一家四人、揃って失業中のキム家は、今日も内職で糊口を凌いでいた。
そんなある日、長男のギウは、旧友の紹介で金持ち家族パク家の娘の家庭教師の職を得た。
そこで、ギウは一計を案じ、妹のギジョンもパク家の息子の家庭教師として潜り込ませる事に成功する。
更に、父や、母も、、、
監督は、ポン・ジュノ。
韓国出身。
監督作に、
『ほえる犬は噛まない』(2000)
『殺人の追憶』(2003)
『愚エルムー漢江の怪物ー』(2006)
『母なる証明』(2009)
『スノーピアサー』(2013)
『オクジャ/okja』(2017)等がある。
出演は、
キム・ギテク:ソン・ガンホ
キム・チュンスク:チャン・ヘジン
キム・ギウ:チェ・ウシク
キム・ギジョン:パク・ソダム
パク・ドンイク:イ・ソンギョン
パク・ヨンギョ:チョ・ヨジョン
パク・ダヘ:チョン・ジソ
パク・ダソン:チョン・ヒョンジョン
ムングァン:イ・ジョンウン 他
「パラサイト」という単語を私が知ったのは、
漫画『寄生獣』からでした。
「パラサイト」の言葉の意味は、寄生虫。
一般的に広まったのは、やはり、
「成人しても親のすねをかじる」という意味での、
「パラサイト」という言葉でしょう。
そういう意味でも、
単語自体が、負のイメージに満ち満ちた、
本作『パラサイト 半地下の家族』とは、
一体どんな映画なのでしょうか?
さて、
本作は、2019年のカンヌ映画祭の最高賞であるパルムドールを受賞しています。
韓国映画では、初の快挙。
2018年の、日本の是枝裕和監督作品の『万引き家族』に引き続き、
アジア圏の映画が受賞した事になります。
そして、
作品のテーマとしても、
『万引き家族』を通底するモノを持っています。
それは、
格差により分断された社会構造における、
下級国民の日常を描いているのです。
本作は、そういった、
社会風刺、体制批判的な部分が、
作品に内包されているのは、事実です。
『万引き家族』の様に。
しかし本作には、
『万引き家族』と決定的に違う点があります。
それは、
作品を覆う、
どうしようも無いブラックユーモアという部分です。
お互いが家族であるという事情を隠し、
パク家に、巧妙に「寄生」してゆくキム家の面々。
まぁ、確かに、
騙しているのは頂けないけれども、
パク家は現状のサービスに満足しているし、
何より、
下級国民が、上級国民から金を吸い取っている様子を観るのは、
共感を覚え、
その逞しさを応援せずにはいられません。
下級国民がなんぼのもんじゃい。
ちょっとした切っ掛けで、
物事が上手く行く様になる。
人生とは、
そういうもの、、、
なんて、
甘いモンじゃぁありません。
ところがどっこい、夢なんて、ありません、これが現実。
漫画「カイジ」の登場人物、
一条ならそう言って、
下級と上級の決定的な社会的な分断を強調するでしょう。
つまり、
下級は、上級に上がれないからこそ、
そういう社会構造が成り立っているのか!?
ユーモア感覚だけじゃない、
どうしようもない「闇」を抱えているからこそ、
逆に、笑いが際立ちます。
上級国民の生活と、
下級国民の日常、
笑いと、
シリアスの振れ幅。
現代の韓国が抱える「闇」を描きながらも、
それは、
現代の世界全体が抱える「格差」という社会をも照らしているのです。
『パラサイト 半地下の家族』は、
今、観るべき作品と言えます。
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『パラサイト 半地下の家族』のポイント
上級国民と下級国民の社会的分断
ブラックな笑いに満ちたユーモア感覚
プランが破綻する時
以下、内容に触れた感想となっております
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パラサイト
本作『パラサイト 半地下の家族』は、
上級国民であるパク家に、
下級国民のキム家が巧みに入り込み、
まるで、体表に貼り付き、生き血を吸うヒルの如くに、
喰い種にするという展開をみせます。
その様子が、
ブラックな笑いで綴られ、
それを観客は、
間抜けな上級国民を嘲笑い、
逞しい下級国民を見世物として楽しみながら、
安全圏で楽しむ事が出来る作品となっています、
前半までは。
本作、
キム家は、パク家に「寄生」してはいますが、
それは、表面的な部分において。
後半にて明かされる、
パク家の豪邸の地下深くに住まう、
獅子身中の虫たる、本当の「寄生虫」の存在が明かされる時、
観客は、
何とも言えぬ不安感と、
アイデンティティが揺るがされる恐怖感を味わう事になります。
笑い事で済ませていた事が、
実は、そうでは無かった。
パク家と、キム家の様子を笑っていたハズが、
自分も、真相に気付いていなかった間抜け振りを思い知らされるからです。
この、
ユーモア転じてホラーになるという構成が、
なんとも、本作は素晴らしいのです。
