ちょっとおませな小学4年生のアオヤマ君。独自の研究を、友達のウチダ君と一緒にやっている。そんなアオヤマ君の一番の関心事は、近所の歯科医院に勤めるお姉さん。一日に30分は、必ずお姉さんのおっぱいの事を考えている、、、
監督は石田祐康。
本作が長編劇場アニメのデビュー作。
声の出演は
アオヤマ君:北香那
お姉さん:蒼井優
他、
釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、能登麻美子、西島秀俊、竹内直人、等。
原作は森見登美彦の同名小説『ペンギン・ハイウェイ』。
森見登美彦と言えば、
大学生のちょっとオタク系の男子を主人公とした小説を書き続けている印象のある作家。
しかし、
世の中イキっている主人公が多い中で、
ちょっと控え目な性格の主人公達が、
自分なりの勇気を振り絞って大冒険をする話は、
なんとは無しに共感を呼びます。
その作品の性質上、
やはり、同じオタク気質の人にウケるのか、
その著作は多くアニメ化されています。
『四畳半神話大系』
『有頂天家族』
『有頂天家族2』
『夜は短し歩けよ乙女』
そして、今回、
著者が2010年の日本SF大賞を受賞した『ペンギン・ハイウェイ』が映画されました。
さて、この『ペンギン・ハイウェイ』、
森見登美彦の作品の中では、ちょっと異色となっております。
主に、大学生(くらいの)男子が主人公の場合が多いですが、
本作は小学4年生。
また、
いつもは、読み易い感じの作品が多いですが、
本作はちょっとSF要素もあって、難しい。
読者の直感的な想像力に委ねた描写をするという共通点はありますが、
森見登美彦作品の中では、
映像化するのが、ちょっと難しい感じを受ける作品です。
一体、
どんな感じで映画化するのか?
期待半分、不安半分な感じです。
さて、実際の映画はどうだったのか?
本作は、
少年の一夏の物語となっています。
原作では、
SF要素、
ファンタジー要素、等の属性がありますが、
映画化にあたってフューチャーしたのは、
ジュブナイル要素。
ちょっと郊外の、
自然の残る住宅街という立地も相俟って、
何とは無しに、ノスタルジックな雰囲気が喚起されます。
そう、
二度と戻らぬ夏休みの思い出を映画化した作品、
それが、『ペンギン・ハイウェイ』なのです。
小学生時代の夏休みの思い出、
それはかけがえの無いものです。
人それぞれ、各人の思い出があるハズ。
私も、この映画を観て、
自分の小学4年生時代を思い出しました。
懐かしい、
温かい、
なんだろう、この包まれる様な感覚は、、、
…ハッ、今、寝そうになっちゃった!!
ハァ、何だかこの映画、
観ていると心地良くて、寝ちゃいそうになります。
つまらない、
という訳では無く、
作品のトーンがゆっくりしており、
派手なアクションも無いので、
観ていると落ち着き過ぎるという側面があります。
さながら、
映画版の『銀河鉄道の夜』の様な感じです。
夏の深夜、
手足を伸ばして寝っ転がりながら、
リラックスして観る映画、
そんな感じの作品です。
(まぁ、私は映画館の座席をオッサンに挟まれて観たのですがね!)
アニメと言っても、
その視聴者層は多岐に亘ります。
本作は、
ちびっ子にはちょっと難しく、退屈かも。
むしろ、
大学生以上の、大人向けの作品と言えるかもしれません。
そんな、『ペンギン・ハイウェイ』。
ちょっと変わった、
落ち着いた映画を観たい人に勧めたい作品です。
-
『ペンギン・ハイウェイ』のポイント
一夏の少年の物語
ペンギン!!おっぱい!!
SF要素と世界の謎
以下、内容に触れた感想となっております
スポンサーリンク
-
少年とお姉さん
『ペンギン・ハイウェイ』の原作小説は、
主人公のアオヤマ君目線の物語。
少年の自由研究が、
いつしか夏の日の冒険へと繋がり、
それがSF的な展開を見せる作品だったという記憶があります。
この原作を映画化するにあたり、
ちょっと小難しいSF要素をメインに描写せず、
むしろ、
「お姉さん」との関係性にスポットを当てたのは、
映像化ならではの決断だと思われます。
やっぱり、
映画はキャラクターの関係性が面白さを生みますからね。
-
世界の謎と、少年の興味
さて、その上で映画版の『ペンギン・ハイウェイ』ですが、
原作版と同じく、アオヤマ君目線で物語は進みます。
とは言え、
自由研究の数々、
「プロジェクトアマゾン」
「お姉さんのおっぱい」
「ペンギン・ハイウェイ」
「<海>の実験と観察」
これら別々の事象が一つに自然にまとまる様子が、
原作共に、映画版の見処の一つ。
因みに謎が解けた(統合された)時、アオヤマ君が呟いた「エウレカ」とは、
正に、
取り組んでいた謎や困難が解けたときに「やった!」という気持ちと共に発する言葉です。
ギリシア語に由来し、
アルキメデスが叫んだとして有名な言葉です。
この「エウレカ」という台詞を叫ばずに呟いたというのが、
アオヤマ君のキャラクターと言えます。
さて、
この自由研究の内、
ちょっと異彩を放っているのが、
「お姉さんのおっぱい」です。
アオヤマ君は、
何故お姉さんに惹かれるのか、
その事を考えつつも、
いつしか思考はおっぱいへと向けられて行きます。
男の子が身近の年上のお姉さんに惹かれるのは、
ある種の通過儀礼的な側面があります。
相手は、
先生なのか?
