1970年代、かつては有能な写真家として馴らしたユージン・スミスだが、今は酒に溺れ、偏屈オヤジと化していた。
しかし、縁あって水俣の「公害」を知ったカレは、病に犯された人々の苦境を世に知らしめる為に、カメラを手に現地に向かうのだが、、、
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監督は、アンドリュー・レヴィタス。
他の長篇映画監督作に、
『Lullaby』(2014)がある。
出演は、
W.ユージン・スミス:ジョニー・デップ
アイリーン:美波
ヤマザキ・ミツオ:真田広之
ノジマ・ジュンイチ:國村隼
キヨシ:加瀬亮
ロバート・”ボブ”・ヘイズ:ビル・ナイ 他
「水俣病」という、名前だけは、
小学生当時の、社会科の時間で習っていたので、
今でも、覚えています。
四日市ぜんそく、や
イタイイタイ病、と共に、
「公害」とは何ぞやと習いましたね。
戦後の高度経済成長期に、
急速に発展した日本ですが、
その繁栄の負の側面として、
「公害」が存在していました。
四大公害病として知られる、
これら
「水俣病」
「第二水俣病」
「四日市ぜんそく」
「イタイイタイ病」は、
1950年代~70年代にかけて問題になりました。
先日(2021/11/03)、
突然、
『ゴジラVSへドラ』の新作特撮が
YouTubeの「Godzilla Channel ゴジラ(東宝特撮)チャンネル」にて公開されていましたが、
この、「へドラ」も、
「公害怪獣」との二つ名がある怪獣でした。
さて、
名前だけは知っていても、
詳しい内容を知らない「水俣病」。
Wikipediaによりますと、
メチル水銀の水質汚染や底質汚染を原因とし、
魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じた
との事。
水銀を垂れ流しながらも、
当初は、因果関係を否定した、会社側の「チッソ」。
しかし、そんな言い訳を覆し、
実験的に水銀公害が証明され、
政府より公害と認定されたのが1968年。
後に、第一号患者と知られる症状が確認されたのが、1953年、
水俣病の公式確認が、1956年。
このタイムラグが、
被害を更に拡大させたとも言えるのではないでしょうか。
ユージン・スミスが来日、水俣を訪れたのが、
1971年。
この年は、
新潟水俣病の第一次訴訟で、
地裁にて、原告が勝訴した年。
また、
1970年、
患者側が、
チッソの株主総会に乗り込んだり、
東京本社に乗り込み、社長に直接交渉、本社にて座り込みを行ったりしました。
(1971年)
千葉県、チッソ五井工場にて、
患者や記者に対して、労働者が暴行を行った「五井事件」が起きたのは1972年。
ユージン・スミスも、この時重傷を負ったとの事。
熊本県が、
汚染魚封じ込めの為に、仕切網を設置したのが、1974年。
この年、3年に亘る取材を終え、ユージン・スミスは、アイリーンと共にアメリカへ帰国。
その成果の写真集「MINAMATA」が発売されたのが、
1975年だそうです。
(日本版は1980年出版)
で、
ユージン・スミスは1978年に逝去。
「MINAMATA」が遺作となったそうです。
本作『MINAMATA-ミナマタ-』は、
ユージン・スミスの水俣での軌跡を、
事実に即する形で、映画化した作品。
なので、
まぁ、ハッキリ言ってしまえば、
淡々と、事実を描写する、
至って普通のノンフィクション系映画作品です。
つまり、
単体の映画としては、
凡庸と言うレベルの作品でしょう。
しかし、
こういうノンフィクション系の、
「事実を基にした作品」というものは、
鑑賞した後、
その「事実」について、
追加取材じゃありませんが、
裏取りといいますか、
作品の背景を、
各自が、確認する事で、その価値が深まるものだと思います。
映画の描写の、実際の背景は何か、
又、
事のあらましを、映画ではどの様に描写したのか、等。
映画化されるような事件、事故などの「出来事」には、
将来に活かせる、
多くの教訓が含まれています。
それを、
汲み取る作業こそが、
実話系映画が存在する、
最も重要な理由なのではないでしょうか。
本作で言うなら、
公式発表のみを鵜呑みにする事の危うさ、
自分より大きい、
「会社」を相手どってでも、声を上げ続ける勇気の重要性、
事を成すために必要な忍耐力の必要性 など。
正に、典型的な実話系の映画作品、
それが『MINAMATA-ミナマタ-』です。
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『MINAMATA-ミナマタ-』のポイント
声を上げる勇気
事を成す為の忍耐力
映画から入り、事実を確認する
コチラがユージン・スミスの写真集
何故か、定価ではなく、プレミア価格
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