ある者は騙され、ある者は口車に乗せられ、そして、ある者は拉致され、漁船で働かされる男達。彼達は無給で酷使され、数ヶ月から数年拘束され、時には、無惨に死を遂げる…
タイの水産業にて「海の奴隷」として使役されている者達を救うべく、一人の女性が行動を開始した。彼女の名は、パティマ・タンプチャヤクル、、、
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監督は、シャノン・サービス、ジェフリー・ウォルドロン。
出演は、
パティマ・タンプチャヤクル
トゥン・リン 他
2008年、
毎日新聞や読売新聞で取り上げられ、
再脚光を浴びた、
『蟹工船』(小林多喜二:作)。
1929年に発表されたこの作品は、
非道な監督と、
奴隷のように扱われる船員達、
苛酷な労働環境で虫けら以下に使い捨てられる人々、、、
プロレタリア文学の名作として、
現在まで読み継がれています。
今読んで、
自分の境遇と、『蟹工船』で描かれた様子の共通項を見出し、
労働について、考え、共感する、
という事はあるでしょう。
しかし、
正に、『蟹工船』と同じ事が、
現代も起こっているとしたら、どうでしょうか?
信じられますか?
世界でも有数な水産国家であるタイ。
そこでは、
違法な漁業がまかり通っている現状があるそうです。
「良い話がある」
「工場での労働だ」
などと、嘘の口車に乗せられたり、
夜の街で遊んでいて、気付いたら船の上だったという、
拉致された人、等。
人身売買業者に騙され、拉致され、
ミャンマーやラオス、カンボジアなどの貧困国からなども集められ、
「海の奴隷」として、数万円で売り払われた労働者、
彼達は、無給で、
数ヶ月から数年拘束され、遠洋漁業に従事、
船長に殴られ、こき使われ、
指などの身体欠損、傷の後遺症、
時には、使えないとなれば、生きたまま海に捨てられる etc…
まさか、そんあ事があるのか!?
そう驚愕しつつも、
実際は、
『蟹工船』は100年前の話だから、
遠い国のタイの話だから、
と、
自分とは無関係、我関せずと、
心の中では、安全圏に居ると思うのではないでしょうか?
しかし、
日本は、タイの水産業の世界大2位の輸入量を誇るそうです。
安価なツナ缶や、
猫缶など、
奴隷労働で漁獲された、多くの水産資源が日本に輸入されており、
つまり、
日本の食卓や消費は、
ある意味、奴隷労働によって賄われていると言えるのです。
本作『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』は、
そんなタイの違法水産業に異を唱え、
奴隷として働かされていた人達の社会復帰、権利の保証、支援を行う団体、
「労働権利推進ネットワーク(LPN)」の共同代表、
パティマ・タンプチャヤクルの活動を追ったドキュメンタリー作品です。
2017年にノーベル平和賞の候補にもなったという、
パティマ・タンプチャヤクル。
彼女の活動、
違法労働から逃げ、インドネシアの離島などに潜伏する、
元・奴隷労働者を探し、
救出、帰還の支援を行う様子が、
本作では描かれます。
奴隷労働の撲滅を目指す。
映画や漫画、小説などのフィクションなら、
奴隷労働業者や、人身売買組織そのものの摘発や、
胴元へのリベンジを描き、
カタルシスを生み出すのではないでしょうか。
しかし、
現実は非情である。
本作では、
そんな悪の組織に打撃を与えるという様子は描かれません。
漫画のカイジの地下労働篇で、
チンチロ勝負で班長の大槻にリベンジするなんて展開は、
起きないのです。
パティマを案内した船の船長が言うには、
違法労働の調査をしていると言えば、
妨害や攻撃を受けると警告します。
事実、何者かに追跡され、
脅迫らしきプレッシャーを、彼女達の一行は受けます。
故に、
LPNの行動は、
飽くまでも、人道支援。
元・奴隷労働者の社会復帰に焦点が当てられています。
作中、
彼女達の捜索が功を奏し、
人づてに、数人の元・奴隷労働者を発見します。
パティマは聞きます。
「タイに帰りたいか?」と。
しかし、
大半の男達は、判で押した様に、同じ事言うのです。
「ここで、もう家族が居るから…」
奴隷労働で逃げた先、
現地で、家族が出来たから、
故郷には帰れない。
彼達は、
本当に、そう思っている訳ではありません。
発見された、元・奴隷労働者の一人は、加えてこう言いました、
涙ながらに「私は、人生を無駄にしてしまった」と。
長い期間、奴隷として扱われ、人権を奪われ、
逃げ隠れた果てに、
追手の来ない遠い地で暮らす。
人生、こんなハズでは無かった、
もっと、可能性があったのではないか?
