男娼のベルトランは客の作家が急死した場面に居合わせ、彼の遺した戯曲を奪い、自分の作品として発表する。それが大ヒットし、一躍人気作家となった。しかし、次作が作れず悩んでいる所、娼婦エヴァと出会い、彼女を題材にして作品を作ろうとするのだが、、、
監督はブノワ・ジャコー。
エヴァ役のイザベル・ユペールと、6度映画作りをしている。
主な監督作に
『鳩の翼』(1981)
『肉体の学校』(1998)
『マリー・アントワネットに別れをつげて』(2012)等がある。
出演に
ベルトラン:ギャスパー・ウリエル
エヴァ:イザベル・ユペール
カロリーヌ:ジュリア・ロイ
レジス:リシャール・ベリ 他
エヴァ役のイザベル・ユペール、
御年65歳で、娼婦役に挑む。
…これこれ、引くでない。
この、年齢を超越したキャスティング、
興味をそそられないですか!?
人気作家となり、カロリーヌという婚約者も居るベルトラン。
しかし、パトロンからは次作を出せと催促が引きも切らない。
そうは言っても作品が作れないベルトラン、
偶然出会った「エヴァ」という娼婦に惹かれ、
彼女を題材にして戯曲を作るという名目で、
何度もエヴァと会うのだが、、、
この粗筋で大体予想が付く通り、
本作は、
破滅の物語。
ひょんな事から幸運を手に入れた男が、
結局はそれを失ってしまうまでを描く作品です。
しかし、
「人の不幸は蜜の味」とも言いますし、
コイツ、馬鹿だな~
と、ツッコミながら観るのは、
ちょっと暗い楽しみがあるものまた事実。
こういうキリギリス的な人間の破滅を観て、
我々アリは、
日々、真面目にコツコツと生きよう、
そういう教訓を得るのもまたいいでしょう。
ある程度予想され得る結末、
しかし、それでも面白いのが悲劇というか、破滅の物語。
『エヴァ』は、そういう映画です。
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『エヴァ』のポイント
中身の無い「カッコ付けマン」を見事に演じたギャスパー・ウリエルの演技
65歳にして娼婦を演じる、イザベル・ユペール
掴んだ幸運を、どう活かすか?
以下、内容に触れた感想となっております
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イザベル・ユペールという女優
本作『エヴァ』を観る前に先ず思った事は、
1953生まれ、65歳のお婆ちゃんを娼婦役にするのは、ぶっちゃけ、無理じゃね?
という事です。
そういう偏見も、実際に映画を観たら消えるだろう、
そう思って観に行きました。
やっぱり無理じゃね?
どう観ても、
何処から観ても、
お婆ちゃんです。
しかも、私の祖母にどことなく似ています、、、
なんで、フランス映画は、イザベル・ユペールを「若々しい役」で起用するのでしょうか?
『エル ELLE』(2016)や
『ハッピーエンド』(2017)といった出演作でも、
実年齢より若い役でした。
何故か?という理由は解りません、
おそらく、彼女の演技力が年齢を超えてうんたらかんたら…
なのかもしれません。
しかし、気付いた事があります。
もしかして、イザベル・ユペールは、
日本で言う所の吉永小百合ポジションなのではないのか?と。
吉永小百合は
1945年生まれ、御年73歳。
驚くべき若さで、
年齢を超越した役を、近年多数演じています。
それを考えたら、
イザベル・ユペールもまだまだ若い!!
永遠のアイドル、吉永小百合。
日本にサユリストが居るように、
フランスにもイザベル・ユペリストが居るのかもしれませんね。
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幸運を無駄にした男の話
そのイザベル・ユペールが、
本作『エヴァ』で演じるのは、
破滅をもたらす娼婦の役。
因みに、
映画『愛、アムール』(2012)でも「エヴァ」という役をイザベル・ユペールは演じていました。
閑話休題。
とは言っても、このエヴァは悪女という訳ではありません。
仕事と私生活、
この二面性がある、
ごく普通の人間に過ぎないのです。
エヴァが悪女というより、
エヴァに粘着して、執着したベルトランが勝手に破滅する、
謂わば、
馬鹿の自滅に巻き込まれた被害者とも言える存在です。
エヴァは、
その登場シーンこそ型破り感はありましたが、
その後のシーンの数々では、
「私生活もある普通の人」
という印象で描かれる為、
その対比で余計にベルトランの愚かさが際立っています。
ベルトランは、盗作により名声を手に入れます。
それなのに、
何故かパトロンに次作の約束をしています。
婚約者のカロリーヌや、
パトロンのレジスから次作の催促を受けますが、
ベルトランが作品を書けないのは、ほぼ間違い無い事なのです。
自分でもそれを分かっていながら、
事実を直視せずに「何とかなるだろう」と思って「なおざり」にしているのです。
これぞ正に、怠け者の心理。
そして、尻に火が付いたベルトラン、
彼がやる事は、娼婦エヴァへの粘着行為。
エヴァとのファースト・コンタクトがちょっと面白かったので、
彼女を題材にしたら面白い話が作れるかも!!
そう思っちゃったんですね。
しかしその後、
会話形式のシノプシスをカロリーヌに酷評されたりした事も影響したのか、
レジスに説明する粗筋では、
「エヴァを自分に惚れさせる」などと、ちょっと方向性が変わってしまいます。
ベルトランは、
「戯曲を書く」という事に加えて、
「娼婦を自分に惚れさせる」という、
不可能に不可能を重ねて、それを実行しようとしているのです。
岡目八目。
誰だって、それが無理だと気付きます。
そう思わないのは自分のみ。
イライラする程愚か者ですね。
大体、自分の婚約者がパトロンと浮気しても気付かないアホですよ!!
自分は何も積み上げずに、
ただ単に宝くじが当たった様な幸運により名声を手に入れた、
それなのに、
自分には「その実力がある」と言わんばかりの行動を取る為に、
その分不相応さが破滅にまっしぐらの行動となっているのです。
しかし、他人の行動で批判するのは簡単です。
むしろ、自分の事となると、人は現実が見えなくなります。
自分の都合の良いように解釈してしまいますからね。
人の振り見て我が振り直せ。
この教訓を強烈に思い出させる。
『エヴァ』のベルトランはそういう存在なのです。
では、思わぬ幸運を手に入れたら、どうすれば良いのか?
結局は人間、自分が分かる事しか出来ません。
ベルトランは一作で引退して、
その後は稼いだお金を投資するなり、
それを元手に自分が得意な別の事をするべきでしたね。
もしくは貯金か!!
それが庶民には一番堅実な選択肢だと思います。
幸運が切っ掛けで成功しても、
人は別人になれない。
結局は身分相応の結果に落ち着いて行く。
人生、日々、真面目に修行を積む事が、一番大事、
その事を思い起こさせる作品、
それが『エヴァ』なのです。
悪女により破滅する人間、
それは主観的な見方であり、
これを客観視すれば、
実は相手を「悪女化」しているのは、自らの愚かさ故なのだ。
努々、この教訓を忘れずに生きていきたいですね。
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こちらは原作小説、結構昔の作品(1945年発表)です
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