ボストンの喧噪を逃れ、メイン州の田舎に引っ越したクリード一家。隣人のジャドも気の良い老人で、良い引っ越しだと思われた。
そして、長女のエリーは「ペットの葬送」に出会う。彼達は、ペット専用の墓場、「ペットセマタリー」に愛犬を埋葬していたのだ。
ある日、飼い猫のチャーチが轢死してしまう。悲しむエリーの姿を見たくないと、ジャドは、クリード家の父・ルイスを伴い、禁断の地にチャーチを埋葬するのだが、、、
監督は、ケヴィン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤー。
20年以上もコンビを組んで、
主に、ホラー畑で映画制作に関わっている。
因みに、二人とも、猫を飼っているらしい…
原作は、スティーヴン・キングの小説『ペット・セマタリー』。
出演は、
ルイス:ジェイソン・クラーク
レイチェル:エイミー・サイメッツ
エリー:ジェテ・ローレンス
ジャド:ジョン・リスゴー 他
モダンホラーの帝王とも言われる、
ホラー小説家、スティーヴン・キング。
今でこそ、
「好きな小説家5人挙げて」と言われたら、
スティーヴン・キングの名は必ず入る感じですが、
私が、キングを知ったのは、
映画化作品からでした。
『スタンド・バイ・ミー』
『キャリー』
『クージョ』
『デッドゾーン』
『地獄のデビル・トラック』
『ミザリー』etc…
面白い作品、
何か、変な作品、
クセのある作品、
そういう映画作品を観たとき、
「原作・スティーヴン・キング」とか、
「脚本・スティーヴン・キング」とか書かれてあり、
それで、興味が湧いて、
原作も読んでみよう、
そう思ったのが、
私が、読書をする切っ掛けになったのです。
言うなれば、
スティーヴン・キング原作の映画化作品は、
現在の私の文化的素養の基礎を作ったと言っても過言ではないのです。
そんなスティーヴン・キング原作映画化作品の中でも、
取り分け、印象に残っている作品の一つに、
『ペット・セメタリー』(1989)があります。
ハラハラドキドキの展開の面白さ、
「お願い!止めて!」という行動をとってしまう、人間の業、
トラウマ的な、強烈なオチ、
幼少期の私を大興奮させた作品です。
因みに、
続篇として『ペット・セメタリー2』(1992)という作品がありますが、
本ブログで「前作」と言った場合は、
『ペット・セメタリー』の事を指しています。
そんな、
思い出の作品が、
時を越えて、リメイクというか、
再映画化されました。
その感想は、如何に!?
ジャドに導かれ、
死んだ飼い猫チャーチを「忌み地」に埋めたルイス。
しかし、
翌朝、
まるで何事も無かったかの様に、
チャーチは家に帰ってきた!
だが、大人しい飼い猫だったチャーチは、
気性の荒い暴れん坊となって、家族に牙を剥く様になってしまっていた。
「黄泉がえり」は、
やはり、禁忌であった、
そう痛感するルイスとジャドだったが、
トラックの暴走で、
エリーが亡くなってしまい、、、
原作の前書きにおいて、
「自身の小説で最も忌まわしい」的な事を語った本作、
描かれるのは、
人間、
窮極の状況に陥ると、
自分でも思いもしなかった行動をとってしまう、
という事です。
冷静で的確な判断が出来る、
我々観客の身からすると、
「何で、そんな事する!?」と、ツッコみを入れざるを得ませんが、
しかし、
自分が、もし、作中のルイスと同じ立場になったとしたら、
どうする?
その事を考えると、
忌まわしくも、共感出来るのが、本作の面白い所なのです。
そういう意味で本作は、
原作や、前作の『ペット・セメタリー』と同じテーマを扱っていますが、
後半は、オリジナル展開が開始されます。
むしろ、
原作や、以前の作品より、
ホラー寄りといった印象。
これ、
小学生が観たら、泣きますよ。
まぁ、年齢制限的に観れませんが。
前と全く同じだとつまらない、
それなりのアレンジを加えている、
新『ペット・セマタリー』。
前作を全く知らない人は、
フラットな気持ちでホラー映画として楽しめますし、
前作や原作を知っている人は、
本作のアレンジ部分に、
あーだ、こーだ言うのが楽しい、
そういう作品と言えるでしょう。
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『ペット・セマタリー』のポイント
解っていても、間違ってしまう人間の業
人は、他人の警告を聞かない
前作・原作との違いを楽しめ!?