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敗北者の心理
物語が急転直下して登場するのは、
豪邸の、隠し地下防空壕に住まう、
元・家政婦ムングァンの夫、グンセ。
彼は、
カステラブームの時に店を出すも、失敗。
今も借金取りに追われる身であり、
故に、地下に引き籠もった生活をしています。
日本以上の苛酷な学歴社会、失業率を誇る韓国は、
恐らく、
日本以上に、一度、ドロップアウトしたら、這い上がるのは困難だと言えるでしょう。
グンセは、
そんな競争社会から背を向けるように、
何も無い地下に引き籠もっています。
むしろそこが、自分にとっての楽園として。
「パク社長、万歳」と叫び、
電灯のオン/オフで、一方通行のモールス信号を送り、
かつて、自分が所属していた、軍隊形式の敬礼を行う。
社会との関わりを拒絶し、
自分の世界観のみに埋没し、完結するその様子は、
正に、
サナダムシやアニサキスの様な、
体内型の寄生虫の様な生き様です。
故にグンセは、
自分より上手くパク家に取り憑いている、
キム家の面々を憎みます。
勿論、
妻のムングァンがやられた事を恨みに思ってもいるのでしょうが、
それに加え、
自らの、安穏な引き籠もり生活が崩される予感故に、
キム家を道連れに破滅への道を突き進んだと言えるのです。
これは昨今の、
引き籠もりの息子を殺そうとする両親、
両親に暴力を振るう、引き籠もり自身、
そんな悲惨なニュースを思い起こさせます。
引き籠もり関連の暴力事件は、
「家庭外」へと対象が向かず、助けも呼ばないが故に起こる悲劇です。
同様に本作も、
下級国民同士である、
キム家とグンセ、ムングァン夫婦が足を引っ張り合い、
上級国民であるパク家は、
(ある一線を越えるまでは)安全圏に居るという所に、
その構図に共通点があります。
しかし、勿論、
一線を越える悲劇が訪れるのですが。
キム家の父のギテクは、
グンセの登場に驚きつつも、
彼に共感している様にも見えます。
キム家は、
様々な「プラン(計画)」を駆使して、
パク家に取り入って、甘い汁を吸うのですが、
しかし、
結局は、その計画も破綻してしまいます。
象徴的なのは、
大雨の日。
パク家は、
水浸しになったキャンプ場から、我が家へと帰って来ますが、
キム家は逆に、
安全な豪邸から、冠水した我が家へと逃げ帰るはめになります。
半地下の我が家が水没し、
避難所でギテクは言います、
「プランなど無い」
「計画など無く、その場のノリで行動すれば、失敗も起こらない」と。
その心理は、
正に敗者の心理、
「行動しなければ、失敗しない」というヤツです。
精神的な引き籠もりの思考を辿るギテクは、
社会との繋がりである、パク家のドンイクを衝動的に刺し殺す事で、
決定的に、自分の殻の中に引き籠もる事になります。
グンセの後釜として。
ドンイクを、衝動的に刺したギテクですが、
しかしそれは、
彼なりに鬱屈を溜めた末の凶行とも言えます。
パク家に取り入り、
上級国民と言えないまでも、
「上級国民に準ずる存在」として、仕事をしている事に満足していたキム家。
パク家の留守中、
豪邸で酒盛りをして、
将来の夢を語り合ったりします。
ですが、人当たりの柔らかいパク家の面々も、
しかし、その実は、
キム家の面々の正体は知らずとも、
自分達とは決定的に違うと直感しています。
本作ではそれを、
「臭い」として表現しています。
どんなに装っても、
拭うことの出来ない本質として、
上級国民と下級国民には断絶がある、
その事実を知らされたギテクは、
故に、上級国民に恨みを晴らさずにはいられなかったのです。
自分達を、
臭い物として、
雨や汚物が流れ着く先としてしか、
認識しない上級国民に、思い知らせる為に。
さて、
本作では、そのラストで、
キム家の息子のギウが、
豪邸を買い取って、父を地下の引き籠もりから取り戻すという夢を語ります。
しかしそれは、
本作の文法で言うならば、不可能な事と言えます。
もし、ギウが本当に、
豪邸を買い取れる位の金持ちとなったなら、
その時は、
父・ギテクの「臭い」が気になるハズ。
ラストシーンの様に、
親しげにハグし合うという事はあり得ず、
浦島太郎状態のギテクは、
息子や、妻にさえ牙を剥くかもしれない。
牧歌的な将来の夢を語るラストであるが故に、
そういう、対象的な悲劇を想像させると言えるのです。
ブラックユーモアにまぶしながら、
上級国民と下級国民の決定的な分断を描く作品、
『パラサイト 半地下の家族』。
寓話としてのフィクションと言うよりむしろ、
本作に「リアル感」を感じる所に、
今現在の、世界的な格差社会の問題を思い知らされる作品なのではないでしょうか。
因みに、
私の家は、キム家よりも狭く、
ゴキブリも出る家という点を鑑みるに、
キム家以下の生活という事実に、
愕然としますね。
日本でも、
これは、他人事では無いんです。
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