スーパーで買い物をする父子。しかして、その実態は万引きであった。何も買わずに盗るだけ盗って、途中の肉屋でコロッケ買って帰る道すがら、二人はベランダに締め出されている少女に出会う、、、
監督は是枝裕和。
本作品で第71回カンヌ映画祭パルムドール賞受賞。
主な監督作に、
『誰も知らない』(2004)
『花よりもなほ』(2006)
『そして父になる』(2013)
『海街diary』(2015)
『海よりもまだ深く』(2016)
『三度目の殺人』(2017)等。
出演は、
治:リリー・フランキー
信代:安藤サクラ
亜紀:松岡茉優
翔太:城桧吏
初枝:樹木希林
じゅり:佐々木みゆ 他
日本の作品が、カンヌ映画祭にてパルムドール賞を受賞するのは、
1997年の今村昌平監督作『うなぎ』以来21年ぶり。
公開直前にこのニュースが飛び込んできて、
まさにベストタイミングです。
そんな本作、
まるでフランス映画っぽい感じです。
この雰囲気なら、フランスで評価されるのも頷けます。
ハリウッド映画の様に、
観客に優しい分かり易い映画では無く、
観た人間が、それぞれ、
何を持って帰るかは、観客その人に任されています。
では、何を持って帰ると言うのか?
それは、本作で描かれている事、即ち
家族の在り方です。
血の繋がらない疑似家族、
貧困、
犯罪、
DV、
性風俗 etc…
この映画にて描かれている事は、他人の不幸なのか?
映画を観に行く様なハイソな人間には、
全く関係無い世界なのか?
本作にて描かれる家族は、血の繋がりの無い集団です。
その彼等の日々の生活を、
まるでドキュメンタリーの様に淡々と描き出しています。
本作を観て、
その全てが他人の不幸と断じる人は、
実は居ないのでは無いか?そう感じます。
まるで出歯亀の様に、
底辺家庭の苦境を覗き見する感覚になりますが、
その全てを「自分と無関係」とは
きっと切り離せないハズです。
そんな、なんとも粘り着く様な違和感が後々まで残る。
そういう重さを含んだ作品、
それが、『万引き家族』なのです。
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『万引き家族』のポイント
家族の在り方
家族のそれから
決して無視出来ない、他人の不幸
以下、内容に触れた感想となっております
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客入り上々
是枝裕和監督は、
その作家性もさる事ながら、「ネームバリューで安定してお客を呼べる」監督であると言えます。
それは、真摯な映画作り、
そして、期待を裏切らない独特の空気感を持った映画を作り続けているからです。
つまり、映画を作れば作る程に、固定ファンが増えているんですね。
そして、近年、
作家性にも加えて、
「観客動員」を狙って、意識して作っている部分も見受けられます。
『そして父になる』(2013)
では、主演に福山雅治。
『海街diary』(2015)
では、同名漫画を原作に、
旬の女優、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずと、贅沢に4人もキャスティング。
『海よりもまだ深く』(2016)
では、阿部寛を主演に、どこかコミカルで観やすい感じに。
『三度目の殺人』(2017)
では、再び福山雅治を主演、役所広司、広瀬すずと、鉄壁の布陣を。
まず、「客を呼べる俳優」をキャスティングし、
その上で映画の面白さを観せる。
そういう方式を近年採っています。
しかし、
本作はその近年のどの作品より、
というより、是枝裕和作品でも一番の客入りとなっています。
(私個人の映画館で感じた印象では)
それは何故か?