以下、内容に触れた感想となっております
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オチは、アリか、無しか!?
猫が死んで、
生き返って、
凶暴化すると解っていながら、
我が子を蘇らせようとする、
深い哀しみ故に、
合理的な判断など出来ず、
都合の良い結果になると、祈りながら、
間違った行動を採ってしまう。
『ペット・セマタリー』を一言で言うなら、
原作も、前作も、本作も、
そういうテーマの作品と言えます。
しかし、
前作と全く同じ事をしてもつまらない、
そう思ったのか、
本作では、
出来る範囲でのアレンジを加えています。
テーマを踏み外していないというレベルで、
本作のアレンジは、
中々面白いですが、
個人的には、
やっぱり、前作の方が良かったな、
と思いますね。
原作や前作を知っている人が観ると、
幼い息子のゲイジではなく、
娘のエリーが犠牲になった事に、
驚きがあるのではないでしょうか。
(まぁ、予告篇でネタバレはされていましたが)
監督のインタビューを読むと、
「分別のある人間が変化してしまう方が、より恐ろしい」と言っていました。
ですが、
個人的に、やはり、ゲイジの方が良かったかな、と思います。
確かに、
「無垢で素直なエリー」が、
「凶悪で邪悪な存在」に変化するのは、
衝撃と、哀しみ、苦しみがありました。
しかし、
持論と致しましては、
ゾンビがペラペラ喋ったら興醒めだと思うのです。
何だか分からんが、
凶悪になっちまったが、コミュニケーションが取れない。
それが、
より悲劇を強調するのだと、
私は思うのです。
だから、
猫が変化しても、何となく、都合の良い方向に解釈しますし、
息子が変化しても、そんなハズは無いと、思い込もうとしていたのです。
ホラーにおいて、
「何故そうなったか」という理由付けは、
必要最低限で良いと思います。
超自然現象を取り扱った題材では、
ただでさえ、現実離れしていますので、
そこに、
「合理的な理由」なるものを付け加えてしまうと、
食い合わせの悪さから、違和感が生じてしまうからです。
本作で言うと、
蘇ったエリーが、
「土地が呪われている」とか
「あの世がある」とか
「生き返った苦しみ」がどうとか、
そういう事を自分で言ってしまったら、
安っぽくなってしまうのです。
蘇った人間(や猫)が、
何を思っているのか、
どうして変化してしまったのか、
それは寧ろ、観客が、自分で判断する所に、
前作の面白さがあったと思います。
まぁ、
そういう意味では、
本作は、
前作の『ペット・セメタリー』を観たスタッフが、
こういう解釈をした、という点においては、
興味深い作品と言えますね。
また、ラストのオチも、
今回の様に、無理矢理、変化したというよりも、
前作においての、
自分で、三度、間違った行動を選択してしまうという所に、
どうしようもない人間の業を見たので、
そこはやはり、
明確に前作の方が良かった所です。
この辺り、
個人のホラー観や、ゾンビ観によって、
評価が分かれる所だと思います。
『IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。』のヒットによって、
スティーヴン・キングの映画化作品に、
再び脚光が当たっている感がある昨今。
こういう流れで、
スティーヴン・キングの過去の映画化作品も、
次々とリメイクなり、
新解釈して、映像化して欲しいですね。
原作に忠実だった前作『ペット・セメタリー』に、
アレンジを思い切って加え、
新しく生まれ変わらせた『ペット・セマタリー』。
前作や原作との違いについて、
あれこれツッコみを入れられるという点においては、
本作のスタンスは間違っていないと思います。
こういう楽しみ方が出来るというのも、
リメイク作ならでは。
本作の様に、
チャレンジ精神のある作品は、
それだけでも、面白いと言えるのです。
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