?

確かに困難ですが、
しかし、
だからこそ尊い許しの物語。

ボクシング映画ながら、
ストーリー面でも魅せてくれる作品

それが『クリード 過去の逆襲』と言えるのです。

 

 

 

 

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