理由は単純。
「賞を取ったから」です。
モンドセレクション金賞、
世界遺産、
ISO14000、
ノーベル賞、etc…
人は、権威というかお墨付きに弱いです。
例え権威付けしたその実態を、自分が理解していなくても、
何となく「人が評価しているのなら」
という理由で、それを有り難がります。
確かに、何も知らないなら、
先ず人の評価が高いものを触れる事が、
そのとっかかりになります。
しかし、
必ずしも「評価が高い作品=面白い作品」では無い所が厄介です。
本作『万引き家族』も、
淡々としたドキュメンタリータッチの作品なので、
ただ、さらっと観ただけでは、作品の面白さまで気づけないかもしれません。
是枝監督作品で言えば、
観た人に親切で直接面白さが伝わる作品と言うなら、
『そして父になる』
『海街diary』
『海よりもまだ深く』
の方が最適でしょう。
一方『万引き家族』は、
作品を観て、積極的に考える必要があります。
(これはこれで面白い作業です。特に、批評家連中には垂涎でしょう)
まぁ何にしろ、
客入り上々なのは目出度い事です。
願わくは、
「…何か、期待外れだったな」
と、思う前に、
この映画で描かれている現状が、今、現在の日本においては、
誰にでも起こり得る事であり、
「他人の不幸」では無いと理解して頂きたいものです。
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貧困家庭
本作『万引き家族』で描かれる事から何を受け取るか、
それは人それぞれですが、
描かれるテーマは明白、「家族」です。
先ず、この家族、
独り暮らしという体のお婆さん、初枝の家に居候している、
全員が血の繋がらない疑似家族です。
この家、一目で汚い感じですね。
物が沢山、至る所に積み上がり、
風呂場も薄汚れた感が漂っています。
先ず、掃除をしない、
というか、出来ない。
何故掃除をしないのか?
それは、家の中を掃除をする暇も無い程、外で働いている、
と言いたいですが、
実際は、面倒くさがっているだけなんでしょうね。
この、細かい日々の努力を怠るあたり、如何にもだらしなく、
後先考えず、成り行きで何とかなる、とでも思っている人生の見通しの甘さが透けて見えます。
そして、物が沢山ある。
これは、貧乏性だからです。
それなりに裕福なら、
不必要なものは処分するという決断が出来ます。
しかし、貧乏なら、
「いつか使うかもしれない」
という発想で物を保存し、
その「いつか」が来ないまま、
物だけが溜って行くのです。
また、
生活スペースに対する人口密集の度合いが大きいから、
住空間に物があふれ出しているとも言えます。
掃除をせず、
不必要な物だけが沢山溜っている。
これは貧困家庭の特徴だと言えます。
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父と息子
この疑似家族の中で、
特に私が気になったのが、
リリー・フランキー演じる治と、
息子の翔太の関係です。
パンフレットのインタビューにて、リリー・フランキーはこう答えていました。
「最初に台本を読んだ時、ものすごく欠落した人だって印象があったんですよ。信代とのセックスに関しても、是枝さんの設定では、ほとんど治は性経験のない人なんです。(中略)仕事に行っても人とコミュニケーションが取れなくて、誰かと話が出来るのはこの家の中だけっていう。でもそれは、治にかぎらずたくさんの中年男性のジレンマだと思う」(以上、パンフレットより抜粋)
治という人物は、
自分がこうなりたいと思う所と、
自己評価との乖離に苦しむ人間なんでしょうね。
亜紀に、
「信代さんといつセックスしてるの?」と聞かれ、
治は
「心で繋がっているんだよ」と答えます。
翔太に万引きの正当性を聞かれた時には、
「店に並んでいる時は、まだ誰の物でも無い」と答えています。
職場では、箒を持って黙ってウロチョロするだけ、
しかし、
家に帰ると「べらんめぇ口調」で、ちょっと威勢の良い感じ、
職場の社員に「家族が居るのは意外」と言われる始末。
他人の前ではごくごく大人しい、無口なイメージ、
しかし、家に帰って親しい人間の前では、
無い虚勢を張って威勢の良いところを見せる。
家の外=社会的には顧みられて居なくても、
家の中=家族の前では、父親のイメージを作っている。
翔太が家に帰って来ない夜、
外に探しに行き、じゅりの事を治は語ります。
「男同士の方が楽しいけれど、じゅりも自分が役に立たないと居場所が無いだろう」
父親らしい、飾らない良いセリフではありますが、
一方、
「役に立たないと居場所が無い」とは、実は自分の事、
翔太に父親として認めて貰い、