先輩なのか?
親の知り合いなのか?
いとこのお姉さんなのか?
人によって色々居るでしょうが、
アオヤマ君は歯科医院のお姉さん。
しかし、
人がどうして人に惹かれるのか、
男女がどうしてお互いを求めるのか、
それを理論的に実証する事が出来たら、
それこそ人類史に残る偉業と言えるでしょう。
まぁ実際は、
言語化による実証の必要性も無く、
実体験として、その複雑性に対処しているというのが、
人類の営為と共に現在まで続く実状なのですが。
とは言え、
少年が大人のお姉さんに惹かれるのは、
ある種の理由があります。
それは、
相手が未知の存在だからです。
同年代の男子でも無い、
女子でも無い、
異性であり、
かつ、
自分の知らない事を何でも知っている(様に見える)相手、
そういった、ある種の全能性を相手に付与し、
女神の様に崇めている事を、
好意と混同しているのですね。
つまり、
少年にとっては、
憧れの大人の女性という存在は、
世界そのものと密接な関係のある、
未知の謎そのものと言えるのです。
しかし、であります。
少年は、数々の謎と共に、
お姉さんの謎も解いてしまいます。
つまり、
自分とお姉さんとの関係性に決着を付けてしまう事で、
お姉さんは未知の存在では無くなる、
これはつまり、
少年は通過儀礼を終えてしまった事になるのです。
相手(お姉さん)は全能の存在では無く、
自分と同じ様な、
自分でも手の届く存在だと認識するのです。
子供は、
ある年齢までは親が絶対の存在ですよね。
それが、ある瞬間から、
親も、
世間の数多の大人と同じ存在、
それどころか、
自分と同等が、それ以下かもしれないと気付いてしまう、
それと似ています。
さて、少年は、謎を解いてしまいました。
そして、世界を知った訳ですが、
その時、人は二通りの反応を見せます。
一つは失望、
もう一つは希望です。
本作のアオヤマ君は、
世界を知る事で、
そこには、更なる取り組むべき謎という目標を見つけます。
それを象徴するのは、
<海>の探査船「ペンギン号」の再発見(帰還)。
このシーンはつまり、
アオヤマ君は、
お姉さんを失った失望(世界を理解した絶望)では無く、
再び取り組むべき謎を手にしたという希望と言えるのです。
-
ペンギンとお姉さんの関係
蛇足ながら、
ペンギンとお姉さんと<海>の関係が分からない!!
という人の為に、ちょっと解説してみます。
1:お姉さんはペンギンやジャバウォックを生み出します。
そして、<海>自体はなんの事象かは分かりませんが、
(作中では、折り畳まれた別の世界への入り口かも?と言われています)
2:お姉さんやペンギンは<海>からエネルギーを得ています。
しかしその一方、
3:ペンギンは<海>を破壊し、
その拡大を防ぐ力があります。
ここで疑問なのが、
お姉さんとペンギンは、
自分がエネルギーを得ている<海>を破壊する存在であり、
自己矛盾に陥っているという事です。
これはどういう事なのか?
ちょっと解釈してみます。
お姉さん自体が何故産まれたのかは説明されませんが、
おそらく、私の予想では、
「アオヤマ君が生活している世界」そのものが、
自分を<海>に飲み込まれない様に発動したセーフガード、
つまり、自己防衛機能のような存在なのだと思われます。
なので、
「アオヤマ君のいる世界」は
お姉さんとペンギンを<海>から離れられない様に設定し生みだし、
尚且つ<海>を破壊する能力を持たせつつ、
「世界」から<海>が消えれば、
そこからエネルギーを得ているお姉さんも用済みとなり、
自動的に「世界」から消去される、
という寸法です。
なので、
アオヤマ君がお姉さんを探すというのなら、
それは世界と時空の問題というより、
世界が持つ能力とか、
記憶みたいなものに迫る、難しいミッションになると予想されます。
まぁ、私の勝手な解釈ですがね。
少年が一夏の体験を経て、
世界と自分の関係性を知り、
そして、新たなる目的を見出すまでを描く作品、
『ペンギン・ハイウェイ』。
原作のSF的な雰囲気を、
ノスタルジックな夏の日の物語として特化した印象の映画版。
ゆったりとした、
心地良い空気感に溢れた作品であり、
自分の夏休みをも、思い出せる作品です。
*現在公開中の新作映画作品をコチラのページで紹介しています。
クリックでページに飛びます。
*森見登美彦(著)の原作小説です
スポンサーリンク