今更戻っても、家族に合わす顔が無い、
なんて、無駄な年月を過ごしてしまったのか、
気付けばもう、取り返しが付かない。
元・奴隷労働者達は、
自らを恥じているのです。
彼達が、そう思う必要なないハズです。
真に恥ずべきは、
奴隷として搾取した、違法業者の方です。
しかし、
人権を剥奪され、人間の尊厳を奪われる奴隷労働というものは、
自己肯定感を破壊し、
人生の喜び、そのものを破壊してしまうものなのです。
何故なら、
奴隷として働かされている自分を肯定してしまったら、
奴隷主を、肯定してしまう事になるから。
自己を否定する事で、
自分を奴隷扱いする相手を否定する、
人間に残された、
最後の、消極的な抵抗であるのです。
これは、
イジメや、過労にて自殺してしまう人のメンタリティですが、
抵抗する気力を失ってしまった人にとっては、
それが、
せめてもの「異の唱え」であります。
しかし、
元・奴隷労働者の中には、
帰りたいと言う人もいました。
彼は、スタッフに手伝われ、
早速、顔写真と、故郷の地名をLPNのフェイスブックに載せると、
あれよあれよと言う間に、
村長の連絡先へと繋がり、
そこから直ぐに、
父親の電話番号が判明、電話をかけます。
そう、
現代のテクノロジーを使えば、
実は、何時だって、帰る事が可能だったのです。
あっけない程に。
ただ、
そのやり方と、切っ掛けが無かっただけ。
元・奴隷労働者達は、
それ程、打ちのめされており、
LPNの活動は、
そんな彼達を支援する事に、主眼が置かれているのだと、
改めて気付かされます。
元・奴隷労働者達は、
自分の人生は詰んだと、
半ば、希望を失い、
諦念の境地にいます。
しかし、
善意の他人の、ほんの少しの手伝いを受け入れる勇気があれば、
意外と簡単に、
救いが訪れる事もあるのです。
遂に帰国し、
父を再開した元・奴隷労働者が、
力が抜けて床に座り込んだ様子に、
思わず、涙が込み上げました。
LPNの活動に参加し、
パティマの今回の捜索にも加わっていた、
元・奴隷労働者のトゥン・リンは、
同じく、
違法労働で、数年の奴隷労働の経験者達に語ります。
自分を恥じる事は無い、
私達の経験を、プラスに活かす事も出来る、
怪我をして、その補償を国に申請するのは、我々の当然の権利だ、と。
経験者だから語れる事もあり、
社会復帰出来たという前例であるからこそ説得力があり、
他の被害者達も、彼の堂々とした様子を参考に出来るのです。
パティマ達、
LPNの活動は、攻勢とは言い難く、
飽くまでも、人権保護、補償、支援に主眼が置かれています。
しかし、
「違法労働における水産業がまかり通っている」
という現状を世界に広く知らしめ、認知させる事で、
それを打破する切っ掛けが、
掴めるかも知れません。
本作の意義は、そこのあります。
ラストシーンも印象的。
調理された魚料理。
それが、逆回しで、冷蔵庫からスーパー、
卸業者から、水揚げ、漁船へと遡って行きます。
我々が食べ、享受している魚も、
元は、奴隷が獲ったものなのかもしれない。
それを考えてみることが、
必要なのだと、訴えて来るのです。
安売りは、
買う方にとってはメリットかもしれません。
しかし、
抑えられたコストが人件費というならば、
その究極は、無給労働=奴隷であり、
その結果の安さの享受というのなら、
それは、
巡り巡って、
自身の給料をも抑えられる、
という論理を肯定する事にもなります。
労働者に給料を払わないという事は、
ひいては、
世界全体を貧しくする、
故に、
労働者へ、正当に給料を支給しなければならない。
そういう事も考えると、
『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』は、
他人事では済まされない作品なのではないでしょうか。
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『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』のポイント
現代の蟹工船、タイの違法漁業による奴隷労働
安売りを無自覚に享受する事の罪深さ
人生、詰んだと思っても、そこからの再生もあり得る
コチラが、100年前のプロレタリア文学の名作、小林多喜二の『蟹工船』です
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