自分の居場所が欲しかった、その自己心情の吐露であるとも言えます。
しかし、その認めて貰いたかった相手、
翔太は段々と自意識を獲得して行きます。
じゅりへの嫉妬もそうですが、
万引きへの罪悪感、
(正当性への疑問、「やまとや」の主人との関係性)
自分が車の中から助け出された事は、
実は車上荒らしの「ついで」だったのではないかという疑念、
治が口だけで言い繕って来た事だけでは、
カバー出来ない事態が発生して行くのです。
特に、「やまとや」の主人に、
自分が万引きしていた事がバレバレで、それを見逃されていたという事実を知った時。
治から教わった万引きを、
翔太はじゅりに教えますが、
「やまとや」の主人は
「妹には万引きなんかさせるんじゃないぞ」と警告します。
万引きは悪いこと、
翔太はそれに気付きます。
そして、スーパーにて万引きをするじゅりを庇う形で、
翔太はわざと捕まってしまいます。
しかし、治はその翔太を置いて夜逃げしようとして、
警察に確保されます。
翔太は警察に聞いたその事を治に尋ね、確認します。
それを認めた治に翔太は
「実はわざと捕まったんだ」と告白する翔太。
治は「そうか」としか言えません。
このシーンこそ、やはりクライマックス。
じゅりを庇った翔太の行為や心情について、治は何も気付かず、
一方、翔太は自分を見捨てたと言う治の行動に正当性を感じられない。
短いやり取りの中、翔太は治を二度試し、
治は試された事に気付かず、ただ正直に答えるだけだった。
治が何故翔太のこの心情に気付かなかったのか?
それは、彼自身の幼児性、
責任を負わず、
何も積み上げて来ず、
その日暮らしに終始した結果の人生、
治自身が子供だったからなんですね。
結局、ラストは、
まるで治の方が、親に置いて行かれた子供の様に、
身も蓋も無く走ってバスを追いかけています。
心情的に成長した翔太に対し、
子供のままの治の対比が痛い終わり方と言えます。
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各人のそれから
『万引き家族』の疑似家族は、崩壊して終わります。
しかし、各人のその後の人生が全く違っている(だろう)事が、また印象深いです。
じゅりは元の生活に帰ります。
親のDVは変わらず、何も解決されていません。
幼い彼女は、自分が疑似家族の中で暮らした事すら忘れてしまうかもしれません。
翔太は施設に入ります。
しかし、彼なりに世の中を感じ、考え、
また、自分のルーツも知って、
この後、どの様な人生を歩むのか、
厳しくはありますが、彼自身の双肩にかかっています。
亜紀は、一見何のお咎めも無い様に見えます。
しかし、疑似家族とはいえ、
それを自分が売ったという事実、
また、初枝の目的はお金だったのかという疑心、
これらの罪悪感に苦しむ辛い人生が開始されると予想されます。
信代は収監されます。
彼女がこの後、再び治と寄りを戻すのか、
それすらも分かりませんが、
彼女自身は、「いつか来る破綻」を覚悟しおり、
その清算をしているという印象を受けました。
治は一人暮らし。
生きてはいますが、
しかし、この後の人生で、何か起きる事は無い、
そんな終わってしまった感があります。
初枝は死にました。
死は誰にでも来ますが、
その終わり方は千差万別。
彼女は一人で死なないという形を選んだのです。
選んで家族となった共同体、
しかし、一時縒り合わさった糸は、
今、ほどけてまた別の道を行き、
各人の人生を再び生きて行く事になりますが、
年齢が高い程、
より家族だった時の影響が後の人生に強く影を落し、
そして若い程、
よりやり直しが効く印象です。
残酷ですが、それが人生なんですね。
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出演者補足
本作にて信代を演じたのは安藤サクラ。
ほっぺたパンパンで、お肌ツヤツヤ、
終始和風の笑い顔を保っていた彼女、
独特の色気がありましたが、
実は出産直後の撮影だったそうです。
因みに妊娠中は『DESTINY 鎌倉ものがたり』にジェンダーフリーな死神の役で出演していました。
夫は柄本佑。
本作で「やまとや」の主人を演じた柄本明の息子ですね。
ドキュメンタリータッチで淡々とした印象、
しかし、何処に注目して、
何に感情移入するかは、観た人に委ねられる。
そういう、懐の広さがある、映画『万引き家族』。
何を受け取るのか、
それとも、ただ流すだけなのか、
観る人間の積極性も必要ですが、
しかし、こういう映画体験もまた、たまには良いものなのです。
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